katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイの甥っ子とキウイ教室

2021-08-15 23:14:46 | モザイク教室

今日はキウイが甥っ子と下の娘さんと一緒に・・・。ただ下の娘さんは見学。まぁ幼稚園の頃からやっているから、珍しいものでも無いし、かと言って体験で楽しめるって腕でも無いのね。これが結構上手いのね。そんな中、もう働いている甥っ子は男だし、大人だし、ホントに?って感じだけれど、

彼も結構何度も会ってて、顔馴染みでね、ご無沙汰してますkatsuさん・・・って感じで、こっちも下の名前で気軽に呼べる位なのね。ただモザイクをするなんて機会は無かったから、今日が初めてなのね。

そんな訳なんで、もう額縁の中って感じのキウイは、ほっといても大丈夫なんで、

彼に専念となるのだけれど、仕上がりを見て判るように、かなり繊細にこだわってやってたのね。本来これは、木自体の大きさはそこそこあっても、それは見栄えの確保って言う意味もあって、スペースとしてはイベントのオーナメントの大きさなのね。

つまり、30分位で終われる人もいるけれど、5時間掛かっちゃうなんて、決して大袈裟じゃないのね。そもそも物つくりってのはそう言うもの。そんな話の中、娘さんがこんな事を言ってたのね。きっと私がやると、結構時間が掛かっちゃって・・・。

つまり何を作ってもこだわるんだろうね、そのこだわり方が尋常じゃないと、自分の許容範囲すらも超えてしまう。そんな物の作り方を今まで何度と無く、やって来たから、軽い気持ちで手は出せないんだろうね。

ただ当然、結果は凄いな・・・って事にはなるんだけれど、そもそも体験の下地なんてものは、何しろ楽しくってスタイルなもんなのね。そこを大人げなくこだわると、ビックリするような仕上がりになっても、何倍時間が掛かってんだよ。

ってな事になり兼ねないのね。こんな人は本気な作品・・・つまり大作向きなんだけれど、そこはね、本人の問題なのね。ただ簡単に言えば、短距離走と長距離走の違いみたいなもので、向き不向きがあったりする。

モザイクに限らず、自分の好きになった分野の物つくりに没頭出来れば、血筋は良いと思うんだけれどね。後は古典と新作落語みたいに道が分かれて、伝統なんて事を継承するのか?はたまた新作を作り続けるオリジナルへ行くのか?

作るって分野が決まっても、伝統側に行けば自己主張では無く、先人の受け継ぎな感覚になるだろうし、オリジナル側に行けば、常に自分自身の書き換え・・・常に新作を求める事になる。まぁどちらが向いているか?なんだけれど、これが更に難しいのね。

まぁこれは、良く自分の事は自分が良く知っている・・・なんて事を言う人の場合、仮にファッションで例えると、ヘアースタイル、化粧、洋服・・・こんなものは何十年と向き合っているのだから、自己演出は得意なはず。

でも一流の分野の人達に掛かると、みんなが驚くほど綺麗に見えたり、もっと言えば、その人のご家族も驚いていたりする番組があったりする。そんな場合、自分が似合っていると思っていた事よりも上があった事になる。

つまりもしかすると、思い込みと自己流に頼っていただけなのかも知れないのね。それが勉強をして来た一流の人達は、その人の良さを引き出すプロフェッショナルだったりすると、自己流ではそう簡単に結果は出せなかったりする。

つまりもしかすると、自分の事をまだ良く知らなかったんでは無いのか?ってな事になる。それがファッションならまぁ別に大した話にはならないけれど、仕事や生き方と言った事になったりすると、結構な問題になってしまうのね。

ただね、仮にもし彼女が物つくりに長けているから、仕事に・・・となると、今度は結果を求められると、売るって事になり、ただ上手いだけとか、時間の掛け放題って言うのは、プロの仕事って事にはならなくなるのね。

勿論、何をやっても楽なものは無いけれど、それでもやって見たい・・・って思うきっかけがあるか?無いか?みたいなもので、そんな出会いなんてものがあると、血筋としては良いものがある・・・って言うkatsuハンコは押せるんだけど。

まぁ今の俺の立ち位置のハンコじゃ、安い感じはするけれどね・・・。さて話は戻して、男の人には珍しく、ずっと、じっとして黙々と進める・・・こんな事の前に、もっと言えば、こんな時間を男の人で出来るって言うのは、それだけでも結構珍しいのね。

作品を見るからに、几帳面さは良く出ていて、なおかつ、まっ良いか・・・って体験では良くあるセリフがあるんだけれど、こんな事も言わないし、何しろ周りの会話にも流されずに黙々って感じだったのね。お疲れ様でした。

初めて・・・なんて体験には見えない、お見事でしたなのね。やはり夏の中学生や今日の2人のような若者と接する機会はそう無いんで、若さとか流行とか、考え方だったり、なんでも良いから吸い取る気持ちで、聞き逃さないようになのね。

何とも刺激的な話が多いし、これが親だったり姉妹では日常な事でも、こちらにして見れば、知らない事を知っていて、それは新しい事ばかりで・・・こっちは年齢的にも忘れやすいのに、新品な話は刺激的だし、何でも吸収しないとね。

歳取って忘れる事ばかりでは、無くす事ばかりでストレスになっちゃうのね。こんな時はその分補填しないとね。

 


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中学生教室二組

2021-08-15 01:44:28 | モザイク教室

今日は午前午後と中学生教室。それでは1人目。こちらは経験者な事、今回の宿題でほぼメインのモチーフが終わった事を考えると、着地の仕方の問題なのね。だから、良く出て来る、後はバック・・・こんな仕上げ方の場合、メインに全力的な考え方になる。

例えば、学生さんなら、英語だ数学だみたいな事をメインと考えるなら、体育だの音楽なんて言うのは、付け合わせの小鉢みたいな感覚だから、それでも無しってのは寂しいから、取り合えず参加・・・って感じになる。

それをそんな事は無い・・・全て全力です的になるのなら、メインだろうが、バックだろうが、時間の掛け方は変わらなくなる。つまり小鉢とて料理は料理となるから、日々の家庭料理では無く、小料理屋や割烹って感じになると思うのね。

しかも更にと言うのなら、それじゃ授業としての学科は全力でも、素行だ提出物、遅刻なんて別に学科の点数には何ら関係ないって考えれば、点数の付くものには力を惜しまない・・・って感じになる。つまり労作展は提出しとけば・・・。

こんな考え方にもなっても良いだろうが、しかしなのね。要するに残りのスペースをどんな気持ちを持ってやるか?になると思うのね。これが一年生なら、後はバックなんて言ったとしても、それはそれで良くここまで頑張ったね・・・でも良いと思うのね。

しかし、もし賞を取った事があるとなった場合、果たしてそれが通るだろうか?と考えると、ハードルが上がった感じがしないかな?それが先生だったり、クラスメイトだったり、場合に寄っては、その作品のインパクトさ加減で、他のクラスの人やそのご家族にも覚えられている事もある。

そして更にその反響を耳にしていた場合、自分自身としても去年の作品の経験値と、その作品の重みをしている分、やればやっただけ大変なのも知っているし、手間を掛けたら凄くなるのも知っている。そんな事を知った上でどうする?なのね。

こちらとしては、やれとも言うつもりは無いし、やるなとも言いづらい。ただそこは先生として、残り時間と他の宿題などを考えた上で、やり過ぎとやらな過ぎの極端な例だけは注意する・・・そんな感じになるのね。

それを踏まえて、バックがぺきぺきな事もあって、もう一工夫考えても良いかもね・・・大事のモチーフを増やすんではなくて、ちょっとしたアイデア・・・それでただのクラッシュって感じにならないと、おぉって感じになるんじゃないのかな?

そんなアドバイスで終了。さて一体どんな事になるのかな?そして午後からの子は初めてなのね。そうなるとね、そろそろ無理しない着地の仕方の方向になるのね。だから、良くばらせないように・・・。

こちらはやっとバックの方向性が決まって、始まったんだけど、何しろ初めて・・・だからどうなるか?まだ油断は出来ないし、とは言うものの、リップルのような硬いタイルでいきなり立体なんて事をやり切った経験値は期待出来る。

まぁ最後はぺきぺきで締めようと思っているんで、ここら辺りを逃げ切ってくれれば、何とかなる方向なのね。どちらも着地の方向になって来たのね。そんなこんな後、この子の額の材料が決まったんで、ホームセンターに・・・。

カットの時間には間に合わなかったが、何とかゲットしたんで、まぁ何とかするしか無いかな・・・。

 

 

 


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