更に引き続き今日も椅子の下地。
どんだけ変わったか?って言うと、良く見ればそこそこ、変わっているんだけれど、何しろモザイクと一緒で、四角いものを滑らかにとか、グネっとか、有り得ない方向に曲げたいのね。
それだけでも難しいのに、そこ座ると壊れる?って感じに、いちいち曲げようとするたびに、問題が起こるのね。でも当たり前なのね。どんなクリエーターの人も、新曲、新作、新車、新築・・・
みんな考えている人がいるのね。それを一般の人達は買うって側にいる。それを時に残酷に切り捨てるように、今度のドラマ詰まんないね、前回の歌の方が良かったね、何だこの家・・・。
変な料理・・・って感じになったり、ブラボーってスタンディングして貰えたように、爆発ヒットなんて事があったりして・・・つまりこの生き方をしている人達は、神かゴミのいずれかなのね。
だから当然神側を狙うんだけれど、その一発を当てられる人も極わずかなのに、当たらなきゃいつまでやってんの・・・とか、まだやってんだ・・・とか言われたりするし、言われなくても、
扱いがそうなったりもする。高いとは言われても、安いとは言われなかったり、どの仕事も大変なんだけれど、普通の仕事はご飯は食べられるが、こんな仕事は芸人では無いが、副業でもしないと
続けられないなんて事もあるだろうね。その副業がタイル屋だったりするんだろうが・・・俺は辞めちゃったし、逃げ道は無し。それと同時に、一般的には上司なんてもんがいて、教わるなんて事
も出来たりするが、新曲の作り方を聞けはしないのね。そこを乗り切るのは自分しかいないのね。ただ1つだけへっぽこな俺にも利点はあって、盗む目は持っていたりする。それは元職人だから。
見様見真似・・・ちょっとしたエキスさえあれば、それを自分に活かせないものか?なんて考えたりする。それは大人とも限らないし、素人かも知れない。要するに今の自分の考え方の中に無い
事例は、自分では考えなかったものなら、1つの考え方として持っていると、これしかないって思い込みは無くなり、色んな方法論になる。ただ全てに良い事と悪い事は背中合わせがある。
簡単に受け入れると、その人を心配するような人から老婆心を言われて、自分が無いとか信念が無いなんて罵倒される事もある。これがいわゆる叱咤なのね。逆に受け入れないと、今度は頑固とか
意固地とか、それを信念とでも言うのか・・・まぁ聞く耳を持つと色々聞こえるもんなのね。んで結局最後は自分って事になるんだけれど、まぁ簡単に言えば、人生をジャンケンだと思うのね。
何も考えずにたった3つの選択をする人は、何にも悩まずに出す事が出来る。この偶然の結果で、喜んだり悔しがったりするって考え方。それとは逆に、相手の顔やじゃんけんぽん・・・って言葉
の言い方や目なんかを見て、相手の心理を読んで見たりして・・・その都度その都度考える。この両極端で逆も真なりの説明になる。これで2通り。所が人は気紛れ・・だったりもする。
自分を押し通して失敗すると、やっぱり聞こうとしたり、聞いて失敗すると、やっぱり聞かなきゃ良かった・・・と。全て結果に流される。これが一番厄介なのね。こうして考えた時に、俺は
今日は俺どれ?・・・って自分を振替ったりする。それは体調だったり気分だったり、人は簡単に変わるし、安定感があればどの選択でも良いが、気分で変わると今日の俺大丈夫か?なんて事になるのね・・・。
その時に、単に作品が上手く行かない・・・って言うだけなら、単なる実力の無さだから、何かそこを抜け出せるきっかけさえ掴めば、活路を見いだせるだろうね。でも1人悩み続けると、泥沼の
ループになり、全然進んでいないように見えて、自分を追い込む事になる。そこに収入ってな事が付いて来るんだから、焦りなんてもんが加わればきついのに、期限なんて上乗せすれば、そりゃ
安定しろってのが難しくて当たり前なのね。それをこれが最後の自由演技だと言い聞かせてやっているんだけれどね・・・余りにもモチーフに興味を持たれる事は無く、最初から判っているが、
落語の、はたののりゆきのかっぱだぬき以上な気がするのね・・・しかもモザイクに入れば、挽回出来ると思っていても、何しろそれより大幅に見劣りする立体の技術・・・もっと何とかならんかね・・・。
って自分でも呆れるが、逆に昔よりも上手くなってんじゃ無いの?って気分もある。まっ悩んでいるってのは、作家katsuが困っているのだから、抜け出せれば名作になれる・・・って信じるしか
無いだろうな・・・そもそもかっぱだぬきが売れるのは、人に認められてからなのだから。
どんだけ変わったか?って言うと、良く見ればそこそこ、変わっているんだけれど、何しろモザイクと一緒で、四角いものを滑らかにとか、グネっとか、有り得ない方向に曲げたいのね。
それだけでも難しいのに、そこ座ると壊れる?って感じに、いちいち曲げようとするたびに、問題が起こるのね。でも当たり前なのね。どんなクリエーターの人も、新曲、新作、新車、新築・・・
みんな考えている人がいるのね。それを一般の人達は買うって側にいる。それを時に残酷に切り捨てるように、今度のドラマ詰まんないね、前回の歌の方が良かったね、何だこの家・・・。
変な料理・・・って感じになったり、ブラボーってスタンディングして貰えたように、爆発ヒットなんて事があったりして・・・つまりこの生き方をしている人達は、神かゴミのいずれかなのね。
だから当然神側を狙うんだけれど、その一発を当てられる人も極わずかなのに、当たらなきゃいつまでやってんの・・・とか、まだやってんだ・・・とか言われたりするし、言われなくても、
扱いがそうなったりもする。高いとは言われても、安いとは言われなかったり、どの仕事も大変なんだけれど、普通の仕事はご飯は食べられるが、こんな仕事は芸人では無いが、副業でもしないと
続けられないなんて事もあるだろうね。その副業がタイル屋だったりするんだろうが・・・俺は辞めちゃったし、逃げ道は無し。それと同時に、一般的には上司なんてもんがいて、教わるなんて事
も出来たりするが、新曲の作り方を聞けはしないのね。そこを乗り切るのは自分しかいないのね。ただ1つだけへっぽこな俺にも利点はあって、盗む目は持っていたりする。それは元職人だから。
見様見真似・・・ちょっとしたエキスさえあれば、それを自分に活かせないものか?なんて考えたりする。それは大人とも限らないし、素人かも知れない。要するに今の自分の考え方の中に無い
事例は、自分では考えなかったものなら、1つの考え方として持っていると、これしかないって思い込みは無くなり、色んな方法論になる。ただ全てに良い事と悪い事は背中合わせがある。
簡単に受け入れると、その人を心配するような人から老婆心を言われて、自分が無いとか信念が無いなんて罵倒される事もある。これがいわゆる叱咤なのね。逆に受け入れないと、今度は頑固とか
意固地とか、それを信念とでも言うのか・・・まぁ聞く耳を持つと色々聞こえるもんなのね。んで結局最後は自分って事になるんだけれど、まぁ簡単に言えば、人生をジャンケンだと思うのね。
何も考えずにたった3つの選択をする人は、何にも悩まずに出す事が出来る。この偶然の結果で、喜んだり悔しがったりするって考え方。それとは逆に、相手の顔やじゃんけんぽん・・・って言葉
の言い方や目なんかを見て、相手の心理を読んで見たりして・・・その都度その都度考える。この両極端で逆も真なりの説明になる。これで2通り。所が人は気紛れ・・だったりもする。
自分を押し通して失敗すると、やっぱり聞こうとしたり、聞いて失敗すると、やっぱり聞かなきゃ良かった・・・と。全て結果に流される。これが一番厄介なのね。こうして考えた時に、俺は
今日は俺どれ?・・・って自分を振替ったりする。それは体調だったり気分だったり、人は簡単に変わるし、安定感があればどの選択でも良いが、気分で変わると今日の俺大丈夫か?なんて事になるのね・・・。
その時に、単に作品が上手く行かない・・・って言うだけなら、単なる実力の無さだから、何かそこを抜け出せるきっかけさえ掴めば、活路を見いだせるだろうね。でも1人悩み続けると、泥沼の
ループになり、全然進んでいないように見えて、自分を追い込む事になる。そこに収入ってな事が付いて来るんだから、焦りなんてもんが加わればきついのに、期限なんて上乗せすれば、そりゃ
安定しろってのが難しくて当たり前なのね。それをこれが最後の自由演技だと言い聞かせてやっているんだけれどね・・・余りにもモチーフに興味を持たれる事は無く、最初から判っているが、
落語の、はたののりゆきのかっぱだぬき以上な気がするのね・・・しかもモザイクに入れば、挽回出来ると思っていても、何しろそれより大幅に見劣りする立体の技術・・・もっと何とかならんかね・・・。
って自分でも呆れるが、逆に昔よりも上手くなってんじゃ無いの?って気分もある。まっ悩んでいるってのは、作家katsuが困っているのだから、抜け出せれば名作になれる・・・って信じるしか
無いだろうな・・・そもそもかっぱだぬきが売れるのは、人に認められてからなのだから。