今日は午後から寅さん教室なんで、それまではキョンキョンの絵馬の下地を彫ってからの、実家でピエロの玄関の側面開始。
そうね、こうして見ると問題があるねぇ・・・気にはなって終わったくらいだから・・・。ただ直すか直さないか?は保留かな・・・。まぁいずれにせよ、
始まった・・・って事で。そんなこんなの寅さん教室。そうね、ブログにいつも言っているような事だから、全て読んでいれば何の問題も無いんだけれど。
例えば、病は気から。どんなに技術を会得しようと、心持ち1つでそんな技術なんて二束三文になる。だって簡単に心なんて折れるから・・・。
そもそも人なんてもろいものなのね。だってたった1年、365日の内に何日が絶好調で、何日が普通で、何日がへっぽこになる?これを死ぬまで繰り返すのね。
もっと言い換えれば、どんなにお金を持っていようが、へっぽこな日は、立て直す事が出来なければ、やる気なんて起きないもので。言い方を変えれば、
いかにそのへっぽこな日を少なく出来るか?になる。そもそも気分が良いなんて、ほっといても楽しい訳で・・・。勿論、体調が悪い・・・これは医者じゃ
無きゃ無理だけれど、気分なんて気の問題は、自分で解決出来るもんなのね。ただ一般的にはお金で解決出来る事は多いらしいのね。そうなると、今の俺では
無理だから、お金以外で立て直さないとならないのね。つまり先生としては、お金で解決出来ない人のアドバイスは出来ても、ある側の人の立て直しは難しい。
とは言え、それでも出来ないか?って言うと方法はあるのね。ただ説得力に欠けちゃうのね。それは成功者じゃ無いから。これが目に見えて成功だってなると、
信憑性が高くなるから、必然的に聞く耳が出来るのね。つまり今の俺の立ち位置で言えば、調子を崩している立て直しの場合なら、マイナスを0に戻す方法は
教える事が出来ると思うのね。例えば普通、一ヶ月に1回の場合なら、前回と今回を比較した場合、同じようであれば、悪いなりに同じなら、左程悪さは
変わっていない。だから悪いけど普通と考えられる。それがもし前回よりも良く見えたとする。その場合、この1ヶ月間の中に気分の良い事があった可能性がある。
その気分の良い事が、もし昨日の事なら、そりゃ生々しく楽しさを抱えて来た可能性が高いし、まずまず程度なら、ビックリする程の事では無いものの、
良い事があった・・・って感じになる。例えば旅行に行ったのと、映画を見たでは、楽しさの大きさが違うし、とは言え、その旅行が散々ならテンションは
下がるし、逆に映画が楽しくても、旅行が楽しかったら、それに勝てる楽しさにはならない。それを判断するのが車内の送迎で、俺は運転しているから、
想像するに声しか無いのね。この会話の声がトーンが高いと、楽しそうだし、低ければ何かあったのかな?と想像出来る。それを常連なら直接何かありましたか?
となるし、日が浅ければ、比較しようが無いから、普通に会話する事で様子を伺う事になるかも知れないし・・・その時に常連なら、その人の性格も加味し
その人がディフェンダーなのか?フォワードなのか?でリアクションだって変わって来るから、まずは声を聞き逃さない事になる。そしてアトリエで今度は視覚
で確認となり、聴覚、視覚と2度その人を確認する事が出来る。更に物作りはその人自身なんて言うのだから、作る所作や切ったパーツなどを見れば、
行動が比較出来るのね。前回張ったよりも粗いのか?同じなのか?繊細なのか?それもキチンと見ないと、同じ難しさと向き合っているのか?そうで無いのか?
で比較しないと、ただ難しい事をしていた・・・では比較にならない。そもそも接客をする仕事なら、この程度は普通で人と向き合う仕事な訳で・・・。
それをタイル屋なら、接客って程向き合う事は無く、向き合うのは仕事をくれた大工さんや不動産屋さんだから、親しくなれば職人程度の丁寧語、尊敬語、
謙譲語程度で何とかなり、それよりもそこそこの腕と、そこそこな金額で、三河屋さんみたいなスピーディさが要求されるし、上手い腕なら、凄い腕なら子供でも判る、高くて当たり前って感じで済む。
これは接客で比較しているだけで、仕事って言うのは、会社に務めるのと、自営に分かれる。会社は務められれば、与えられた事をこなして行く。つまりその
部署で何をするか決まる。営業なら人と向き合うばかりで、それを自分の性格、つまりフォワードのエゴ的押し付けでグイグイ行くのか?それとも、引く
ディフェンダーなら、何かあったらよろしくお願いします・・・とアピールだけをして待つのか?とスタイルは変わる。いちいち断られて沈んでいたら、
体はいくつあっても足りないし、心がいちいちポッキリしていては、向いて無いだろうね。それではディフェンダー的仕事なら、毎日仕事を取りに行く訳では
無い事務なら、毎日知らない人と向き合う事は無いし、与えられた事務をコツコツ終わらせる仕事になるが、同じ部署の同じ人と向き合うのだから、能力のある無しで
比較され、毎日大奥のような場所でどう生きるか?みたいになる。ではそれ以外となると生産となると、工場で働く・・・体を動かす事になると、毎日同じ事の
繰り返しなんで、こけし職人じゃ無いが、毎日反復になる。ただ人と話すのは休憩くらいだから、向き合う事は少ないから、大きな失敗をしない限り、
向き合う時間は少なくて済むが、事務と同じように同じ人の群れの中で仕事をする事になる。しかも今度は数字のミスでは無く、もっと大きな目に見える
ミスがとがめられる可能性がある。何しろ流れ作業なら、人と連動してしまうから、ミスは全体に広がる。これが会社の考えられるリスクなら、今度はそれとは全く逆になる自営サイドの仕事。まぁ俺のような父と同じ職業なら
そのまま引き継ぐのが2代目になるが、俺はそのまま継いでいないから、タイル屋は引き継いだけれど、お客さんは自力だったが、普通なら訓練所のような
場所や、セミナーみたいな所で勉強するんだろうね。ただここに落とし穴があって、何度も言うが最初に覚悟がある場合、我慢では無く辛抱になる。
つまり我慢は限界があるってくらい、時間が短いのね。例えば我慢って言うのは、受かるまで我慢・・・みたいに使うとすると、何か現役合格出来る前提
みたいな感覚な気がしないかな?それは最初から考えが浅いからだと思うのね。でも辛抱って言うのは、それを成し遂げるまでなのね。つまり人を救いたいから医者になる・・・・
こんな考えを持っていたとすると、我慢は免許を取るまでな感じだとすると、辛抱は務めても開業しても、患者と向き合う事が続く限り・・・って感じな気がしないかな?
つまり志の差が出る気がするのね。そもそも同じなら言葉を変える必要は無いのね。話は戻して、ではそうやって習った事は何?って言うと、訓練所では、
技術を習っただけだから、仕事を取る営業を何も習っていないのね。つまり免状を貰ったのは技術の習得である。ってだけ・・・ここが一番大事なんだけどね。
ただそこでもしかすると、勤め先のあっせん的何かがあれば、アフター完備みたいな感じがするのね。所がセミナー的なもんは、まず先生がキラキラしている。
大抵はね。肩書きもどこどこ大学卒とかだったりすれば、エリートとなる。勿論、逆も真なりだから、海外を点々と・・・とか、特に何もやっていないって
スタートの人もいるが、ただそこも落とし穴で、奨学金のように大きな借金スタートじゃ無いのね。その人の家庭がそれを支えていたり、恵まれた環境が
あったりするのね。ただそのエリートの話がとても憧れちゃったりするし、みんなも頑張って・・・なんて言うと、憧れて入会なんて事があったりする。
ただね、憧れたら勝てません・・・って大谷くんが言ってたのね。残念ながら。仕事って生きる為にするもんで、憧れのまま生きられるなんてほんの一握り。
その時にその先生のアイテム、つまりそこに至る環境や状況を負けずに持っているのなら、可能性は生まれるけれど、教わったのは訓練所と一緒な技術だけなら、
仕事の取り方は何一つ教わっていないはずなのね。つまり指示された事通りに身に着けた事は技術であり、営業ノウハウは0でスタートになるのだから、
多くは失敗の可能性が高い。ただ成功している良い部分だけを見るから華やかだし、受けている時は非常に楽しくなる。そりゃ憧れてその何分の1になれるって前提スタートなんだから。
そう言う点では、俺はもっと現実なんだろうね。つまり結婚式で演奏したい・・・みたいな教室だから、その一曲を何処で何人の前で、どんなシュチエーションで弾きたい?
ってオーダーに答えるには、どう言う段階を踏んでたどり着くか?って感じだから、労作展のような具体的な場合、ピンポイントでみんな結果を出している。
だからやっている時は、俺は憧れられている訳では無く、楽しい訳でも無く、でも楽しくない訳でも無く、何だか微妙・・・って感じなんじゃ無いのかな?
要するにオリジナル制作って言うのは、オリジナルつまりその人の生き方でもあるのね。だって人と同じ訳が無いじゃん・・・って話。いかにオリジナル人生を歩くか?
それにはどんな道のりが考えられるか?このまま進むとどんな試練があるか?とか、事前に想像力、洞察力、観察力で危険回避って話だから、楽しい事よりも
危険回避だから、まぁ保険に入る感じになるのね。つまり使うと大事件になるし、使わなきゃ損した感じ・・・ただ備えあれば憂いなしとも言うし・・・。
だから、元気なら俺は必要無いかも知れないし、不元気なら0に戻す方法を考える事は出来ても、エリート先生じゃ無いから、楽しくみたいな3を7に引き上げ
的な事は無理なのね。それは確実に今の立ち位置以上にならないと・・・。まぁそう言う点では、今日は立て直しには良い時間だったかもね・・・。
厄介なのはこうした事を踏まえて、今日の自分って振り返ると、今日の自分の出来る事・・・って判断が出来たりもする。それが自覚ってもんなんだけれど、
普通はそんな事をいちいち考えない。もっと言えば、例えば今辛い・・・って場合、即効性のある楽しさが欲しかったりする。でもほっといたから辛さが7
だったりすると、お金を掛けた即効性、例えば若ければデートでランドやシーなんて事になれば、まっ良いかっって楽しむ事に全力になれる。それが家族と
なると、お金は何倍もに膨れ上がるし、子供が小さければ、うっぷんばらしにスリルあるものに乗りたくても、ショーを見せたりする時間が増える。
ある意味、お金を使って添乗員する感覚かも知れないし、看護や介護や保育に長けていれば、日常も勤務みたいになるし、他人では無く身内なんてより出来るのか?
それとも手を抜くのか?それも個人差があるだろうし、そうすると、さっきの辛さ7はいくつ軽減した?って話なのね。それが何か半年先に楽しみがある・・・
だからそこまで・・・って感じだと、宝くじチックにその日までずっと楽しめたりする。これは中長期的だから、即効性は少ないけれど、足湯的に、ゆっくり楽しむ事になる。
これを薬に例えれば、即効性は風邪薬だから、ウイルス駆除になるし、当然その副作用として眠くなったりする。それが漢方となると、中長期的になり、
察知出来れば早めの漢方って事で、弱っている自分の仲間の後方支援みたいに追加して戦うサポートになる。何でもこうして1つ知れば、って事はそう言う事?
って想像が出来る。目に見えない力とはそう言う事なのね。ただ今の全てを全く関係ないね・・・って全面否定も合って無い訳じゃ無いのね。つまり逆も真なり。
つまり危険回避的考え方はディフェンダーの考え方なら、楽しく無ければテレビじゃ無い・・・って考え方もある。つまり楽しいをこよなく愛すって考え方もある。
ただね、それを教える先生や作家さん、セミナーの人・・・さて憧れだけでなれるかな?大谷さんに憧れて、子供が真似してその100分の1でも習得って・・
多分無理だろうね。ただ常に例外はあるから、裾野が広ければ、確率は上がる。ただ確率が上がるのは常に数字な事で、なれる人は常に決まっている。
最初の0から1にするって言うのは、何も無かったから大変だし、先人がいるからその物差しで図られるから、常に否定されるもの。それに屈するのなら、
早めに諦めた方が危険は少ないけれど、諦めると明日は無い。さてどうするか?ってのが子供なら時間があるが、大人の時間は限られているのね。
それをあれもこれもと時間を使っていては、浅く広くなる。情報なら物知りになるが、スペシャリストは自分の時間の全てを使うのね。だから大谷さんが
生まれる事になる訳で。当然普通はバッターかピッチャーか?いずれだから、専念した時間で結果が伴えば、今日は酒でも呑むかとか、ゴルフに行くか?とか、
になるが、大谷さんは二刀流だから、どっちもおろそかにはしない。つまり寝る時間以外は全ての時間に注ぎ込んだ。そりゃ確率を上げる訳なのね。
だって大谷さん以下の成績で、大谷さんより練習時間が短く、野球以外の時間が多いなんて・・・。それでは追い付くどころか離される。普通なのね。
だってうさぎとカメの話でみんな知っているのね。休まない奴が結果が出るってね。ただそれは昭和で終身雇用の頃の話。でもみんなが働き方改革って言う中
・・・そう考えたら、大谷さんってブラックだと思うけどね・・・。だから俺も追い付きたいならウルトラブラックくらいにならないとね・・・って思うのね。
まぁ人と違うってそう言う事になるんだろうね・・・。