katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

急きょさくら教室

2024-04-22 07:18:34 | モザイクタイル教室
今日は午後からお教室が入っていると思っていたんだけれど、どうやら手違いがあったらしく、そんな中、急きょ相席で・・・となったさくらの単独って事になったのね。ただ体調不十分・・・

そうね、普通はそんな時には・・・なんだけれど、さくらは弟子なんで、気分転換にでもなれば・・・と思って呼んだんだけど、相席ならこんな指導は出来なかっただろうし、何しろ体調は

悪そうで、送迎の段階で大まかに判った。そんな中、まず問診のように、どうする?って聞く前に、何か形のタイルありますか?・・・って言うのね。だからキッパリ駄目だねと答えたのね。

すると、しばらく放置していると、今まで使っていたタイルを三角に切ったりして・・・何か考えたんだろうが、はぁ?って思ったんで、一旦切るのを止めたのね。何故そうしたのか?って、説明を

聞きたかったのね。って言うか、説明をさせたかったのね。そもそも理由ははっきりしていたから・・・聞かなくても良いんだけれど、思い込みって言うのもなんなんで、ハッキリさせて、本人

に自覚させる為にね。それは恐らくキチンと切れない・・・右手がグー、パーするのがきつい。だから真っ直ぐ切れない・・・と判断したんだろうね。本人も確認の上でそうだった。やっぱりね。

では結論、それが判断ミスなのね。そしてその判断ミスが、どんどんともっともっと深みにハマって行くのね。だってそもそもが間違っているのに、やればやるほど悪化するに決まってんじゃん。

つまり悪い時ほど、慎重にしかも最初の段階で間違っては行けないのね。じゃ何を間違えているか?それは自分が思い描く通りに出来ない自分への苛立ちや、失望、妥協・・・みたいな気分と、

それでも何とか・・・と無理やり立て直そうとして葛藤しているのね。確かに頑張ってはいる。しかしながら頑張り方を間違えているのね。まず今自分はそう言う気持ちでいるって確認ね。

そんな中、出来る事と出来ない事があり、やりたい事とやれる事は全く違うと言う事。だから、今出来る事を探して、その出来る事を何も考えずにひたすら繰り返し、それはただ切るだけ。

なのにそこから逃げたい気分が、何か形のタイルを張るって言う弱音。しかしながら、それと同時に質や構想の話を持ち出し、宇宙に見せたい・・・大体、形のタイルなんて、丸、葉っぱにハート

そしてクローバー・・・形あるものって言うのは、宇宙には中々見えないと思うのね。どちらかと言うと、曖昧な形、ほぼ決まりのない感じで、むしろほぼ色に左右され、白いツブツブで星って、

言えば何と無く・・・ってそう何と無くが良いだろうね。つまり形のタイルをそのまま張るって選択は絶対有り得ないのね。じゃ切る事は決定。でも切るには手が・・・。そしたら何も言って無い

のに、左手にしたのね。以前左手で切る事も教えた。そんな日はこうして・・・って、必ず基本通りやれば、やらないよりは進める。ただ普通は質を下げる。その時に、じゃさくらの手はいつ直る

・・・って考えたら、そんな事は判らないし、でも進みたい・・・って気持ちがあったり、気分転換と言うなら、日常と違うとか、いつもとは違うとか、良かろうが悪かろうが、予定調和を崩す

べきで・・・。いつも通りを壊す。そもそもいつもは放置に近いのね。何か困った時だけ。でもそれは日常でのさくらが調子の良い状況判断出来る中での話で、調子が悪いって事なら、さくらの

考えは全く持って当てにならない・・・と考えるべきで、考え方だが、そんな時こそ指導になる。それで大きな失敗をさせずに進めもするって具合に。そう言う点で、自分の考えで左手にしたのは

調子の悪い右手を捨てたのは正解。ただその選択止まりになるのは、見なくても判ったんで説明。
まずその左手でニッパーのに切り方、脇を締め手首を体に付け、そして刃を浅めに・・・と言った

基本動作の確認をする。ここで難しいパーツを切る意識を持つ。例えば4分の1とか、半分、丸・・と言った図らなくても判るサイズって言うのは、頭に大きさを理解させる事が簡単なのね。

でも今、切ろうとしているサイズは何?って時に、口で説明出来ないのね・・・大体この位って感じにね。つまりそんな人が切ると、適当になるのね。もはやその場その場の感。しかも調子が悪い

のにね。だからここをしっかり理解させるのね。自分の頭に。その時に師範代になるパーツが欲しくなるのが普通の人なのね。真似をしたくなるから。書道のオレンジのあれね。

ただ良く考えて欲しいのは、真似た所で書ける訳無いじゃん・・・なのね。だってまともにやったって、書ける訳無いじゃん。すぐ書けるならみんな段持ちになっちゃうよ。しかも調子が悪い。

ここで頭に理解させるのは、折角調子が悪いんだから・・・。って折角を付ける。これで調子が悪いながら、前向きになれる。そして更に左手で切る。ほら精神論だけで乗り切ろうとしている。

そりゃ無理でしょ。そこで、俺が見本のパーツを切っても無理なのね。そうなるはずが無いから。だから、今の自分、つまり左手で切れるパーツを見本にする。これくらいかな?って思うパーツを

ね。まずそれを毎回見ながら、10枚続けて切って見る。そしてただ切るのでは無く、成功を一軍、失敗をクビとかクズ、ゴミなんて言い方でも良いから、立ち直れない言葉にして、その間に、

切り直せば使える・・・って言うのを二軍と名付けて、切り終わったらそこに置く。一軍ならレギュラーとして見える缶にでも入れて置き、二軍を一軍に一人でも多く入れるようにする。

当然失敗もするから、クビにもタイルは集まる。でも良く考えるのね。今成功と思う側に2枚ある。つまり今の所、2割打者。10回やって8回失敗している・・・こう取るのが調子が悪い人の考え

になるのね。でも二軍にまだ控えているから、1枚でも成功すれば、イチローくらいにはなる。しかも利き手じゃ無いのに。それが、もし3枚成功したら、半分は成功した事になるのね。

こう考えれば、気持ちはいくらか楽になり、前向きに進めるのに、右手と同じグレードーを求め、出来ない事を卑下し、いつもだって満足に出来ないのに、こんなザマで・・・と追い込む。

まぁさくららしい考え方なのね。そんなに自分を責めて、プレッシャーを掛けて、乗り切れる訳無いじゃん・・・しかも調子が悪いのに。そして物作りは自分自身・・・つまり日常にその考えを

持ち込めば、残ったものは意地しか無いのね。そりゃ悪循環になる。つまり今出来る事はこれ・・って自分で切った見本に忠実にし続け、キチンと現状を振り分け、成功を増やすしか無いのね。

たださくらの性格上、クズ、ゴミのゾーンに入れたものを、自分のせい・・・とか、何とかならないか?って、そっちにスポットライトを当てちゃうのね。だから二軍の時に、何とか整えて綺麗に

って必要以上に切ろうとして、深追いをすると切り過ぎちゃうし、もう気が付いているのに、整えれば使えるかも・・・ってもっと小さくしてしまうのね。もうそれは蕎麦だね・・・ってね。

いくら整えても細ければ蕎麦。それはクズ入り。つまり細くなった時点で、いくら触っても無駄な時間なのね。だからすぐにクズ入りにする。わざとこう言う言葉にしているんだけれどね。

こうした繰り返しをすると、二軍は無くなり、一軍とクズになる。ではここで受けてしまったダメージを救済しないとならないのね。じゃそのクズ何処にも使えないかな?探してみ・・・。

するとここでなら・・・って見つける。だよな、敗者復活部位あるよな。つまりまだ正式なクズじゃ無いよな。じゃまだ一枚も失敗していない事になる。それを頭に叩き込む。まだ失敗してない

・・・と。はい、それじゃまた10枚。って具合にわんこそばのように、終わってはまた、終わってはまた・・・って切ると同時に気持ちも頭に叩き込む。そしたら余計な事は考えずに同じ事が、

繰り返しになる。ただ当然慣れない左手・・・いつしか精神論では切り抜けられなくなる。慣れるって事は必死でその緊張感と向き合い、やり続けた事になるから、疲れる。当然慣れて成功が

増えたはずなのに、続けざまに失敗すれば、そこが休憩や辞め時になる。こうした理屈に沿ったものがマニュアルになる。つまりこんな時の自分マニュアルを作れば良いだけなのね。

それが自分を知るって話になる。いつもいつもそこと向き合わずに、漠然と悩み、悩んだ時間だけが過ぎ、悪い時間帯が過ぎ去るのを待ち、また同じ事例がやって来る・・・それは当たり前で、

何がそうなっているのか?どうしてこうなったか?って言うのを、いちいち検証していれば、傾向と対策が準備出来る。だから是正も出来るが、何でだろう〜って、悪い時に考えた所で、悪いのに

良いアイデアなんて出るはずが無いのね。そもそも良い時に悪くなった時にどうして?の回避や、逃げ切るか準備して置かないと、備えあれば憂いなしになるはずが無いのは当然の事。

ただね、用意する備蓄ってのは、余裕のある人やエリート、お金持ち・・・と言った側の話で、相反する、窮屈やギスギス、やさぐれ貧乏、勿論、健康と不健康と言う対局では、悩みが違う分、用意も準備

も変わって来るのね。しかも心なんて、目に見えないものの備蓄や用意なんて、学校じゃ習っていないからね・・・お坊さんの説法だって、人が死なないとタダじゃ聞けないしね。

つまり教わるにはお金が掛かるし、お金を掛けないのなら、自分で考えるしか無いんだけれど、その自分を自分で理解していない以上、結果は出るはずが無いのね。ただ幸か不幸かさくらは弟子。

その辺の他人よりは割と良く知っている上で、本来の師匠と弟子の関係なら、こうしろ、こうすべき・・・となるが、俺の場合、世間的にそこまでの信用は無いだろうから、自分の1つの選択しか

持っていない人へ、貴方の考え方では無い考え方はいくらでもある・・・ただその考え方が好みか好みじゃ無いか?は別にして・・・って言う選択肢を言うだけで、感が良くなれば、自ずと方法が

見つかるはずなのね。自分らしい・・・ね。それをかたくなに・・・オー初めて知った。変換したら、かたくなに・・・って、頑なにになって、頑固のがんなんじゃん。じゃ言うまでも無く、

そんな場合、人に聞く姿勢は一切無いって人なのね。つまり付ける薬は無いのね。ただ受け入れるって言うのは勇気が必要で、自分が正しいと思っている、思い込んでいる場合、全てが否定に

聞こえるのね。それでは何を言っても届かないし、先生に言われたから・・・みたいに、ほぼ信じていないのに、納得していないのに、曖昧にして進んだ所で、あぁして置けば良かったとか、

何でこんな事をしたんだろう・・・とか、最終的には、先生がこう言ったから・・・なんて、良くある話で、同じセリフでも、常連が言うと笑い話だけれど、日の浅い人では、信頼関係が全く無い

って言う露呈な話になる。まぁ中々、難しそうな話に聞こえるが、簡単な話で、お教室って言えば、テクニックって言った目に見える事だけ教えれば良いのね。後は楽しく趣味だから。

でももし目に見えない事まで教えるのなら、それは所作みたいな事まで必要になるから、習い事となると思うのね。まぁ判りやすく言えば、何とか道ってやつね。柔道、剣道、茶道、華道ね。

礼に始まり礼で終わる・・・こんちわー、ちぇーすぅ・・・みたいなスタートでは無いのね。これがスポーツなら、そんな聞き取れない挨拶と、バカでかい声だったり、そこには礼儀はあっても、

品が無いものだったりして、相撲は例外で道とは付かないけれど、そっち側にあるから、横綱はやれ品格だのって問われるのは、その流れ。戦争と一緒で勝ちゃ官軍って言うのは昔で、今はそこも

品なんてものが合ったりもすると、大谷さんのような例外も出て来る。いずれにしても、曖昧にしても安全に進めるのは、調子の良い時だけで、その曖昧さは調子が悪い時には防げないのね。

さくらの場合は特にそう。しかも根本的に真面目な人だから、投げやりとか、まっ良いかとか、ひとまず・・・みたいな事が苦手なのに、それをやれる事が自分が変わったと思ったりすると、

こんなもん・・・って言えない癖に、こんなの・・・って言うと、調子が悪い時に、こんなの・・ってやったとしても、調子が良い時に振り返り、自暴自棄になる。まぁ聞かなくても判る話。

つまりそんな時こそ、いかに最悪を防げるか?絶対防御にならないと。それにはそう言う自分を知らないとならないし、知る事で卑下する事にもなったりするが、知ると対処も出来るのね。

それを行き当たりばったりなら、今後も、良かったらラッキー、悪かったら、何でこうなっちゃったんだろうを繰り返せば良いだけなのね。全て最初からそうなるようになっているだけだから。

それを気が付こうとせずに、結果次第で反応しているだけで、種を巻かなきゃ何も始まらないし、種を巻いても肥料も水も、外敵からも、守らないと・・・ただ必要以上の管理をすれば、温室に

なるし、それでは野生チックなものは生まれない。人が作った金魚は、手を掛けなければ無くなる。でも野生で強い種属はどんな形でも生き残る。野生でも無く、温室管理でも無くって、

甘いでも無く、辛いでも無く、甘辛いとなるが、右翼でも左翼でも無いって言うのは、左右翼では無く普通だったりもする。何しろ答えなんてどうでも良いのね。こうしたくだらない話の中で、

考え方は1つじゃ無い・・・って選択肢が増えれば、安易に決めつけて思い込むのでは無くて、どれが自分らしいか?って考える事、立ち止まる事が出来るのね。そして決めたら1歩目は勇気。

ここでも気なのね。ここさえ間違えが無ければ、ただ未熟なだけ。反復すれば誰でもある程度、上手くなる。しかしながら、そもそもの1歩目が間違っていれば、甘いのが好きなのに、辛いを選択

すれば、いつもの自分なった時、手が付けられなくなるのは当たり前なのね。こんな例が一か八かって、男前の考え方なのね。そもそも一か八かって、究極の選択なのね。つまり追い込まれた奴の

セリフで、日常は使わない。しかもそんな事を言う奴は、大抵いつも一か八かのどちらかなのね。つまり2つ選択があるフリをして、結局1つしか無いようにそれしか無いって自分を追い込み、鼓舞

しているだけなのね。しかもやり慣れない側でね。当然、この場合、ハイリスクハイリターンなのね。つまり食わず嫌いと同じ仕組みで、究極に追い込まれいつもは食べないものを食べた・・・

結果が良ければ、あっ美味しいんだ・・・となり、駄目なら、吐き捨てるし、一生恨む的な、1日最悪な気分だし、ある意味一生話題に登る感じになる。でも自分からは行かない分、こんな両極端

な結果が生まれる。さくらはそもそも土着民族系なんで、考え方も頑固に1つみたいな方だから、伝統、格式、習い事には向いているけれど、何しろ目が良いから目利きが出来る。

つまり良いものはこれ・・・って骨董商みたいな感じね。でももしその目で物作りしたら、こんなのへっぽこ、こんなの駄目・・・って人には言わなくて、自分だけを責めるスタイルなのね。

絶対に認めないってね。おー面倒臭いのね。ただ厄介なのは、何が簡単で、何が難しいかの区別が出来無いのね。簡単に言えば、肉を焼きますも、ポテトサラダも頑張って作ります・・。なのね。

確かに一見、どんなものでも平等にって、素晴らしい考え方かも知れないが、じゃどっちが高級?みたいに、シチュエーションが変われば、評価は変わるのね。でもそれが認めたくない・・・

たんぽぽもカトレアも同一。考え方はこうなる。じゃお金の無い幼い子供が、母の日にたんぽぽをくれた・・・美談だね。それを今のさくらがお母さんに、はい母の日って渡したら?はぁ?って話に

なるでしょ?SMAPの歌じゃ無いが、綺麗事なのね。そうだと良いね・・・って話で、たんぽぽじゃ口説けないのね。薔薇の花束じゃ無いと。花屋さんに無いのは、雑草みたいなものだから。

だからお金で売買をされないのね。こうした理解の上、そうじゃ無いと良いんだけどね・・・って話なら、痛みも少ないのに、人一倍感受性が強く、いちいち心をを痛めていたら、そりゃ病気に

なるわなっ・・・ってな話。具合の悪い時こそ、心のウミを出す為のオペ・・・みたいな話。ただね、人にこんな事をしたって事は、更に感受性が強いから作家なんかやっているのだったら?

師匠なんて事をしていたのなら?棚に上げてかよっ・・・ってな事になる。だから1人になったら振り返りをしないとならない・・・あぁ言ったものの、俺はどうかな?ってね。毎回・・・。

言えば言う程、面倒臭いのね。ただそれも後4ヶ月・・・これからの期間は、信じる人にだけ伝わる話になるように・・・と願うしか無いのね。4ヶ月後に何も起こらなかったら、今年はおしまい

・・・ただ思った通りになるのなら、今の環境はガラッと変わるはずなのね。何せターニングポイントになると思われるから・・・。だから、その時が来てから言ったんでは、売れたら何とでも

言えるよ・・・って言われないように、売れる前から言わないと・・・言霊にならないから。そして知らなかった・・・とは言われないように、こうして公にして置く事で、知ろうとしなかったと

する。知らなかったとは、俺の存在を知らなかった・・・って場合であって、知ってて、俺の活動や近況を知らなかった場合、興味が無かったからであり、それよりも楽しい事があったり、

気も止める時間も無かったんだろうから、そのままでいて欲しいのね。それを売れてから来られても、あぁそう言う人なんだなっ・・・って思うだけだから。それと、売れれば忙しくなるだろうから、そこに構う時間は無くなるしね。売れると言うのは、その人の時間を奪い合う事なのだから。

俺を必要としてくれる人だけの時間になるだけ。つまり何と無く・・・って時間は無いのね。そうなる為の4ヶ月・・・今しか出来ない事を楽しまないとね。お互いにね。

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