katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁とりょうさん教室と下地

2024-01-05 07:30:41 | モザイクタイル教室
今日は棟梁とりょうさん教室。まずは棟梁から。この位切れるようになると、切る張るって基本に口出す事は無いから、常に話している事は繊細な描写の話なのね。そうなると、オリジナルだから

デッサン力が問われる。ただここまでの絵を描けるって言うのは、かなり上手な人ではあるものの、ではモザイクの腕と画力ではどっちが上手?って事になると、圧倒的にモザイクになる。

例えば、包丁さばきも上手い、味付けも良い・・・こんな人なら、創作料理は絶対に上手いか?って話で、作った事のある料理は上手くても、考えてオリジナルが作れるか?って言うと別物。

例えば、ギターやピアノが弾けると、必ずオリジナルの歌が作れるか?って話で、真似が上手くなった、だからオリジナル・・・って言う流れで言えば、棟梁の場合、大作にチャレンジしている

のは、日常に聴くようなポップスでは無く、交響曲みたいなものを作っている感じなのね。そうなると、ポップスだと、昔なら口ずさめるものだったり、時代にマッチするようなものだったり、

それがその流れを生むと、フォークソングとか、R&Bとか、ロックとかみたいに分野が形成されたりする。つまりモザイクだと、昔なら1cmタイルや、ハート、クローバーと言ったタイルを使い、

タイルクラフト・・・なんて言ってたものが、今ならランタンなんて形のタイルを使って鍋しきなんかを作る事に変化して見たり・・・こんな事がポップスなんだろうね。

こんな場合は、切る事よりも張る事が多いし、切らない事で技術よりも、フィーリングになるから、素敵な組み合わせが出来ると、とても上手く見えるものなのね。だから初めての人でも、

割りと素敵に見えるものが作れたりもする。所が交響曲となると、何らかの楽器が弾ける前提では無いと恐らく難しいだろうね・・・って事になるから、技術を磨くなんて事になる。

それが切る張るって反復なのね。その技術を教える事が無い・・・って所にいるのが棟梁で、ここまで来ると、繊細な描写や、場合に寄っては情緒なんて話になるのね。ここで例えばデッサン力

なんてもんがあれば、オリジナルを描く事が出来る。しかもその絵の通りに切れるし張れる。これなら何も言う事は無いかもね・・・ただモザイクの腕の方が上って事は、手直しする箇所がある絵

って事になる。つまりちょっとした絵がズレたりしていたとしても、気が付かないと、そのままの絵通りに仕上げてしまうのね。つまりその絵の線が何か違うなぁ・・・って気付ける目なのね。

描いたのは自分であって、正解とは限らない・・・って思えれば、直す前提なんだけれど、進む前提だと、何も気付けないのね。それを色だけを気にしている場合、それは塗り絵になるのね。

その感覚は、塗り絵の線は上手い人の輪郭線なのね。だから塗る技術があると上手く見える理屈。でもそれとて、色を混ぜられるから、更にその技術があれば上手く見せられるが、モザイクは、

混ぜられないから、選択になる。それを無いからこれで良いや・・・では、色数はそう増える事は無いのだから、いつまで経っても上手くはならないのね。その色数でいかにそう見せるか?

それこそが腕であり、繊細さなのね。棟梁には徹底的にそれだけなのね・・・指導ってのは、目に見える事だけが指導では無くて、本当に繊細なものは、目に見えない部分だったりするのね。


それをりょうさんの場合は、まだ狙って切る事や、きちんと張る事がおぼつかない。こんな場合、まず徹底的に切る事に慣れる。そこで面倒臭いなぁ・・・って気持ちが取れるまで。

でもそこには多少ザックリな事があって、向こうのコートに打ち込んで・・・少々オーバーしても良いから・・・的なニュアンスで慣れて貰うのね。それに慣れたら、今度はあそこの一角に狙って

打って・・・となると、さっきよりも繊細な分、進まなくなるし、更にここを狙って打って・・・となると、何となくでは合わなくなるのね。本来なら髪の毛をやる前に、普通は表札みたいな文字

なんかをやると、同じ幅の繰り返しを勉強出来るが、それを何個も作るって言うのもね・・・それなら、多少未熟でもこれだけの大作で勉強するって・・・下地代が何個も掛からなくて済む。

ただ小物と違って果てしないのね。そんな中、KAMEYAさんの場合、あれこれと持って行く事は出来ないのね・・・それが出張の欠点。けれどアトリエは何でもある。つまり流動的になる。

同じ事の繰り返しは反復練習って事で、欠かせないものだが、箸休めなんて考え方もある。ただその場合、休めなんだから、メインよりも安めなのね。魚食べてるのに、箸休めにステーキって

おかしいでしょ?って事は簡単な事へ・・・って気分転換って言うのが普通なんだけれど、それをこう考えると・・・って話で、今の髪って言うのは、何個も繋がって一本の髪になる。

それは線の作り方。でも丸、四角みたいな1つで完結な場合、点の作り方になるのね。りょうさんは点の作り方には、ほぼ問題が無いのね。花びらや丸は綺麗に切れているのね。

つまり唇や鼻の点なんて、少し細かいが点なのね・・・確かにそれでも大量製品では無く、一点ものなんだけれど・・・その緊張感で箸休め的な気分転換をして、また髪に戻り、また緊張・・・

この緊張と緩和を繰り返して、同じ事の繰り返しを慣れた気分にさせずに、慣れる・・・こんな繰り返しをしていると、線に戻る・・・髪に戻るって気分になるのね。戻るって・・・簡単では

無いのに。つまりどっちが箸休めでどっちがメインだか判らない感覚になるのね。ずっと髪・・って言うのに気持ちが慣れるのと、手が手慣れるのとは意味が違うのね。これもまた目に見えない

話なんだけれどね。いずれにせよ、これだけの作品になると、もうkameyaさんだけって言うのには、無理があるのね。もはや労作展の彼達と何ら変わらないのだから。

そんな後は、しながわ水族館用下地の切り抜き。

先日の分は切り抜いて、からの

次回分の写しをして終了。

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