katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

仁科タイルさんとさくら教室と・・・

2022-02-14 04:14:34 | モザイクタイル教室

今日は朝から仁科タイルさんが、小学校の卒業制作の下地の取り付けの準備の金具を付けに来てくれたのね。これでいよいよ準備も終わりに近づいて・・・後は最後に型紙切り。

後、半分位残っているが、明日中にこれを終えて、放課後にいよいよ学校に運んで組み立てる予定なのね。そんなこんなで午後からさくら教室。

これが俺が思うに、今日のさくらは調子が悪そうで・・・。それは何故か?と言うと、まず作品は自分自身であると言う事を前提にして・・・珍しくメールでアトリエに来る前に、こんな事がしたい・・・と連絡が来たのね。

確かに行為としては正しいのね。何がしたいかを伝える・・・これは悪い事では無く、こちらに準備の時間を与えると言う点では、素晴らしい事である。けれど・・・なのね、これが常に行われているのなら、普通と言う事なんだけれど、

初めてに近い事なのね。記憶に無いから。つまり良くも悪くも新展開って事になる。しかも、こうしたい・・・って伝えると言うのは、自分の考えを伝えると言う事・・・つまり考えがあって・・・って事になるのね。

そしてその内容が宇宙のようにしたい・・・って事なのね。それを前提に、何が始まったか?なのね。まず宇宙みたいにしたい・・・ってどんな感じに思うか?なのね。普通、宇宙って言うと、暗闇みたいな中に光があるみたいな感じ。

まぁグぐって見たら、そんなもんが出て来るはずなのね。当然、そんな画像が送られて来たのね。その時にそれがそう見えたのなら、一番多く使う色は黒っぽい色になるのね。それがベースとしてあれば、他の部分に何色を使っても、少なく

小さく入れれば、小さな惑星とか、光とかに見えたら、ウルトラマンに出て来るM78星雲も出て来る感じがするのね。つまりベースに選んだ画像を良く見て、それに見える為には?・・・って選ぶのが正しい選択だと思うのね。

その時に間違いやすいのは、画像を選んで置きながら、自分の好きな色を選ぼうとする行為なのね。はぁ?何してんだか・・・って話なのね。これを理解出来ない事が基本とか普通とか、一切無視な癖に自分が作りたい人の無謀な行為なのね。

例えば、宇宙が作りたい・・・って言うのは、スパゲティが作りたい・・・って言っているようなものなのね。じゃさくらの宇宙ってどんな感じ?って具体化しないと、教える方としては共有出来ないと、教えようが無いから、画像で共有となるのね。

当然と言えば当然に暗闇に光だったのね。つまり暗闇があっての光なんだけれど、そうなると、チョコのアイスをベースにトッピング・・・みたいな考え方がベースなのに、バニラやストロベリーをベースにして宇宙に見える?と思うかな。

つまり宇宙の基本が暗闇に光であるのなら、宇宙の普通って暗闇ベースって事になる。つまりあなたのスパゲティの持つイメージは何?って質問に答えないと、トマトなのか?クリームなのか?宇宙のように明確にはならないのね。

じゃ無いと、赤ベースなのか、白ベースなのか?人それぞれのスタートになるのに、決め事が決まらずに、しかも共有出来ずに始めれば、俺はこう思ってた、私はこう思っている・・・って事になるものなのね。

仮にそれでも見える方法があったとする。でもそこに近づくには、基本や基準とは大きく変えて、それに見えるようにするのだから、先人が考えられなかったような事を考えなければならないのね。これは相当考えないとならない事になるのね。

しかも、たどり着けんの?って言う位、果てしないエンドレスな構想時間が考えられるのね・・・やる前から。なのに、今、調子が悪いんで、考えたくない・・・と言いつつ、既に使いたい色を7,8色握っているのね。こらこら・・・何してんだか。

まず、一番大事な事を決める事。宇宙にしたいのなら、いかに宇宙に見えるか?に徹する事。その場合、自分の好きな色なんて二の次であって、いかに宇宙に見えるような色は何か?であって、徹底的に楽譜通りに演奏する事になる。

つまり自分の思いなんてのは、捨てる事なのね。徹する事の方が大事なのね。しかも更に・・・なのね。こう言うと、一見横柄にも思えそうだけれど、もう既にこんな梵字入りなデザインが描かれているのに、宇宙にしたい・・・かなりの無茶振りなのね。

つまりもう作詞が出来ているのに、作曲をそれに合わせに行くのでは無く、やりたいようにやりたいって言うようなものなのね。作詞は無視みたいな・・・ね。それが考えたくない・・・なんて奴が出来ると思う?まず無理なのね。

それは全く逆の行為で、タイルなんてまだ先の話で、答えが出るまで一切触るな・・・考える事以外必要としないって時間帯になるのね。つまりね、考える事が出来るのなら、そっちの道へ行くのも良かろうが、考えたくないって場合は、

基本に忠実って方へ行くしか無いのね。つまりクールボコのギャグでは無いが、考えたくないって言うのに、自由を選ぶ人がいるんですよ・・・なぁぁぁぁにぃぃぃ?・・・この後に続くのは、そいつは黙ってパーツ切り。

つまり構想って言うのは、考える事になる。それを回避するには、考えなくて良い事をすれば、ストップしてしまう事を避けられるし、同じ事が続く事って言うのは、夢中になれる事でもあったりするのね。つまりパーツ切りなら、何も

考えずに進めるし、もっと追い込むのなら、縁取りのような同じ色の繰り返しなんて単調な事は、みじん切りやささがきみたいな感じで、慣れれば俺でも出来るし、何も考える必要が無いから、手を動かすだけで良いのね。

で、結論となると、簡単に言えば、自由と不自由って話なのね。まず自由を選ぶのなら、構想からは逃げられない。いかに自分らしさを追求するか?になるのね。だから徹底的に考える事になる。では逆の不自由って何?って事になると、

それは作詞がしてあるから、作曲だけ・・・とか、その逆とか、演奏するだけ・・・みたいに、だけになれば良いのね。だけ・・・って言うのは、自由好きから言えば、窮屈極まりない事なのね。個性を出せないからね。でも自分を出す事が

苦手な側からしたら、窮屈万歳なのね。人の歌詞のイメージから、作曲をする・・・みたいに、全部考えずに済むし、楽曲は決まっていて、テクニックを屈指してアレンジする・・・って行為は、作詞も作曲もしない訳で。

つまり自分は今回何を選択するのか?って事が一番大事で、それさえ決まれば、それに忠実にやって行けば、大きく外す事は無いから、どんどんと成功の方向に行くはずなのね。しかしながら、自由を選びたいをはき違えると、宇宙にしたい、

この色は使いたい、なら好きな色を選んでも、沢山選んでも良いから、大きく多く入れるんじゃ無くて、少なく沢山入れる事にして、暗闇部分、つまりバックを黒っぽくすれば・・・って提案するも、それは嫌だ・・・となると、もはや

受け入れる事無く、自分の好きにしたいのなら、指導入らずだな・・・今日のさくらはそんな感じだったのね。おやまぁ、一体何があったんだか?って思うが、まぁ大体どんな事が起こっているか?は想像が出来るし、もし俺の想像以上な

事が起きているのなら、この程度の崩れ方では済まないはずであって、作品は自分自身・・・判りやすいものであるのね。もっと簡単に言えば、まっ良いかって進めば楽になる。ラクになれば楽しくなる。これは初心者にお勧め。

それを繰り返して、上手くなりたい・・・と思えば、チェッって言えば良いだけなのね。これでこだわりが出来る。納得行かないのは何故か?って自分と向き合えば、これじゃ無い、これじゃ無いって消去法で残ったものが、正解に近いもの。

逆に正解ってものがあるのなら、そうなるには、どの選択なのか?向き合えば良いだけ。まぁ単純な話なのね。ただその単純な事が、宿題でも無い強制でも無いのに、向き合えるって言うのは、余程の事が無いと難しいもので・・・。

まぁしかし、この話はストレスの仕組みそのものなのね。ストレスって言うのは、自分と自分の脳の意見が割れる事なのね。例えば、良く運転とか、ゴルフなんかをすると、日頃のその人物像とは違う・・・って言われる事がある。

そんな場合、普段はおとなしい感じなのに、スピードを出したり、イライラしたり、言葉に出たり、守らず攻めるみたいに、反対に見えたりする。かと思えば、結婚前に酒を呑ませて本音を聞き出したい男親みたいな話。

理性の利いている日常では良く見えても、タガが外れる酒を呑んでいる状況は本音が出る・・・みたいな話ね。どれもこれもが、深層心理的な物で、心の奥底にある本音な部分。つまり日頃とは正反対だったりすれば、相当負担になる日常。

当然役者では無いから、無意識な状態。って事は、無意識に正反対な事をしているのだから、本人の自覚が無く、消耗している事になる。まさにこれがストレスの仕組み。そしてそれを基礎控除のように、基礎とする土台の上に積み重ねる。

何を?例えば、学力、運動能力みたいに人にはそれぞれ力って言う能力があるのね。所が良い事と悪い事は背中合わせ。あると言う事は、ある事の悩みがあるし、無い人は無いと言う悩みがあるのね。簡単言えば、身長が高ければ、高い悩みが

あって、低ければ低い悩みがある。無いものねだりとはそんな事なのね。話を戻して、能力の中でも厄介なのは、感受性豊か・・・まぁ一般的には良く聞こえる響きの良い言葉だが、この能力の最低最悪な状況は、日常では膿でもある状況。

要するに普通の人は平気なのに、常に生き様が知覚過敏。何事も気になる・・・これがスポーツに生かせるのなら、相手や味方の考え方を見抜き、裏をかいたり、的確に要求通りに動く事が出来る。それは読み取れるから。何しろ人よりも

敏感なのだから。勿論、料理人なら、人が気が付かない微妙な味の違い・・・微妙なタッチ、つまり五感が優れているって事になるのね。でも、優れているって事の弊害があるのね・・・気になるのだから。それを日常で使いたく無いのに、

気になってしまったら?味、色、音、肌触り・・・良いものと悪いものが瞬時に判ってしまったら・・・人との会話でその人の本音が酒も吞まさずに判ってしまったら?・・・日常のストレスは大きいだろうね・・・きっと。

そんな力がある人は、心を強く持たないと、潰されちゃうのね。ただ強く持つって言うのは、頑固って意味では無いし、我を通す事でも無いのね。でも受け入れ過ぎれば奴隷になり、受け入れなければ己の考えのみになるから孤立する。

孤立するとワクチンは生み出す事が出来ないのだから、自力で治すしか無いのね。何しろワクチンはウイルスから作るのだから。今日の俺のウイルスからワクチンを作ってくれると良いのだけれど・・・それを明日中に作れないと、しばらくさくらは沈むだろうなぁ・・・。


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