今日は朝からかぐやと打ち合わせをしようと思っていた・・・提案するにも1人の意見を通すなんてのは、ご立派に見えるようになったのならまだしも、現状の俺では、やってくれる人達が納得出来る提案かどうか?みたいな事は大事であり、その1人のハードルがかぐやと考えるのね。いつもいつも。これはとても大事な事であり、それは親越えみたいな感覚でもあるのね。
そもそも弟子と言うものに、子なんて字が入っている以上、師匠と呼ばれる人は親のような存在だと思われる。勿論、匠なんて字が入っているから技術は大事ではあるが、まず親感覚である・・・と言う事は、教えた分、成長しているとしたら、当然近づいて来る。
勿論、近づいただけなら、親目線で言うのなら、生意気になった・・・なんて表現もするだろうが、その時点でただ近づかれただけのような気もするのね。つまり共に成長しているんだとしたら、そう簡単には差は埋まらないはず・・・。
ただ、もしきちんとした技術に心が付いていたとしたら?・・・それはとてつもない作戦参謀になる。さて、そんな朝、とても普通の滑り出しだったが、ある一言で全てが終わった・・・。それは先日のキウイの時もあった事なので2日続けてやった事になる。
お前はダースベーダーかっ。ってな話。俺にスターウォーズなんてもんを見るように勧めるから、そこから習うべき事を吸収した。当然、俺に勧めたくらいだから、俺よりも詳しいはず。当然、趣旨内容も汲み取れているはず・・・なのに。
あれだけヨーダに過信をするな・・・と言われたのに、戦う技術はあったのに、心1つで悪に心を売る。フォースを操るには心が必要と教わっているのに・・・優れた技術を会得してもフォースを操るのは自分自身。
そもそもヨーダに教わりたい・・・と思って伺って、人を見掛けで判断をし馬鹿にしていた少年は、いつしかその心を正し、精進するのだが、どうしても大事な人を守りたいが故、引き留めるヨーダの元を去る・・・しかし腕があっても相手の悪の心に屈する。
目指すものがある者は、時に残酷なものである。時に人とは違う意見になる。小さなものを守る為に危険を冒すのか?使命をまっとうする為には、犠牲も必要なのか?・・・そんなの映画じゃん・・・って人には、おとぎ話も子供の戯言にしか思えないだろうが、
俺はそうは思わない。良く子供の頃に本を読め・・・なんて先人は言ってた。何で?どうして?・・・単なる押し付けなら、大した役には立たないでしょ?月並みなら、成功者から考え方を学ぶ・・・そんな感じだろうし、字に馴染むと読み書きにも役立つなんて話。
しかし、大抵は受験と共に辞めてしまったり、大人になって忙しかったり、遠のいてしまう人もいれば、習慣のように読み続ける人もいたりする。単純に2極化。読まない人を膨らましても意味は無いから、読んだ人を膨らませると、ただ娯楽として読んだ人は、
何かを会得した学生の頃とは違って、娯楽の1つなら、ゲームやテレビと同じ感覚なんで、特に意味は無いから、単なる時間潰し。けれど、もし純粋な心のままで作者の世界観に入り込む事が出来たとしたら?一体どうなると思う?
そもそも作者はフィクションであっても、そこに作者の考えが入っていて、尚且つ言いたい事が散りばめられている。そう考えると、スターウォーズも心の葛藤を描いているのだから、日常に置き換えれば、全てが生きる教訓になるのね。
そこに気が付くか?気が付いて、それを必要とするか?使えるようになるか?は、全て心持ち1つ。別にぃぃいらないわっ、面倒だわっって場合、ただ娯楽として生きれば良いだけ。ただ、これから知識の受験は終わって行く。覚える事は崩壊して行く・・・。
これからは、恐ろしい事だが、想像力、洞察力、観察力が問われる時代になるらしい・・・受験も変わるらしいから。みんながクリエーターの時代が本格的にやって来るんだろうな。おっと、話を戻して、そうそう今日のかぐやはポンコツで、何の役にも立たない事が判ってしまったのね。
要するに、ただ事務をするみたいにこなす仕事の場合、能率効率のみを大切にすると良いが、提案をする・・・って場合、己の意見が問われる。それは相手を納得させられるだけの何かを持っていないと、ただ一方的になる。
それをただぶつけ合うだけだと、味方も敵になり兼ねない。趣旨は一体何だったか?であり、自分の意見を通す事が目的じゃない。しかしながら、相手に配慮ばかりを考えると、趣旨を貫けなくなる・・・。その為には・・・なのね。
それが個人なら好きにやれば・・・であるが、みんなで・・・の場合、まず1列目と2列目の意見を合致させないと、3列目が戸惑う。こんな単純な事が出来ない・・・いちいち、そんな事は言っていない・・・と、言ったも同然って意味が理解出来ない。
そもそも力を持った人の意見と言うものは、友達同士で話しているような、気楽な会話にはならない。それは影響力があるから。当然、責任が付きまとう。だからこそ、その意見に重みは増すし、しかしながら言い方1つで誤解も招く。
だからこそ、最初は俺からで無い方がスマートだが、何でも例題なんてもんがあるから、例えば・・・なんて切り出したりもする。ただ今までの経験の中から普通は意見って言うのは生まれたりするものなんだけれど、もし経験の無い提案をする場合・・・
それは物事が大きく、責任が問われる話にすれば、一目瞭然になる。例えば湾を締めるか?開けるか?締めれば農家は助かり、漁業は崩壊、開ければ塩害農家は崩壊、漁業は助かる。じゃ半分開けるかっ?・・・こんな事を言えるのは第三者と責任の無い者。
例えば陪審員の通知がやってくれば、必ず向き合わないとならないし、小さな単位なら親であれば、教えないとならないんだろうね・・そんな生き方を。ただ親と同等かそれ以下の子供なら親の通りで良いが、もし超える育て方があるとするのなら?
そんな事を思ったりする。何しろ俺は親をやった事が無いから。ただ、大事なのは3列目のキウイに伝える時に、2列目までのかぐやと俺に曇りない状況で伝えないと、物事ってのは1つになって行かない・・・。それには、3列目に伝える時には1つになっていて
俺でもかぐやでも、どちらが言っても同じじゃないと、全く違って伝わってしまったりもする。それは落語のように同じ演目でも違って聞こえるのとは訳が違うのね。確かにかぐやの立ち位置は非常に不利なのは判る。
それは親に何かを言うような立ち位置なのだから・・・。ただ、それを超えるような意見や提案を出来るようにならないと、いつまで経っても2番にしかならないし、もし万が一、優秀な人が出て来たり、かぐやを超える提案があったりした時、その時の心が、
フォースを扱う心持ちと何ら変わらないとは思うが・・・。そもそもジェダイと言う選ばれしき者は、誰にでもなれるものでは無く、特別な人・・・それは現実にも、人の上に立つ人としての比喩なんで、師匠でも主将でも監督でも、親でも良いと思うのね。
更にそこに技術も問われるだけで。その時に、そうじゃ無い人とジェダイでは背負うものが違う・・・当然生き方も普通では無くなる・・・それが、かぐやが教えたくれたスターウォーズから学ぶべき内容。後はそれを出来るかどうか?
そして果たして俺達はジェダイなのかどうか?・・・なんてね。あはははは。
そもそも弟子と言うものに、子なんて字が入っている以上、師匠と呼ばれる人は親のような存在だと思われる。勿論、匠なんて字が入っているから技術は大事ではあるが、まず親感覚である・・・と言う事は、教えた分、成長しているとしたら、当然近づいて来る。
勿論、近づいただけなら、親目線で言うのなら、生意気になった・・・なんて表現もするだろうが、その時点でただ近づかれただけのような気もするのね。つまり共に成長しているんだとしたら、そう簡単には差は埋まらないはず・・・。
ただ、もしきちんとした技術に心が付いていたとしたら?・・・それはとてつもない作戦参謀になる。さて、そんな朝、とても普通の滑り出しだったが、ある一言で全てが終わった・・・。それは先日のキウイの時もあった事なので2日続けてやった事になる。
お前はダースベーダーかっ。ってな話。俺にスターウォーズなんてもんを見るように勧めるから、そこから習うべき事を吸収した。当然、俺に勧めたくらいだから、俺よりも詳しいはず。当然、趣旨内容も汲み取れているはず・・・なのに。
あれだけヨーダに過信をするな・・・と言われたのに、戦う技術はあったのに、心1つで悪に心を売る。フォースを操るには心が必要と教わっているのに・・・優れた技術を会得してもフォースを操るのは自分自身。
そもそもヨーダに教わりたい・・・と思って伺って、人を見掛けで判断をし馬鹿にしていた少年は、いつしかその心を正し、精進するのだが、どうしても大事な人を守りたいが故、引き留めるヨーダの元を去る・・・しかし腕があっても相手の悪の心に屈する。
目指すものがある者は、時に残酷なものである。時に人とは違う意見になる。小さなものを守る為に危険を冒すのか?使命をまっとうする為には、犠牲も必要なのか?・・・そんなの映画じゃん・・・って人には、おとぎ話も子供の戯言にしか思えないだろうが、
俺はそうは思わない。良く子供の頃に本を読め・・・なんて先人は言ってた。何で?どうして?・・・単なる押し付けなら、大した役には立たないでしょ?月並みなら、成功者から考え方を学ぶ・・・そんな感じだろうし、字に馴染むと読み書きにも役立つなんて話。
しかし、大抵は受験と共に辞めてしまったり、大人になって忙しかったり、遠のいてしまう人もいれば、習慣のように読み続ける人もいたりする。単純に2極化。読まない人を膨らましても意味は無いから、読んだ人を膨らませると、ただ娯楽として読んだ人は、
何かを会得した学生の頃とは違って、娯楽の1つなら、ゲームやテレビと同じ感覚なんで、特に意味は無いから、単なる時間潰し。けれど、もし純粋な心のままで作者の世界観に入り込む事が出来たとしたら?一体どうなると思う?
そもそも作者はフィクションであっても、そこに作者の考えが入っていて、尚且つ言いたい事が散りばめられている。そう考えると、スターウォーズも心の葛藤を描いているのだから、日常に置き換えれば、全てが生きる教訓になるのね。
そこに気が付くか?気が付いて、それを必要とするか?使えるようになるか?は、全て心持ち1つ。別にぃぃいらないわっ、面倒だわっって場合、ただ娯楽として生きれば良いだけ。ただ、これから知識の受験は終わって行く。覚える事は崩壊して行く・・・。
これからは、恐ろしい事だが、想像力、洞察力、観察力が問われる時代になるらしい・・・受験も変わるらしいから。みんながクリエーターの時代が本格的にやって来るんだろうな。おっと、話を戻して、そうそう今日のかぐやはポンコツで、何の役にも立たない事が判ってしまったのね。
要するに、ただ事務をするみたいにこなす仕事の場合、能率効率のみを大切にすると良いが、提案をする・・・って場合、己の意見が問われる。それは相手を納得させられるだけの何かを持っていないと、ただ一方的になる。
それをただぶつけ合うだけだと、味方も敵になり兼ねない。趣旨は一体何だったか?であり、自分の意見を通す事が目的じゃない。しかしながら、相手に配慮ばかりを考えると、趣旨を貫けなくなる・・・。その為には・・・なのね。
それが個人なら好きにやれば・・・であるが、みんなで・・・の場合、まず1列目と2列目の意見を合致させないと、3列目が戸惑う。こんな単純な事が出来ない・・・いちいち、そんな事は言っていない・・・と、言ったも同然って意味が理解出来ない。
そもそも力を持った人の意見と言うものは、友達同士で話しているような、気楽な会話にはならない。それは影響力があるから。当然、責任が付きまとう。だからこそ、その意見に重みは増すし、しかしながら言い方1つで誤解も招く。
だからこそ、最初は俺からで無い方がスマートだが、何でも例題なんてもんがあるから、例えば・・・なんて切り出したりもする。ただ今までの経験の中から普通は意見って言うのは生まれたりするものなんだけれど、もし経験の無い提案をする場合・・・
それは物事が大きく、責任が問われる話にすれば、一目瞭然になる。例えば湾を締めるか?開けるか?締めれば農家は助かり、漁業は崩壊、開ければ塩害農家は崩壊、漁業は助かる。じゃ半分開けるかっ?・・・こんな事を言えるのは第三者と責任の無い者。
例えば陪審員の通知がやってくれば、必ず向き合わないとならないし、小さな単位なら親であれば、教えないとならないんだろうね・・そんな生き方を。ただ親と同等かそれ以下の子供なら親の通りで良いが、もし超える育て方があるとするのなら?
そんな事を思ったりする。何しろ俺は親をやった事が無いから。ただ、大事なのは3列目のキウイに伝える時に、2列目までのかぐやと俺に曇りない状況で伝えないと、物事ってのは1つになって行かない・・・。それには、3列目に伝える時には1つになっていて
俺でもかぐやでも、どちらが言っても同じじゃないと、全く違って伝わってしまったりもする。それは落語のように同じ演目でも違って聞こえるのとは訳が違うのね。確かにかぐやの立ち位置は非常に不利なのは判る。
それは親に何かを言うような立ち位置なのだから・・・。ただ、それを超えるような意見や提案を出来るようにならないと、いつまで経っても2番にしかならないし、もし万が一、優秀な人が出て来たり、かぐやを超える提案があったりした時、その時の心が、
フォースを扱う心持ちと何ら変わらないとは思うが・・・。そもそもジェダイと言う選ばれしき者は、誰にでもなれるものでは無く、特別な人・・・それは現実にも、人の上に立つ人としての比喩なんで、師匠でも主将でも監督でも、親でも良いと思うのね。
更にそこに技術も問われるだけで。その時に、そうじゃ無い人とジェダイでは背負うものが違う・・・当然生き方も普通では無くなる・・・それが、かぐやが教えたくれたスターウォーズから学ぶべき内容。後はそれを出来るかどうか?
そして果たして俺達はジェダイなのかどうか?・・・なんてね。あはははは。