katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

何だかチグハグな感じだったが・・・

2018-01-21 08:09:44 | モザイク作家
今日は朝からかぐやと打ち合わせをしようと思っていた・・・提案するにも1人の意見を通すなんてのは、ご立派に見えるようになったのならまだしも、現状の俺では、やってくれる人達が納得出来る提案かどうか?みたいな事は大事であり、その1人のハードルがかぐやと考えるのね。いつもいつも。これはとても大事な事であり、それは親越えみたいな感覚でもあるのね。

そもそも弟子と言うものに、子なんて字が入っている以上、師匠と呼ばれる人は親のような存在だと思われる。勿論、匠なんて字が入っているから技術は大事ではあるが、まず親感覚である・・・と言う事は、教えた分、成長しているとしたら、当然近づいて来る。

勿論、近づいただけなら、親目線で言うのなら、生意気になった・・・なんて表現もするだろうが、その時点でただ近づかれただけのような気もするのね。つまり共に成長しているんだとしたら、そう簡単には差は埋まらないはず・・・。

ただ、もしきちんとした技術に心が付いていたとしたら?・・・それはとてつもない作戦参謀になる。さて、そんな朝、とても普通の滑り出しだったが、ある一言で全てが終わった・・・。それは先日のキウイの時もあった事なので2日続けてやった事になる。

お前はダースベーダーかっ。ってな話。俺にスターウォーズなんてもんを見るように勧めるから、そこから習うべき事を吸収した。当然、俺に勧めたくらいだから、俺よりも詳しいはず。当然、趣旨内容も汲み取れているはず・・・なのに。

あれだけヨーダに過信をするな・・・と言われたのに、戦う技術はあったのに、心1つで悪に心を売る。フォースを操るには心が必要と教わっているのに・・・優れた技術を会得してもフォースを操るのは自分自身。

そもそもヨーダに教わりたい・・・と思って伺って、人を見掛けで判断をし馬鹿にしていた少年は、いつしかその心を正し、精進するのだが、どうしても大事な人を守りたいが故、引き留めるヨーダの元を去る・・・しかし腕があっても相手の悪の心に屈する。

目指すものがある者は、時に残酷なものである。時に人とは違う意見になる。小さなものを守る為に危険を冒すのか?使命をまっとうする為には、犠牲も必要なのか?・・・そんなの映画じゃん・・・って人には、おとぎ話も子供の戯言にしか思えないだろうが、

俺はそうは思わない。良く子供の頃に本を読め・・・なんて先人は言ってた。何で?どうして?・・・単なる押し付けなら、大した役には立たないでしょ?月並みなら、成功者から考え方を学ぶ・・・そんな感じだろうし、字に馴染むと読み書きにも役立つなんて話。

しかし、大抵は受験と共に辞めてしまったり、大人になって忙しかったり、遠のいてしまう人もいれば、習慣のように読み続ける人もいたりする。単純に2極化。読まない人を膨らましても意味は無いから、読んだ人を膨らませると、ただ娯楽として読んだ人は、

何かを会得した学生の頃とは違って、娯楽の1つなら、ゲームやテレビと同じ感覚なんで、特に意味は無いから、単なる時間潰し。けれど、もし純粋な心のままで作者の世界観に入り込む事が出来たとしたら?一体どうなると思う?

そもそも作者はフィクションであっても、そこに作者の考えが入っていて、尚且つ言いたい事が散りばめられている。そう考えると、スターウォーズも心の葛藤を描いているのだから、日常に置き換えれば、全てが生きる教訓になるのね。

そこに気が付くか?気が付いて、それを必要とするか?使えるようになるか?は、全て心持ち1つ。別にぃぃいらないわっ、面倒だわっって場合、ただ娯楽として生きれば良いだけ。ただ、これから知識の受験は終わって行く。覚える事は崩壊して行く・・・。

これからは、恐ろしい事だが、想像力、洞察力、観察力が問われる時代になるらしい・・・受験も変わるらしいから。みんながクリエーターの時代が本格的にやって来るんだろうな。おっと、話を戻して、そうそう今日のかぐやはポンコツで、何の役にも立たない事が判ってしまったのね。

要するに、ただ事務をするみたいにこなす仕事の場合、能率効率のみを大切にすると良いが、提案をする・・・って場合、己の意見が問われる。それは相手を納得させられるだけの何かを持っていないと、ただ一方的になる。

それをただぶつけ合うだけだと、味方も敵になり兼ねない。趣旨は一体何だったか?であり、自分の意見を通す事が目的じゃない。しかしながら、相手に配慮ばかりを考えると、趣旨を貫けなくなる・・・。その為には・・・なのね。

それが個人なら好きにやれば・・・であるが、みんなで・・・の場合、まず1列目と2列目の意見を合致させないと、3列目が戸惑う。こんな単純な事が出来ない・・・いちいち、そんな事は言っていない・・・と、言ったも同然って意味が理解出来ない。

そもそも力を持った人の意見と言うものは、友達同士で話しているような、気楽な会話にはならない。それは影響力があるから。当然、責任が付きまとう。だからこそ、その意見に重みは増すし、しかしながら言い方1つで誤解も招く。

だからこそ、最初は俺からで無い方がスマートだが、何でも例題なんてもんがあるから、例えば・・・なんて切り出したりもする。ただ今までの経験の中から普通は意見って言うのは生まれたりするものなんだけれど、もし経験の無い提案をする場合・・・

それは物事が大きく、責任が問われる話にすれば、一目瞭然になる。例えば湾を締めるか?開けるか?締めれば農家は助かり、漁業は崩壊、開ければ塩害農家は崩壊、漁業は助かる。じゃ半分開けるかっ?・・・こんな事を言えるのは第三者と責任の無い者。

例えば陪審員の通知がやってくれば、必ず向き合わないとならないし、小さな単位なら親であれば、教えないとならないんだろうね・・そんな生き方を。ただ親と同等かそれ以下の子供なら親の通りで良いが、もし超える育て方があるとするのなら?

そんな事を思ったりする。何しろ俺は親をやった事が無いから。ただ、大事なのは3列目のキウイに伝える時に、2列目までのかぐやと俺に曇りない状況で伝えないと、物事ってのは1つになって行かない・・・。それには、3列目に伝える時には1つになっていて

俺でもかぐやでも、どちらが言っても同じじゃないと、全く違って伝わってしまったりもする。それは落語のように同じ演目でも違って聞こえるのとは訳が違うのね。確かにかぐやの立ち位置は非常に不利なのは判る。

それは親に何かを言うような立ち位置なのだから・・・。ただ、それを超えるような意見や提案を出来るようにならないと、いつまで経っても2番にしかならないし、もし万が一、優秀な人が出て来たり、かぐやを超える提案があったりした時、その時の心が、

フォースを扱う心持ちと何ら変わらないとは思うが・・・。そもそもジェダイと言う選ばれしき者は、誰にでもなれるものでは無く、特別な人・・・それは現実にも、人の上に立つ人としての比喩なんで、師匠でも主将でも監督でも、親でも良いと思うのね。

更にそこに技術も問われるだけで。その時に、そうじゃ無い人とジェダイでは背負うものが違う・・・当然生き方も普通では無くなる・・・それが、かぐやが教えたくれたスターウォーズから学ぶべき内容。後はそれを出来るかどうか?

そして果たして俺達はジェダイなのかどうか?・・・なんてね。あはははは。






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キウイ教室

2018-01-20 07:37:58 | モザイク教室
今日はキウイ教室だったけれど、かぐやも繋いで3人でこれからの打ち合わせ・・・。正式に決まっていないので詳しくは言えないが、仕事が1つ、エントリーが1つ、そしてイベント参加が1つ・・・それをどうやって廻して行くか?

更に言えば、後何個か話はあって、ただ難しいのはきちんと決まったものなら人数を確保に動けるが、いつ?規模?何1つ決まっていない話をされても、動きようが無いのね・・・ただ大抵は決まったらすぐ。ただ、こうして3人だけでもそれを話せるのは助かるが・・

どんな話か?って簡単な話で、こんな話があるんだけれど、1か月に何日来られる?・・・ただそれだけ。ここが難しい所でね、上手くなった人達には、こうした話が来た時に必ず相談するのだけれど、自分の作品を進める事だけがお教室って言う人の場合と、

上手くなりたいって趣旨の場合の人とでは意味が全く違ってしまうのね。要するに今はお教室主体で活動出来るのは、特に支障を来さない日程だから、生徒さんの予定に合わせられるが、そうした決まっていないものが正式に決まった場合、そちらが優先になる。

そうなると、きちんと毎月同じ日の場合、それを避けた予定を立てられるけれど、いつものように自由には取れなくなるかも知れないのね・・・ただ、それがご新規さんでは変更はしづらいが、相席が出来ると、横で他の事をしながらでも出来る可能性もあるし、

もっと言えば、日頃の腕を試す機会でもあって、自分の作品では味わえない刺激にもなったりする。ただ決まったのなら、規模やら日程を相談出来るが、決まっていないのに話せるのは、予定が空いていたら?では無く、予定を空けてくれる方向であるから。

しかも腕があるから完全なる代わりのいない戦力として・・・。ただ手伝って見たい・・・それも戦力であり、その人に出来る事をやって貰えれば、その数が増えるほど、大きな事が出来る可能性が広がるのね。

まっ、いずれにせよ、1つは来週正式な話になるだろうから、その時にお話出来るとして、そんな中、今日のキウイは、昔作ったワインテーブルのような大きさのモノを2人娘がいるんで、もう1つ・・・と下地になるものを買ったものの、訳あって破損。

そこで直したものの、元には戻ったけれど、前回購入したものよりも見劣りする・・・って事で、また探すにしても、直ったからこの下地も勿体無いからやる・・・って事になったが、難しいのは腕がある分、より良くするのは簡単だけれど、こだわれば時間が掛かる

・・・しかし、そんなには時間を掛けたくない。ただ何度も言うがそんなには・・・とは、どんなか?そこを具体的に言えないと、上手くなった人は必ず手間の掛かる方へ行ってしまうのね・・・そんな例の1つが棟梁の根付風味の小物だったり、おかみさんの鍵掛け

・・・根付風味の小物は小物なのに2日間で3つだったり、鍵掛けに至っては、一体何十時間掛かっているのだろうか?って話。ただ、当然、上手くなった人達が時間を掛けるのだから、仕上がりに間違いは無く見事な完成になる。

ではキウイが何と無くなんてやってしまったら?・・・たけしさんの作品、貝合わせ・・・何もかも小物の時間では無いのね。自分でも判っているから、そうはしたくない・・・だからこそ、具体的にどんな感じって言うのを決めるべきのね。

ただここが間違いやすいんだけれど、具体的に決める・・・って言うのはあれこれ決めるんじゃなくて、この作品はどんな感じの結末になるか?の想像を具体的にする・・・って意味なのね。例えば娘の結婚の時に渡す・・・って決めたとする。

3日で終わるようなものなら大したもんじゃないね・・・要するに手塩に掛けた娘の横に置いても良い作品は、それ相応の時間は掛けるべきで・・・例えば16歳だったとすれば、今から始めても、16歳と0歳・・・つり合うはずが無い。

果てしない気持ちで作ると良いんじゃないのかな?・・・別に毎日作っている訳じゃないのだからね。だから、そう言う気持ちで作るのなら、きっと慌てずに良い作品になるだろうね。でも、今回の作品はそうじゃないもの・・・じゃどの程度?

それを例えば、次のイベントで売る・・・そんな場合、数か月後となる。すると、自宅でやらないのなら、アトリエで作る事になるから、1か月に3回のキウイなら、3か月掛けるのなら9回で仕上げる事になり、1回は目地だから、8回の張り上がり。

それにはどうするか?・・・って考えると、2回のバックを引くと、6回の中で出来る絵なり、模様となる。ほら簡単に想像出来るのね。じゃ何をメインにする?とか、メインは無しで模様にするのなら、どんな模様を繰り返す?とかの話になる。

まっ、考え方1つなのね。それが大作を作っているような人の場合、遺作を作っているような感じなのね。つまりその作品はその人自身であって、そんな作品が苦しく無く作れると思う?簡単なはずが無いでしょ?つまり果てしなくて普通。

それに取り組める姿勢になると、慌てないし、いつも通りにいつも分進めば良いだけ。いつかやっていれば終わるのね。しかし、それが出来るようになってしまうと、良い事と悪い事は背中合わせ。そんな人は小物ですらこだわる。

しかも意識無く。だからタチが悪いのね。こだわっている意識が無いから、思ったよりも時間が掛かって来ると、まっ良いか・・と進める事が出来ない進め方に慣れてしまっているので、時間を捨てて質を取る。当然、質は上がるが果てしなくなる。

とは言っても、根付風味の小物なら、人間の手に持てるパーツの大きさは決まっているので限界がある。つまりこの中に100パーツを入れる事が出来ない以上、何個入れると終わる?って言うのが、やる前から想像が付く。その時点で何か月も掛かる事は無い。

けれど、おかみさんのように例え20cmくらいであっても、空白の中に考えながら作る場合、モチーフから考えて行くのと、犬やらニッパーやらの形が決まっている下地とは全く意味が変わって来るのね。悩み方が全く違って来る。

つまり空白は1から10まで全て自由に決められる・・・しかし、全て下絵を描き終えてモザイクを始めるには、絵が達者ならサラサラっと描くだろうが、そうは行かなければ、メインを描いて作りつつ、それを見てから描き足すみたいな進め方になる。

では形の決まっている根付風味は・・・と言うと、形が輪郭のみで判る場合、好きな色を選んでクラッシュを入れるだけでも仕上がるが、棟梁くらいに自由な形が切れるようになると、出来ればリアルに作りたい・・・と思うんだろうね。

となると、ただ入れれば良いとは思わないから、こだわりの形で入れようとする。しかし、形が彫ってある以上、そこに入らないとならない・・・ここなのね。入れば良いだけなら、細く、細かくすりゃ良いじゃん・・・ここね。

ある程度の大きさの下地なら、それでも通用するが、細くだの細かくって表現を簡単に入れられる・・・と思えば思う程、痛い目に合うのね。それは紙をハサミで切るように切れ味がスパンとタイルは切れないのね・・・。特にぺきぺきはね。

表面の色の部分より下の方の釉薬が掛かっていない部分が、出っ張ってしまうと、表面はピッタリなのに、下が入らない・・って事が起こるのね。それを切ろうとしてパキッと折れました・・・なんてのは当たり前で、子供の頃の縁日の型抜きみたいなもん。

細いだの細かいが簡単な訳無いのね・・・しかし、出来ると判断していればいるほど、実は過信なのね。それを初めてだから・・と心構えがあったとするのなら、常に初心。これこそが初心忘れるべからずって意味なのね。恐らくね。

この心掛け1つで、失敗してもダメージを押さえられるが、過信を過信と思わずに取り組めば、成功すればするほど、失敗した時のダメージは大きいし、当然上手くなったって思われれば、当然そう言う眼で見られる訳で・・・。

上手くなるってのは技術だけじゃないって事なのね。心技体なんて言葉は知っていて、意味も説明出来たとしても、じゃそれを実践したり教えられる?って言うと、それはそう簡単じゃないのね。そもそもが読んで字のごとく・・・なんてのは、理解した上。

言葉なんて単に伝えるだけの手っ取り早い手段に過ぎず、いかに身に付けるか?は技術は繰り返しである程度何とかなるけれど、心はきちんと作らないと、そう思っていた・・・何て言うのは、単なる思い込みであって、子供の言い訳と大して変わらないのね。

思っていたら出来るし戸惑いもしない。思いもよらなかったから出来ないのは当然だけれど、だからこそ、そうならない準備をする訳で・・・まっ、考え方は受験みたいなもん。判ってるぅぅなんて言うのは、判らなかった証拠。単なる言い訳。

ただ間違えは誰にでもある。それを認められるかどうか?そして是正出来るかどうか?そして次に生かせるかどうか?ただこれだけ。
別に必要無いのなら本当に必要無い話だが、必要な人にはこれからの人生なんて話にも繋がる・・・。

教える、教えられる・・そんな関係性にはお互いの成長は付き物。成長すれば考え方も変わるし、置かれる環境も違う。これは責任って言うものが付いて来る。末端なら言われた通りで良いだろうが、成長すれば知恵も付く。言われた通りにのままでは無い。

教えられる側が教えた分、成長をするだけなら、日に日に種芋のように痩せれば良いだけで自然の摂理。しかし、それなら普通。教える側が教えた分、痩せるのでは無く、その成長から新しい何かを吸収すれば、また新たなる指導は生まれるはず。

だから常に勉強なのね。本来は親になる歳。そうして親になった人達がいるのに、そこにはなれなかった以上、それとは違う何か?を手に入れないと・・・そもそもの存在価値を見出せないのね。まっ、そう言う点では、今日の3人の話、実になったのね。

中々前向きな話も出来たし、これからいかに膨らませられるか?は、1人じゃないだけ心強い。そんな話。


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棟梁とおかみさんの相席教室

2018-01-19 00:02:08 | モザイク教室
今日は棟梁とおかみさんの相席教室。ただ棟梁は先日の根付風味の小物の犬作り。と言う訳で完成したのね。まぁ、この完成度なら楽しくてしょうがないんじゃないのぉぉ・・・って感じなのね。お世辞無しでお見事・・・お疲れ様だったのね。

ただこの完成度・・・完成前に既に娘さん達に取られる話になっているらしいのね。まっ、そうだろうね・・・。それでもそれはそれで作り手としては、欲しがられるって言うのは悪い気はしないだろうしね・・・

おかみさんは、本当に本当のいよいよ・・・って感じになって来たのね。


バックの色も決まって・・・。まっ、その決め方なんだけれど、いつも言っている色を決めるって時に、一体どんな感じに仕上げようか?って悩む時に、例えば、困った時は今まで自分のやって来た事を振り返るのね・・・すると、花に目が行ったとする。

窓の中にいる2羽の小鳥がいる・・・そう見ると、2羽の小鳥を照らす電気のような・・・ここね、ここ。のような・・・比喩。もしそう見えたのなら、暖かく照らして欲しいかな?って想像すると、暖かく・・・だから暖色系はどれが使えそうかな?とか、もし2羽が、

オスメスのつがいに見えたのなら、ラブラブにしたい・・・と思ったら、暖色系でラブラブ色はどれか?みたいに、もっともっと限定されて来る。どう仕上げたいか?って質問は、こう言う事なのね。そう言う思い入れには意味があるが、ただ似合う色かどうか?なら

バックをコロの淡い色を選んだ時点で、ほぼ何色でも大丈夫。ただ逆に淡いからどの色も似あうから悩む事になる。いつもの良い事と悪い事は背中合わせ・・・だから、絞る為にもこうした連想ゲーム的な考え方をお勧めするのね。

勿論、この考え方は、物には必ず理由がある・・・って考え方だから、面倒くさいとか、そんな事は無いとか、否定的スタートな人にはお勧めしないけれど、ただ単に自分の好みのみを拾い集めるよりは、結果が出やすいとは思うのね。

それは好みなんて言うのは、その日の気分なんてもんでコロコロ日替わり。安定感も無ければ、説得力も無い。ほぼ感のみなのね。
ああだ、こうだと悩んで作って来て、最後の最後に感なの?・・・でしょ?これを一貫して感なら、それはそれで良いと思うけれど、

感のみでずっと続けるのなら、恐らくそこまで程度しか上手くならない。簡単な話で、例えば何回も何回も切るを繰り返して行ったとするじゃない?すると、必ず切る事に慣れて上手くなって行く。最初は道具の持ち方、使い方に四苦八苦だったりしたのに、きちんと

根拠の元に、こうすればこうなる・・・と繰り返していたのね。そうやって知らず知らずに身に付けた技術を感で進めるのなら、今後も成長はしない訳なのね。だって技術はあっても感なのだから・・・。要するに切る技術に見合う考え方が必要になるのね。

それで技術に見合った考え方も身に付いた時、そこで初めて感を使うのね・・・直感ってね。ここで使う感は、色んな技術を持ってしての感・・・そりゃ信じるね・・・俺も。それは単なる思い付きでは無いからね。根拠を持った上での感なのだから。

何しろ目に見える技術の結果は判りやすいが、目に見えないモノの考え方の技術は想像力、洞察力、観察力みたいなものだから、一般的には必要では無い事ばかりなのね。ただもし何でも良いから、オリジナルに手を出した瞬間、これは必須になる。

料理だって、仮にカレーを作ったとしても、普通には無い素材をウチは入れるんだよねぇ・・・これこそオリジナル。でもそこに至るまでは何回も色んな事をしただろうし、もしかしたらお母さんのお母さんの伝統かも知れないけれど・・・。

いずれにせよ、面倒な話になっちゃったけれど、オリジナル感とは・・・ってこんな事だったりすると思うのね。そう言う点でも、この2人の作品は十分楽しめている作品になっているのね。

方や下地はありきで中身を自由な棟梁。方や、中身も自由なおかみさん。結果もこれだけ付いてくれば、お見事としか言う事は無いのね・・・だから、一言なら、良かったね・・・。そんなこんなお教室の後は、次の根付風味の下絵。

また日曜日に彫る予定なのね。

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亀有カルチャーの春のキャンペーン用のサンプル作りと・・・・

2018-01-18 00:39:02 | モザイク教室
今日は亀有カルチャーの春のキャンペーン用のサンプル作り。昨日の晩にホームセンターのはしごをして材料を揃えたものの、その後、かぐやと話して・・・一旦白紙にしつつ、さてどうするかな?・・・って考えていた時に、一通のメール・・・。

何だろう?と思うと、ネット販売作品が売れたようで・・・それがこれ。


これは数年前に作ったナンキンって金魚なんだけれど、結構昔は色んな金魚屋さんやら養魚場に行ったが、生で見たのは数度って感じのかなり珍しい金魚なのね。ただ三大地金の1つで、土佐錦、地金と並ぶ由緒正しい金魚なのね。

ちなみに地金って言うのは地元・・・って感じみたいで、出雲ナンキンとか、土佐の金魚の土佐錦とか、地金は何処だったっけな?
まっそれはそうと、発送準備をしなくてはならないのだけれど、かぐやが午前中仕事なんで、出来る事を・・・と油塗りなんかをして

・・・梱包準備。そんなこんなで、かぐやが帰って来て、すぐさま発送。ただ雪で遅延って話みたいだけれど。いずれにせよ、有難い話なのね。そんなこんなバタバタした感あり・・・だったが、即日発送だから、何とか手際良く出来たと思うんだけれど・・・。

その後は、また根付風味の下絵・・・気が付くと11時廻ってて・・・明日はお教室なんで帰宅。

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みどり教室と根付風味の小物の販売準備

2018-01-17 07:30:50 | モザイク教室
今日はみどり教室なんだけれど、いつもの大作では無くて、根付風味の下地でギター作り。実はあるアーチストのファンで、これをプレゼント出来る機会があるらしく、その人のギターを作るって話で下地も作ったのね。ただ、今日はそれ以外にもやる事があって、

まずはある企画にエントリーするんで、みどりからその報告をかぐやと聞いたのね。ただ提案を考えないとならないので、その趣旨確認をして・・・、その後は根付風味の小物の皮ひもが、かぐやから送られて来たので撮影。と言う事で、第一弾は犬シリーズ。



これをホームページで販売する予定なんで、ご興味あったらご連絡下さい。それと生徒さんに限っては下地のみの販売もするので、そちらもどうぞ・・・。って宣伝もして・・・後は内容説明。

これらは全部色んな銘木を使っているので、正直全ての木の値段はマチマチで、モノに寄っては倍以上違うものもあったりするんだけれど、今回は値段は統一って事になったのね。それと木の色、これは着色したものでは無く、木そのものの色なのね。

ニスを塗っただけ。初めて見る人は何か色を塗ったのかな?と思う人もいるだろうけれど、元々そう言う色なのね。それと年輪だったり、幹や枝、コブによっても雰囲気が違うし、色合いも色々違って、全てが1点モノ・・・小物と言えども侮れないのね。

それと暫定で付けていたヒモも変えて、本革仕様にした事でグッと感じが良くなったのね。これはかぐやが制作なんだけれど、市販されているものだと1500円位はしちゃっている・・・正直、俺もビックリしたのね。ただ雰囲気は抜群に良いのね。

これをホームページ内で随時販売して行こう・・・って話なのね。それでは、みどり教室・・・と言っても、ぺきぺきで作る小物。今更教える事は無いよね?・・・と思いきや、やると判るのね・・・真似る事の難しさをね。

そもそも絵を描くって言うのなら、本物よりも小さくしても割と繊細に真似て描く事が出来たりもするが、タイルを切るって事になると、この大きさの中に全てのパーツを切る事は不可能になる。つまりデフォルメ・・・特徴を掴み大袈裟に表現をする事になる。

ただ、その選択を間違えると、突拍子も無いものになるし、場合に寄っては似ていなくもなるし、入らない・・・なんて事になると、出来ない・・・にも繋がったりするのね。しかも・・ここが一番辛い事で、人に上手い・・・なんて言われるようになると、

厄介なのは大作で上手く見えているのは、繊細さであって、いつもの繊細さを封印されたら、他の何かで補わないとならず、しかも、たったこれだけの大きさなのに終わらない・・・みたいに思われる・・・えっ?そんなに掛かるのぉ・・・みどりさんなのに。

って感じね。それこそが上手い・・と人に評されるようになった人が受けるプレッシャーなのね。更に、もしこれが上手く行ったとする。それをプレゼントする・・・そんなものをもし友達・・・なんて人にあげたりしたら?・・・必ず誰かに自慢をする・・。

もしそれが、共有する人だったとしたら?・・・私も・・・とか、仮に共有しなかったとしても、あっ、私、友達だから頼んであげるよ・・・と安請け合いされたりすると、きっぱりお断り出来るならまだしも、断れないとしばらく続く可能性がある・・・。

何故なら上手くて素敵に見えて、タダだから。ただね、これにも続きがあって、タダって訳には行かないから、材料代は出すから・・・ってまるで親切なセリフを言われたりする場合もあるのね・・・ここに大きな落とし穴があって・・・。

その本来の持つ意味・・・そこに気付いてしまうのね。つまり材料費は払うから・・・は、言い方を変えれば、どんなに上手く素敵に見えても、素人なんだし、友達なんだから、私の顔を立てて、チャカチャカって作ってよ・・・材料費は払うから。

こう言っているのね・・・でもね、もし上手くて素敵なものなら、また手にした人が自慢をするのね・・・そうすると、いくらするの?って聞かれても、あっ、材料費だけで作って貰ったぁ・・・と言われれば、じゃ私も・・・になったりするだろうね。

これがね、へたっぴなら誰も良いって言わないから、欲しいとも言われないし、増してお金を出す・・・なんて、材料費すら払えないだろうし、もっと言えば、自分で作れる・・・なんて思われたりもするんだろうね。まっ、モノ作りの残忍な話。

俺はだから、上手くなった・・・と判断したら、絶対にプレゼントは簡単にはしないでね・・・上手い人は必ず付きまとう話だから・・・と念を押すのね。ただ本人に自覚が無いと、私は・・・そんなに・・・なんて思って、やってしまうと、大抵は大なり、

小なり味わう事になるのね。勿論、みどりにもそんな話はとっくにしてあって・・・ただ芸能人へ・・・なんで、特に問題は無いと思うけれど、まっ本当に評価が正しいと、バンドメンバーが良いな・・・って言われたら、オファーが来るかもね・・・。

そんなぁ・・・なんて言う時代でも無いでしょ?みんなネットでアーチストなんだから・・・。全ての人は平等なのですよ。見つかって見出されれば、その価値の適正価格になるだけで、何も不思議な事は無く、普通と言えば普通の話。

決めるのは全て見ている人の判断だし、価値観は見出した人のもの。作り手は作る事へのこだわりまでの話。まっ、それは置いといて、憧れの人へのプレゼントなら、その位、良いな・・・って思われる位で丁度良いんじゃないの?ってな話。

そもそも、あっどうも・・・って、渡す瞬間だけで、お蔵入りされるのが普通でしょ?・・・けれどもし、それを付けてツアーに出掛けていたり、スタジオの取材の壁に掛けられていたのを雑誌の写真で見掛けたりしたら・・・?夢のある話じゃないの?

だったら、そう思われるような気持ちで作んないと・・・それをテクニックで逃げ切ろうなんて・・・大体、良く言うでしょ?例えば、目のあるものなんかの表現に動き出しそうとか、心が入っているとか、魂を入れたとか・・・あれあれ。

どうやって?・・・そんな人は目を閉じてお祈りすると龍を出せたり、空に向かって手を広げて呪文を唱えると、UFOが呼べたりすると思うのね・・・ただね、習った訳じゃないけれど、あくまで個人の見解で話せばね、要するに病は気から・・のようなもの。

つまりその人の心持ちはいかなるものか?なのね。祈ったり、唱えたりしても、龍もUFOも出ないと思うのね。しかしね、作るって言うのは現実に積み重ねて本人の問題なのね。じゃ、どんな気持ちで作るのか?って言う話なのね。

それを子供だから、こんなので良いっか・・・でも大人の人じゃそんな訳には行かないか・・・みたいに器用に使い分けられる人は、知名人だったり、予期もしない金額で作って欲しい・・・と依頼されたら、じゃ金額に応じて・・・毎度ありぃぃって、

作れるのだろうか?となると、そこがプロとアマの違いで、そうなりたい・・・と取り組んでいる者と、一切のプレッシャー無しで取り組んだ人では、イレギュラーな事は予定調和では無いから戸惑う訳で。そもそもそんな人にプレゼント出来る機会なんて、

彼氏や旦那レベルでは無く、憧れの人なのだから、どんなモチベーションになるか?となると、初恋の君に渡せるかな?恥ずかしいな・・・でも・・・気に入ってくれるかな?・・・色んなモノ貰うだろうし・・・そんな想いを浮かべられたとしたら?

その人の大事なギターを作るのだから・・・って気分で作ると、ここがこうなっている・・・とか、こんな色じゃないかな?とか、似せよう、近づけようと良く見ると思うのね。ただ、良く見れば見るほど繊細に作りたくなる。大作で身に付いているからね。

でも下地は小さい・・・いくら繊細にやろうとも限界がある。しかもだ、しかも、タイルは自分の好きな色は無い。都合良く自分の色は作れない。だから似せる事は出来ても、そっくりにはならない。ここが分岐点みたいな場所で、じゃこれしか無いから・・

まっ、良いかって気持ちになると、これもあれもまっ、良いか・・・だって無いんだもんになる。つまり似て無くても平気になる。それを何とか保とうと無理をすると、これはある、これは無いのかぁ・・でも、これはある・・・みたいに、あるものだけは

使おうとするのね。でも変じゃない?このボディにこのつまみの色が合うのに、無いからこれで良いか・・・って。つまり、似せるって言うのは、無ければ無いなりに・・・の本当の意味を理解しないとならないのね。要するに本物の色をこれに見立てたとする

・・・だったら、つまみはどんな色に見えるのか?・・・それが数学の公式の〇:〇=〇:〇みたいな話で、ここに同じ数字を2つ入れたんでは話にならないが、同じ数字を右にも左にも1つずつ使っても同じ事。大して変わらない。

全く違うものを入れてイコール風味に見せる事がテクニックだと思うのね。勿論、そっくりに見える色があるなら、それに越した事は無いけれどね。しかもイコール風味に見えるとバランスが良くなる。バランスって話もこれに当てはまるのね。

それが左右対称のようにピタリと一緒みたいだと、フォーマルに見えたり、ちょっと崩れると着崩しみたいな感じになる。それがやじろべえみたいにフラフラしながらもバランスが取れるとお洒落感は増す気がするのね。

それを同じものを置いて見ると、助さん、助さんでどうだろうか?双子ですって言えば良い。それをあえて、助さん、角さんにするのは、将棋の飛車と角みたいなあんな感じにも思えるし、風神雷神のようにバランスは取れているが同じものでは無い・・・。

そんな話にも繋がるのかもね。話は戻して、想いが強過ぎて似せられない・・・では挫けるし、まっ、良いか・・・では粗雑。それをただ似せようだけでは、ある色だけは使おう・・・になるし、そこを無いなら無いなりに変化をさせる・・・。

その変化の考え方こそがオリジナルであり、人それぞれって事になるのだが、ごった煮みたいな中での人それぞれ・・・って考え方では、目指さない人も目指す人も色んな人が一緒の中では人それぞれの意味が変わって来る。

目指す中の人それぞれでは切磋琢磨なんかがあったりするが、楽しむだけならそんな事は一切いらない。けれど、いらなくて良いのは個人的に楽しむ場合だけで、人にプレゼントした時点で色んな事が起こり得る・・・そんな話。

おっとまた脱線。心持ちって言うのは、誰に・・・でも変わってしまうし、想いの込め方も違うのね。しかも知らず知らずに、欲張って出来ない事までやってしまったり、逆にこんなには・・・と安全安心な事ばかりになってしまったり・・・。

今日の気分に寄っても変わっちゃう・・・なんて事もあるんだろうし、そこを終わるまでは一定に保つ。じゃないと、二転、三転してしまうのね。なのに、腕は正直、いきなり上手くはならないし、急に下手にもならないのね。

ただ考え方だけは変えようと思えば、簡単では無くても一瞬に変える事は出来る。上手くなった人が大事になるのは、やはり技術の前に心持ちの安定にある・・・こんな事が、心技体なんて言う人達の集まりで習う話だと思うんだけれど・・・。


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キウイとデイ・サービスと根付風味の小物

2018-01-16 07:32:33 | デイ・サービス
今日はキウイと定期的になったデイ・サービスの3回目。ただね、朝4時には起きちゃったんで、洗濯はするわ、シャワーは浴びるわ、じゃアトリエに行って仕事するかぁ・・・になり、ペーパー掛けなんかやったりして・・・。そんなこんな始まり。

1回目は12月に年始めで絵馬、2回目は違う日に絵馬だった事で、内容としては2回目の今回は、前回いきなりタイルを切る・・・って事で、戸惑っていた人がいらしたんで、今度は一切切らない・・・って、

内容にしたのね。ただ縁取りのガラスタイルは仕込んで置いて、今日は目地もやって貰う事で、一通りの工程を体験して貰うって事にしたのね。すると、結果はこうなったのね。


好きな色を色々と入れる人、色ごとに並べた人、三角を入れた人、そして市松と言う隣り合わせの色を変えた人・・・。ついつい口を出してアドバイスをしがちだけれど、俺が過去の2回で体感した事は、内容の良し悪しよりも、出来た・・・って事が大事。

ただ難しいのは楽しむ事だったりする・・・普通はこんな事を流してしまう。こんなに全然違う意味をね。要するに出来た・・には、結果が必要だから、その結果に納得するかどうか?も問われると思うのね。楽しいは途中経過であっても楽しめる。

例えば子供にタイルを切らせたとする。もはやモザイクをするよりも切る行為を楽しむ。けれど実はモザイクの為の切る行為であって、その技術を持ってして完成させると、出来た・・・と言う達成感に繋がった時に、楽しかった・・・となる。

これが体験ってものだと思うのね。つまり出来ないかも・・・って不安もありつつ、出来た・・・だから楽しかったってね。けれど、ただ切り方を教わり切れると思い込んだ子供は、切るんじゃなくて割る事が楽しいと思い込む。

そこには結果と向き合わない・・・そんな楽しさがある。ただそこには結果が無い分、いつか飽きる。勿論、こう言うと、出来たの方が良く聞こえそうだけれど、当然結果の良し悪しで詰まらない・・・なんて事もあったりするから、良い事と悪い事は背中合わせ。

だから、どちらか一方が良いって事は無いのね。ただそこに行く事になった趣旨は何?って事になると、モザイクの出張教室となると、お好きにどうぞ、とずっと割るだけで楽しい・・・って事では無いし、けれど出来なかった・・・って結果が出ないのも困る。

けれど無理に・・・もまずいし、適当な教材探しをして行かないと・・・って言うのが教える側の課題になる。それで今回は切らないスタイルで、その分、ご自分で目地もする・・・って事にすると、やはり皆さん早く張り終わったのね・・・。

それが全員40分以内で終わったのね。予定としては1時間位は掛かると思ったのね。そうなるように・・・と、色数を持って行ったつもりだったが、皆さん好みがはっきりしていて、色に迷うって事が無く、スイスイと選んでしまうのね。

そこに迷う時間が全く無ければ、張るタイルの数はみんな一緒だから、器用不器用はあっても、条件は一緒になる。例えば隣り合わせの色を変える市松にした人は、同じ色が揃うと何にも意味が無くなっちゃうので、配置を確認しないと張れないのね。

けれども、色を悩めばどの色とどの色が合うかな?・・・と自分の趣味趣向に合うものを探さないとならない。色を悩むのは子供だろうが大人だろうが考えるって事は平等なのね。つまり考える時間って言うのは、上手く行くとグレードアップに繋がるのね。

つまり上手く行けば考えなかった人よりも良く見えたりする。けれどそれは体験の上を行くものであり、普通はそこまで考えないのね・・・つまり普通はカルビであって、そんな事を考えると上カルビって事になる。

そしてその体験によって、あぁそんな事が出来るのかぁ・・・と人のを見て、今度は・・・って言うのに繋げる事で、上手くなるなんて、寺子屋式の良さが個人レッスンとは違う事になったりもするのね。でも逆に1人特化した事で、私は出来なかった・・・・

なんて後ろ向きになってしまう人もいたりするが、それが普通であって、最初から出来ている人は上カルビって事なのね。今までの会場ならこんな事もあったりしたけれど、デイ・サービスはそんな経験値は吹っ飛ぶ事が毎回だったりする・・・。

例えば軽いボールの投げっこをみんなで輪になってやっていたが、ワンバウンドにして取るのかな?と思いきや、ライナーなの?とか、フェイントで隣に投げちゃうの?・・・とか、女の人にも容赦無い早い球なの?とか、ご老人だから・・・と思っていた事が、

見ていると思っていた事とは全然違うし、塗り絵をしていると、驚くほど繊細な人もいれば、塗る事に夢中になって、花の色を葉っぱにも塗ってしまったりして・・・お母さんそこ葉っぱですよ・・・と言うと、あっいれないぃぃって気が付いたりする。

でも明らかにそんな事は関係無く、はみ出ないだけを意識しているだけの人もいたりして・・・そんな中、前回お会いしている方がいたんでご挨拶をしたら、えっ?って顔をされるので、どうしたんだろう?と思ったけれど、ハッとした・・・のね。

あっ、忘れちゃったんだ・・・俺は初めての人なんだ・・・そっか・・・そうだよな・・・そう言う場所だったよな・・・って。そうかと思うと、ネームの横に生年月日が書いてあるんだけれど、昭和3年って・・・言うのにも驚かされたけれど、

他の方を見ると大正生まれって・・。えっ、その方がボール投げてたの?・・・・お元気でビックリなのね。おっと話を戻して、目地を皆さんに順番にやって貰ってもまだ時間がある・・・そこで次回なんですが・・・と先日の梅にウグイスのサンプルを見せて

このクチバシ難しそうでしょ?だから、切る練習をしましょう・・・って切る特訓教室をやったのね。まっ、特訓って言っても、3回位切って貰っただけなんだけれど・・・そんな中、1回目に小鳥が作りたいって言ってた方がいて・・それでこんなの作りました

・・・って言うと、あっ、それ私だぁ・・・って方がいて、その方は最後まで1人何度も切っていたのね。こんな事1つ見ても、こんなのやって見たい・・・って熱心な方もいるし、これでも大変だったって方もいるし、1つのサンプルでまかなうのは難しい。

そんな中、先日の絵馬を褒められたぁ・・・って言う方がいて、それは良かったぁぁ・・・出来れば趣旨として、完成品を人に褒められるって言うのが目標なのね・・・だから、俺も嬉しいぃぃのね。良かったのね、何よりなのね。

とても嬉しそうに話していたから・・・あの顔をする人はまたやって見たい・・・と思うだろうし、きっと出来た事として本人が嬉しいのは出来たって事で良いが、褒められて嬉しい事が楽しいにも繋がったりするだろう。

そんな人が多くなる・・・そんな提案が出来れば良いな・・・とも思うが、何とか完成したって人には、それでも出来た喜びに感じられる下地なんて言うのも作って見たいし・・・いずれにせよ、今日も何とか無事に終わったのね。

そんなこんなでアトリエに戻って朝の続きをして完成。


そんな中、かぐやと亀有カルチャーの提案についての相談と、もう1つ来週お会いする事になった打ち合わせの電話の報告。何だか賑わいがあって何よりなのね。

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根付風味の小物の下地作り

2018-01-15 04:54:21 | モザイク作家
今日は朝からせっせと根付風味の下地作り。かなり本気でやったんだけれど、何しろ今まで結構作った事もあって、随分と手際良くなったのね。こうすれば・・・って言う事が多々あり、いちいちつまづかなくなったのね。どんな事に悩むか?って言うと、例えば・・

まずいつものようなお教室の下地に使うアガチスって木は、柔らかく1回でも彫り下げる事が出来たりするが、刃を出し過ぎると刃を痛めるし、場合に寄っては細かい部分が吹っ飛んでしまう・・・なんて事があったりするのね。

これを是正するには、同じ下地を何度かに分けて彫り下げる。そうすると、手間は掛かるが、意外と細かく繊細な部分を切り抜けられたりもするのね。それによって、ひらがなでここまで彫れるようになったのね。

他にはザックリだと、白っぽい銘木は柔らかめなんで、電動糸鋸で輪郭を彫る時に、ギターの形なんて言うのも彫れるが、黒っぽい銘木は、コクタンなんて言うもので、仏壇なんかに使ったりするもので、物凄い硬いのね。そうなると中々切れないのね。

そうなると、こんなに小さいものになると、余白部分が無いと、その木を持っている部分が少ないから、切るに切れないのね。それが柔らかいのなら、もう少し小さいのも切れるだろうが・・・・コクタンはもう限界って感じ。

だから、コクタンのパレットの形なんて、今の技術では不可能なのね。そんな中、大家さんにお昼はご馳走になってしまうわ、干し柿まで3時に頂いて・・・。すると、好き嫌いが多いのに、干し柿なんて渋いの食べられるんだぁ?ってからかわれ・・・。

ただ乾燥芋も父が茨城出身なんで良く食べる事があったせいなのか?干し柿も食べる機会があったのかなぁ?田舎で幼い頃から食べた記憶があるんだよねぇ・・・。そんな中、大家さんは庭の手入れ。また色んな事してたのね・・・。

天気は良いし、中々の進み具合だったのね。こっちも下塗りまで終わったんで、後はペーパーを掛けてニス塗り。

そんな訳で下地は完成したけれど、一体タイルを張るのにどの位掛かるのか?・・・今までは何と無く張っていたけれど、今度は時間も気にして、一体どの位出来るものか?・・・って言うのを考えて、値段も決めようと思うのだけれど・・・。

ただ、生徒さんから下地が欲しい・・・って何人かに言われているんだけれど、かぐやとの相談で下地の値段はほぼ決まったのね。これで聞かれても値段を答えられるんで、生徒さんから注文されても制作しやすくなったのね。

それと、ここからは亀有の生徒さんだけの話なんだけれど、展示してあったコルクボードが欲しい・・・って事で、どんな色があるか?って事で、乗せて欲しい・・・と頼まれたんでアップ。


随分と昔に作ったものだけれど、ここに来て欲しいって言われるのはとても嬉しいのね。以前の下地はそんなに間違っていなかったのかも・・・って思えるんでね。ただこうしてある物なら提供出来るけれど、また新しく作るとなると、中々難しいのね。

何しろその時の勢いで作ったもので、改めて1つだけ頼まれると、それはそれで完全に1点モノになっちゃうんで・・・値段も変わって来ちゃうのね。ただこの下地も途中から自分で描いた下絵を彫ってあげる・・・なんて特典を付けてもいたんだけれどね。

だから、その時点で1点モノにかなり近くはなっているんだけれどね。それもこれも生徒さん特権みたいになるのなら、お教室の趣旨でもあるオリジナル制作らしいんで、ここの売りになれば・・・って気持ちなんだけれどね。ここだけ・・・実に響きが良い。

根付風味の小物もいつかこんな風に、あれやりたいな・・・って言われるようになると良いが・・・。


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亀有カルチャーと根付風味の小物

2018-01-14 01:13:03 | モザイク教室
今日は亀有カルチャーの日。昨日の晩に支度しといたんで、アトリエには寄ったけれど、別に何事も無くのはずだったのね・・・けど、2人に年始のご挨拶したんだけれど、何か様子が変・・・何だろう?って思っていると、先生・・・絵馬は?って。

あっ・・・あれか・・・それがデイ・サービスが終わった時に絵馬が1枚余ってて、何か間違えていたのかな?と思っていたのね。一体何で間違えたのかな?・・・って。完全に勘違いしていたのね。先月の画像も見て、絵馬をやっていたし・・・。

けれど、言われて思い出した・・・・もう1つの絵馬欲しいって。ただ不幸中の幸いだったのは、この菖蒲と鮎の下地を持っていた事で、何とか何も出来ない・・・って事だけは免れて・・・そんな中、絵馬はそれでもやりたいって事で来月になったのね。

完全に俺のミス・・・確認したんだけれど・・・何やってんだかっ。そんなこんなのおかみさんは・・・。


流石に終盤なんだけれど、何しろメインを交わして張らないとならないから、行く先々に邪魔になる事が多いから大変なのね。そんな中、2人共に、根付風味の小物に興味を持ってくれて・・・感想として画像で見るよりも厚みがあるって。ただ触り心地は良いって。

こう言う生の感想は次の展開の参考になるのね。さてそんなこんなアトリエに戻ってから、根付風味の小物の下絵写しをして・・・けれど、おかみさんに頼まれた下地の木が良い大きさが手元に無くて・・・またもくもく館へ。


戻って昨日の目地をして・・・次なる下絵へ・・・。

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かぐやと打ち合わせしつつ、根付風味の小物

2018-01-12 22:39:19 | モザイク作家
今日はまず先日の東錦の表札の方から、番地のモザイクを頼まれていてね・・・完成はしていたんだけれど、発送していなくて、そんな訳でまず発送から。そんな中、かぐやが、根付風味の小物に付ける紐がようやく出来たらしく、いよいよ販売に向けて準備も終盤。

そんなこんなで半日終了。それから今までやってて、昨日の下地のギター以外は張り終わったんだけれど、画像の撮り忘れ。
明日は亀有カルチャーだけど、帰ってからと、翌日の日曜日が空いているから、まだ少し作れるのね。

後少し・・・何作って見ようかな・・・

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根付風味の小物とデイ・サービスの2月分のサンプル

2018-01-12 01:45:41 | モザイク作家
今日は何しろ順番に出来る事から・・・と、まずは来週のデイ・サービスの準備がしたいのだけれど、今回は何人なのかなぁ?って事で連絡を入れると・・・7人って。正直、連絡が無かったから、今回はダメだったかな?・・・と覚悟もしていたんで、ホッとって感じ

になるのだけれど、それを聞いて安心じゃなくて、折角順調なのだから、継続したいのね。となると、来月の提案が大事になって来る訳で・・・じゃ何にする?って事になると、普通に考えたら、2月に作るモノと言ったらお雛様だったりするんだろうけれど、

他に無いもんかねぇ?・・・とかぐやと話している中、何かイメージとして作ったものが、ご家族に見せた時に、えっ?これ作ったの?みたいにならないかな・・・・?って思ったのね。そもそもが、今回は余り切らない提案だった事もあったりして・・・。

正直、試行錯誤の模索中・・・そんな中、前回小鳥がやって見たい・・・って言ってた方がいらして、小鳥ねぇ・・・って事で、梅にウグイスで季節柄どうなんだろうか?・・・って言うと、今までの場所では和風過ぎて難しい提案だったと思うけれど、良いと思う。

って言うのがかぐやの見解で、梅にウグイスなら、男女共に出来るんじゃないのかな?って言う事もあり、作って見たのね。


まっ、ちょっと今までとは雰囲気が違うのが出来たような・・・これをお爺ちゃん、お婆ちゃんが作って来たら、ちょっとご家族がビックリすんじゃないのかな?・・・ってイメージにはなったのね。そんなこんなで3回目の提案用のサンプル完成。

そんな中、ネットで遠方の店から買った銘木端材が到着して・・・・まだしばらく根付風味の小物は続くと思うのね。

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