katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

体験教室と店舗確認

2024-12-21 00:09:16 | 体験教室

今日は朝から体験教室。何か遠方からいらしてくれたらしく、よみうりランドの方から・・・って。何とも有難い話なのね。さてそれでは・・・。

まぁいつもの事なんだけれど、五角形のタイル以外は割と自由って事で、サンプル通りでは無くて良い・・・って事にしているから、どうしようか?って悩む事

があるにしても、それが楽しい・・・って思う人には、魅力的だし、何も考えずに色だけ変化させるって言うのもありだったりして・・・。何か青が好きみたいで・・・。

葉っぱのタイルを使わずに六角形のタイルを使って、全体的にシックな感じしたみたいなのね。まぁなにはともあれ、キチンとまとめて来たのね。

良い感じに仕上がって何よりだったのね。その後は、昨日の話の続きで・・・

この他に1つ加えた3店舗にピエロの壁画の玄関の床をセットで・・・って話で、さてさてどうしたもんか?前回はピエロってお題で家族の紋章って事で

進めたが、オーソドックスなら店舗だから看板って事になるだろうし、って事は文字中心って事になるんだろうが・・・・そうね、例えば書道ってどんなイメージ?

って聞かれた時に、書き初めとか・・・って感じの場合、普通って感じに思えないかな?それが体育館なんかで、でっかい筆でダイナミックに書いたと思ったら

ちょっとした絵なんかが入ったりすると、思っていたイメージと掛け離れる。例えばバスケットで身長170cm・・・って言うと、思っていたより小さい・・

感じがするし、180cmくらいは当たり前って感じたり、ブラスバンドで座って演奏って言うのと、立ったり座ったり、場合に寄っては踊る・・・なんて言うと

結構な差が感じられる。つまり普通は看板は文字・・・って思えば、それがシンプルって事になるし、逆にポップって言うのなら、字体が可愛かったり・・

何らかの絵が入ったり・・・その上、お洒落を高級なんて思って、1000円カットって言うリーズナブル感が親近感なんてもんに繋がるのに、高級感を出せば

入店しずらい・・・って雰囲気にならないような・・・かと行って、フレンドリー過ぎればチープな感じになり過ぎるし・・・。丁度良いって難しいのね。

しかも、ここで俺の応援がてら・・・なんてもんが入っているとしたら?お互いに目立つ事、インパクト、アピール・・・なんて事が含まれているだろう。

ただその場所に応じたりしたいしね・・・この店舗はここがメインだろうな・・・ってスペースにドーンと・・・みたいなね。ただ例えばモチーフって

考えると、ハサミやクシ、そしてバリカンくるくるポールだったりする。ただそれが普通なら、王道側になるとして、邪道・・・つまりそれでは無いもので、

目立つとなると、そっくりなモノマネでは無くて、おフザケチックなポップな文字だったり、逆に格式的にキチンとしている文字でちゃんと・・・って言う、

目立ち方もあると思うんだけど・・・何しろその店舗の丁度良い探し。


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ピエロの壁画完成

2024-12-20 06:08:26 | モザイク作家

今日はピエロの壁画の残りの目地入れ。朝若干、小雨って感じで・・・ただ準備をしていれば止むだろっ・・・って問屋に行って目地を買ったり、足場を

積み込んだりして到着する頃には曇天って事でスタート。

養生をして・・・

頭がギリギリ入るような狭さなのね・・・

昼過ぎには終わったんだけれど、その頃には晴れてて・・・そんなこんなで終了。とうとう完成したのね。そんな訳で亀有店にいらっしゃるって事で集金。

そんな中、玄関の床と店舗の看板を相談されて・・・現場を見に行ったのね。まぁここまでやると、玄関の床はやりたくなるし、玄関の側面の看板を見れば

店舗に・・・って言うのは、普通に考えられるし・・・いずれにしても、何処まで何が出来るか?多少ラフ画でも描いて持って行って・・・って話なのね。

ただ決まれば来春のスタートの仕事が決まる感じではあるのね・・・。


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今年最後の高洲のサークル

2024-12-19 00:55:22 | 高州のサークル

今日は今年最後の高洲のサークル。しかもしばらく振りに全員集合となり、とても賑やかだったのね。そんな中、キョンキョンが8年になる・・・って。

そうね、絵馬で戻るととても判りやすいのね。そっか・・・そんなになるのかぁ。確かに今のウエルカムボードを見れば、その位の実力になるかぁ・・・。

改めて・・・ビックリなのね。そうなると、なおみぃぃは・・・?

とか、のりちゃんとか、

どの位になるんだろうか?・・・そしてお母さん。

タピオカ・・・

そしてキウイ。

まぁ凄くて当然か・・・更にそんな中、タピオカが多治見の近況を話してくれたんだけど、明らかに観光が増えた・・・って。タイル人気なんだろうね・・・

良いじゃないぃぃ・・・インスタなんかが賑わって見えるのは、どうやら本当みたいで・・・何より。何しろ準備さえしていれば、後は果報は寝て待て・・

なんて言うのだけれど、貧乏性なんで色々やれる内はやっとかないとね・・・まぁ何はともあれ、みんな集まって良かったのね。


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くじらの新作下地ほぼ完成

2024-12-17 22:21:59 | 下地彫り

今日もくじらの新作下地。2枚目と3枚目を彫ってギザギザカットにペーパー掛けをして、ニス塗りを2回して完成となるのね。

原画に忠実に彫ったと思うが、この辺止まり・・・って言うのが本音。

これを

こんな感じで・・・

それともう1つが・・・

こんな感じね。人魚・・・ってのは、丸い部分をモザイクするけれど、後はこのまま出展なのね。人目を引くと思うんだけどね。まぁしかし、地味ぃぃに

時間が掛かってしまったのね。


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棟梁教室とくじらの下地

2024-12-17 07:07:43 | モザイクタイル教室

今日は久しぶりの棟梁教室。まぁこの1年何しろ体調を崩したり、怪我をしたり踏んだり蹴ったりって感じで・・・弱っていたのね。そんな中の教室。

って言うか、相談とでも言うか・・・大作を作っていると、鍋敷きをやっているのとは違って、数年掛かるからその中であれこれとこうした事が起こるのね。

勿論良い事だって起こるから、新しい家族を迎えるとか、逆に亡くなるなんて事もある。その時に杏さんのようにウチの犬って限定した場合は、ウチの犬だけ

の事になるが、棟梁やピエロの壁画のように、家族の紋章みたいな感じに、その人の人生みたいなテーマの場合、色んな登場人物だったり、趣味や物だったりすれば、

色んな事が起こるのね。だから追加モチーフなんて事もあるのね。ただもう残りのスペースは少なくなるし、でも入れたい・・・幸い残っているから出来るし、

でもただ入れるのでは無く、素敵になりたい訳で・・・。ではどうやったら?そんな思いの丈に該当するのか?って事になるんだけれど、あれこれへっぽこな

事はあるものの、心はしっかりしていて、気がしっかりしているのなら、技の心配なんて一つも無いから、後は体って事になるが、そこは俺ではどうにもならない。

心技体なんていつでも万全なんて中々揃わないんだけれど、何しろ棟梁はメンタルがもろい・・・まぁ恐らくその心の部分の病は気からで相当、体に影響した

と思われる。後は環境に馴染むなんて事も、水が合わないなんて表現があるように、魚は水が合わないと死ぬからね。引っ越した訳じゃ無いのに・・・なんて

単純に思う人もいるだろうが、仕事だってそう。会社は変わらずも部署が変われば全てが一から・・・なんて事もある。そんな事でも平気な人もいるし、

全く話にならない位、立ち上がれないようになる人もいる。それはお祭り金魚を同じ日に同じ環境で投入したのに、一夜で死ぬ金魚もいれば、何十年も生きるものもいる。

こんな比喩なのね。ただ人間は感情を持つ生き物なのね・・・特に。そこの部分を沢山持つ人と持たない人って分けたとすると、持つ側は感受性が豊かとも

言う事になる。感性だの感受性が豊か・・・こんな言葉を好む人がいるんだが、それは持たない側や少ない側の意見で、全ては良い事と悪い事は背中合わせである。

この事を理解していないからなのね。つまり豊かって表現は、ガソリン満タンってイメージだとすると、常に満タンが当たり前で普通と思っているのね。

それを良いなぁ・・・って普段満タンにしていなくて、半分にしとこう・・・節約、節約って意識し減らしている側からすると、まだ半分しか減って無いのに、

また満タン・・・なんて思うかもね。でも満タンが普通だと、減っちゃったって思うもので・・・逆に言えば、半分にしとこうって人は、ランプが付いたら

入れようかなぁ・・・って感じにギリギリでも平気って感じだったりする。この比喩はガソリンってメーターありきの話で、感受性って言うメーターは無い

のね。つまり人の体や心って言うものにも、実はメーターがあって、でも無意識だと自分では感じないから、それを世の中では自覚の無さと言うのね。

感受性豊かって言うのは、人一倍とか、人よりも多めとか、みたいな話で、じゃどんな特性があるか?そしてどんなマイナスがあるか?なのね。

常に良い事ばかりじゃ無いから。これがもし生かされるのなら・・・例えば、微妙な違いに人より気が付く。味を整える時、さじ加減、繊細な切り方・・・

じゃスポーツ。盗塁するタイミング、ピッチャーの球種、投げる癖だったりを見抜く目だったり・・・要するに五感が優れているって事なのね。では逆。

悪い事は、普通に生活を送ってしまっている場合、宝の持ち腐れになる。つまり豊かを活かす場所に恵まれない。その場所が趣味って遊びや戯れの居場所では

1人だけ浮く。しかも普通では流せるものだったり、忘れられる事が、一生引きずる・・・当たり前で、読んで字のごとく、人よりも感じ方や受け方が豊かだから。

当然、ニュースを見て嘆いて、悲しみ、ドツキ漫才がいじめに見え、スポーツは戦争に見え、負けた者の悲しみを背負い、全てに感情移入をする・・・。

まっ弱わればお医者さん行きだろうね。それが豊かじゃ無い普通側なら、喉元すぎれば熱さは忘れるし、人の噂も七十五日だし、忘れる能力に長けている。

そんな中、全ての人が若さって言う武器で、悲しみや辛さ、理不尽な思いなど、負の気持ちや心を稼いだお金と若さのフットワークで、楽しみと交換する。

この繰り返しが人生。勿論これはディフェンダー側の考えだから、楽しみ追求って言う側なら、フォワードとして、楽しい事を嗅覚で察知出来るだろうし。

ただねぇ、人はいつしか衰えるのね。小倉さんじゃ無いが、好きなゴルフも歩けないと出来ない。段々出来る事の許容範囲が狭くなるのね。

いつもいつも同じでいられる・・・おー過信の塊。みんな平等に歳を取っているのに・・・いつまで若さに頼っているんだか。そんなもん、使い減りしない

もんかねぇ・・・素晴らしい世界一の包丁は研がなくて良いのかね・・・恐らく料理人なら毎日研ぐのね。そう言う点では、趣味と言ってこれだけのものを

作るのだから、コツコツ進めている棟梁は技は身に付けたと思うのね。つまり心技体と言うのなら、技が抜群であるとするのなら、心と体はどの位見劣り

して見えるのか?つまり棟梁が必要なのは心や気と言った、目に見えない事の方が大事なのね。例えば、アスリート。めちゃめちゃ毎日すり減らして鍛える。

だから強靭になるのに、やり過ぎて壊れる。怪我をする。何故?これでもか、これでもかって努力をする。でもやり過ぎた・・・何故やり過ぎたか?なのね。

そこに負けたから・・・なんて人と比べて、後少しだったのに・・・だから今までの量では越えられない・・・ってもっともっとって、休まず続けるんだろうね。

ライバルの存在はそうした事の繰り返し。自分の限界なんてもんはそうした切磋琢磨から生まれたりもするが、そこに身を置くって怖いのね。これを仕事と

するのなら、出世するって言うのは、年功序列なら歳で良いから、悩みは少なくて済むが、異例の出世なら、若くて年配の上に立つ・・・精神的なダメージ

を受けるだろうね。みんなと一緒で出世しなければ、お手々繋いで仲良くいられたのに・・・。って思える人は良いけれど、妬みや欲望、嫉妬・・・。

何せ感情の生き物だからねぇ・・・人間は。人と付き合えば色んな事があるし、でも孤独にはならない。独りならしがらみは無くなるが、孤独になる。

まぁ簡単な話なのね。まぁ棟梁はこっちの人間だって事なのね・・・あははは。黒いアヒルの自覚を持つ事だな・・・。ってな話。普通のお茶飲み話。

ただ普通って自分中心で考えるから、大谷さんの周りには超一流の選ばれし者しかいないし・・・普通なら普通の人達になる。その大谷さんが一流の人が

憧れるのを辞めましょう・・・って言うのね。そうキチンと努力して叩きのめす機会を伺う・・・そしてその日が来るのを待つ。やっぱそうなると、戦の前に

団子用意しないとなぁ・・・ってな新作落語チックな話ね。まぁ、近々で言うなら、割と棟梁シャキーンって感じね。そんな後は、くじらの下地。

とは言うものの、これはモザイクをする為の下地じゃ無くて、これで仕上げて展示販売用なのね。そもそも俳句ってのは、短冊のようなものに書いたり、

色紙に書くもの・・・それが王道と言うのなら、まさか銘木を彫ってってスタイルなんて見た事無いはずなのね。つまり邪道になるんだろうね。これが政治なら、

保守と革新とかね。相対するものとして。ただ全てのものが邪道から始まるのね・・・だって敷かれたレールが無いのだから。誰もやっていない事って言うのは・・・。

ただね、新しいものが入って来ると、今まで安泰だったものが揺らぐし、安定が崩れるのが怖いものなのね。波風が立つし・・・個性を活かすと、俺は

力のさじ加減をしないと、破壊王になっちゃうからね・・・でも受け入れて貰えると、それを全力が出せるのね。容赦無く・・・完膚なきまでに・・ね。

ただそれを受け入れられる人が多くなると、いつしか邪道が王道になり、歩がと、に化ける・・・すると金扱い。成り上がりシステムなのね。ただ所詮、

歩ごときは、金もどきにしかなれない。俺はその程度じゃ満足出来ないし、そもそも群れの中に入りたいのでは無く、群れを作りたいのだから、もののけ姫

のたたら場を作りたいんだろうね・・・だから俺はアシタカになりたいのでは無くて、エボシ御前になりたいんだろうね・・・。ことごとく俺は俺が余り

好きで無い側の方向に向いている・・・好みと得意なんて、元々自覚の無さであって、習慣で植え付けられたものだから・・・取っ払っちゃえば良いのね。

それは何も無いからやりやすいだけで、守るものが沢山あると好きに出来ないしねぇ・・・ただ、それとて一つ一つ無くなって行く・・・先人がそうである

ようにね。でも一流は常に準備をするらしい・・・まぁクマでも冬眠の前には準備するなら、俺も人だからなぁ・・・くまごとき以上にはなりたいし。

一流って言うのも物足りないからなぁ・・・超一流とかそれ以上って何をどうするんだろうか?・・・って常に考えちゃう。高卒の足りない頭で・・・。

日々葛藤・・・誰も教えてくれないし、先生として教えちゃうと、生徒の成長は出がらし先生になるって事だからね・・・これだけの物を作る生徒の先生を

するって言うのは、サボっていたらすぐ捨てられちゃうのね・・・例え先生だろうが。そもそも生徒の方が伸びしろが多いのだから、追い付いて来るペースが

早いもので・・・まぁこっちも油断出来ないし、高度な質問もして来る。ただね、モザイクな質問は技術だから、割と簡単でも、その人がやりたい事を

達成させるには、その人の脳の中に入り込むくらいの事を出来ないとね・・・何かはたらく細胞チックな話だけど・・・。ただね、人の脳に入り込むような

事をすれば、その人の悲しみまで味わう事になるのね・・・楽しみならまだしも。そもそもここには楽しみなんて落ちてないし、困った事ならいつでも0に

出来る用意はしてるんだけどね・・・。とは言え、そろそろ楽しく出来る準備も出来るようにもなりそうだし・・・まぁ何事も準備だね。


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杏さんと健さん教室

2024-12-16 04:47:02 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬の杏さんと、闘牛士の背中の健さん教室。まずは杏さんから。何かじわじわっとネモフィラが終わりを迎えようとしているのね。

そんな中、外から何となくらしいんだけど、久松小の卒業記念の作品を通りすがりに見た・・・って話を聞いたのね。そうね、俺に力があれば、生徒さんが

見たい・・・って事前に連絡すれば見せられるんだろうが、今どきはねぇ・・中々簡単には入れないだろうし・・・ただモザイク好きってだけで無く、

生徒さんには刺激にはなるだろうし、ゆっくり見せてあげたいなぁと思うんだけどね・・・まぁしかし、杏さんはフットワーク良いんだか、色々と回って

見てくれているのね。しかもこの犬を作る腕を持っている人が見るのだから、凄い話で、例えば杏さんがライブが好きで、あれこれと定期的に行くらしいのね。

それって興味があるとか、好きってだけで見る・・・って点では一緒でしょ?所が大きく違うのは、ただ好きってだけで無くモザイクはやっているのね。

方やライブは、見るだけの楽しみなのね。見るだけは聞くだけなのね。ここで実は本人には直接話さなかったけれど、こんな話をしたのね。例えば、最近

ライブに参戦する・・・とか、セットリスト・・・つまり曲順の事をセトリとか、単なるコンサートやライブを聴きに行くだけなのに、プロまがいな言い方

をする傾向があるのね。まぁ作り手として良く聞くのは、コラボみたいな話ね。別に単なる言葉だから、どうでも良いっちゃどうでも良いのね。ただ、

それをいつものように掘り起こすと、みんなが普通に使っている言葉に重みがグーンと変わって来るって話なのね。例えばその単なる聴くだけの事を、

参戦って言うのなら、そもそも参戦ってどんな感じ?って事なのね。例えば、戦で参戦つかまつる・・・ってなぎなたでも振り回したら、仲間として期待して

いなかった知り合いが助太刀参上って感じで、しかも相当な腕利きであって、来ていきなり斬られる弱さじゃ無くて、バッタバッタ斬るツワモノ・・・そんな

イメージだったり、キャプテン翼の親友の岬くんのように、ピンチで救ってくれる仲間だったり、助っ人みたいな人がやって来るイメージなのね。

確かにお客さん不在やスカスカのライブなんて、見られたもんじゃないし、盛り上がるはずも無いから、それも参戦と言うのかも知れないが、つまり参戦

って言うと参加よりも重い言葉に感じる分、ものの取り方は変わって来て、こんな解釈なら聴くのでは無く、歌ったり踊ったり、はしゃいだりするだろうね。

勿論、生で見るのだから、そう言う気分には大なり小なりなる。問題はその中にあって、こうやって言葉を並べて一緒に言うと、同じくくりに聞こえるのね。

つまり同等みたいにね。その時に女の人なら熱狂的にキャーって俗に言う黄色い声なんて感じになったりする。これを何処の歌のどの位はOKで、どの範囲を

越えると迷惑になるのか?・・・踊るにしても隣も踊っているのなら、動いている分、お互いに気にならないが、隣が座っていたらメチャ気になるし、

ぶつかるなんて事もあるだろうね。そして一番の問題は単なるストレス解消ばりに一緒に歌う・・・もはや隣の声の方がデカく、アーチストを越える・・・

一体何をしに行ったのか判らない・・・こんな場合の人側なら、やりたい放題やっているのだから、参戦なんて言葉になるだろうね。こんな事例を踏まえて

一体どのくらいがマナーとして普通?って話。それを安全なら何もせずじっと座って聴いていたとしたら・・・誰にも迷惑にならないだろうが、必ず立つ時間

があるだろうから、見えなくなる事はあるはず。ではみんなが立ったら立つって場合、これは仕方無くであって、自分の意思は無く、人任せになる。

これを参戦って言うか?なのね。つまり参戦って言うのは自主的な要素が無いと言わないだろうし、参戦って言葉を使うには、そう言った意味があると思うのね。

ただ演奏もしないし、メンバーに選ばれている訳でも無いのにね・・・ここであえて苦言のように振って置いて、からのぉ、ではこのライブ好きの杏さんが

もしさぁみんなで作ろう・・・って先生の俺が音頭を取ったら、この腕を持ってして参加したら、それは参加、それとも参戦?そもそももし、ライブに参戦

って使うなら、この腕を持ってしてなら、参戦以上の言葉になるだろうね・・・きっとね。だって聴くだけで参戦なら、この腕・・・かなり上手くなったよ。

これはメンバーに選ばれる腕だと思うのね・・・当然、何かあったら必ず誘うけどね・・・その時はこちらから参戦して・・・って言うけどね。

言葉ってもんは、何をどう使っても良いってもんでも無いのね。受ける側にとても影響するもんでね、ライブって言うのはお金を払って見るだけの観客なのね。

そう言う点では、欠席しようが、本人の問題なのね。でも本当の意味での参戦って言うのは、実力者として認められたものがサポートのように一緒に・・・

って意味であり、何かそのアーチストを見たい・・・好きって事を言うのであれば、ファンクラブに入っているとか、推しであるとか、影で支えるって行為も

十分伝わるのね。つまりもっと踏み込めば、それなら久松小も参戦になる。だってわずかながらも生で見たのだから。2階席で見た感じなんでしょ?

感の良い人だとこの辺で気付かれているだろうけど、つまりモザイクで呼ばれる事は確実に参戦であり、もっと言えば助太刀って言うのは他人だからね。

生徒さんは元々仲間なのだから、メンバーです。そして上手くなったと判断して、その機会が来た時は必ずお誘いします・・・とお伝えして置きます。

自分の作品って言うのは、その時の自分の名刺です。いちいち人に名前なぞ名乗らなくても、あれを作った人・・・それだけで破壊力があります。ただそれだけなのね。

同じように、健さんも一緒。

こんな腕前で趣味・・・勿論、好みで判断するのなら、サザン大好きって言う人もいれば、下品な歌があるから・・・って好きじゃ無いっ人もいるし、

評価ってよりも興味が無い・・・なんて人もいるし、こんな程度の話では、お金を出してCDなんか買った事は無いだろうし、昔借りた事はある・・・。

こんな場合、ファンサイドでは無く、アーチストサイドから見たら、何も反映されていないけれど、CDを買ってくれたり、ライブに来てくれたり、グッズを

買ってくれたり・・・ファンクラブに入ってくれたりって言うのは、そのアーチストの株券を持っているって意味なのね。つまり支えてくれている人達なのね。

その資金が明日の新譜に繋がる訳で・・・人に応援されて支えられて生きるって側は常にこんな事の上にある・・・それを仕事って言うと、自分の家族を

守る為に働く事になるから、大きく変わって行くのね。いずれにせよ、どんな形であれ、考え方や表現の仕方一つで、物事は大きく変わるものなのね。

この2人はそう言った点では、この程度の話は着いて来られるので、スルッと流せるし、もうわざわざ言う事でも無いけれど、意識が変わると行動は変わる。

意識が変わらないと、行動が変わらないから、繊細さなんて、几帳面とか神経質とか、細かいとか、掃除の端っこをそぉっと、人差し指で撫でる姑みたいな

そんな仲間側にあるもので、そんなのどうでも良い・・・って言うのなら、普通だから、自己満足のまま趣味で良いと思うのね。ただ上手くなるって言う側

を選ぶと、えー良いじゃんーって言うのと、えっ?・・・それ自分で作ったの?って人の評価どっちが良い・・・って話で、10年後でもそれで大丈夫?って話。

まぁ簡単な話なのね。いずれにしても、この2人はこのままのグレードで終われれば、後者なのは当然の話なのね。そんな話の中、健さんの場合なら、

80年代の洋楽が好きだから、そんな話になって・・・くくりと言うのなら、80年から89年まで80年代なんだけれど、人ってそんなにザックリじゃ無いのね。

つまり健さんの80年代って言うのには、例えば86年までが80年代って具合にここまで・・・って範囲が各々あるのね。それとか、もっと大きくくくったら、

洋楽好きになるけれど、今の洋楽は好きなの?って言うのも、その人の許容範囲探しの質問になる。つまりそこがOKなら洋楽全般が好きで、しかも86年までの

80年代が最も好き・・・って事になる。更にもっとえぐれば、BTSは洋楽?こんな質問も大事で、それはKポップでしょ・・・って言うのか、それは洋楽です。

って言うのであるのとでは全く意味が違って来る繊細な質問って言うのは、こんな事であって、そこにこだわりがあるのかぁ・・・って事になる。つまり個人

レッスンって言うのは、学校では無いので、その人その人のこだわり知らないと、先生の考えの押し付けじゃ無いのね。個性的に・・・って教えるのは、

こっちの知らない情報を集める事で、その人を知る事を辞めたら、随分と楽に出来るのね。しかも人は生き物・・・その日の気分なんてもんがある。

調子が良かったり悪かったり・・・いつもと違うなんて事が判るのなら、立て直しの薬が欲しくなるだろうし、調子が良いならチャレンジも良いし、悪い

なら、悪いなりの進み方がある。心技体って言うのは、揃わないと・・・。でも揃うはずは無いのね。だって無意識では偶然だもの。そんなもん必然にしないと。

それを揃うなんて偶然では無くて、揃えるのね・・・必然にね。だから当たり前になれば良いだけ。それには意識・・・意識が変われば行動が変わる・・・。

ただそれだけ。俺はただモザイクの事だけそれに特化している・・・欠陥な人間なのね。しかも異常に・・・😁


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ピエロの壁画の張り終わりからの目地入れ

2024-12-14 19:53:55 | モザイク作家

今日はいよいよピエロの壁画のラストの取り付け・・・玄関の上げ裏を張ってからの目地入れ。朝、割と早めにアトリエに行くと、ドンピシャですーさんに

大家さんがいて・・・脚立に足場板、バケツにスポンジ、パワーミキサー・・って、何か目地一式って感じに借りて・・・準備万端の状況で到着。

張るのは上げ裏なんで、気を付けないと顔にボンドが落っこちるからね。まっそれはそれとして、これだけ張れば、張るとか塗るとか手慣れて来た感じ。

それでいよいよピエロから目地。バケツ1杯分塗って・・・これをスポンジで拭くのね。すると・・・

そしてゾウの方も同じように・・・

そして更にベスパ

そしてリフォーム看板

ポンコツだからそんなに進まないだろうし・・・と1本しか目地材を買わなかったのね。そんなに出来るはずも無いし、余っても嫌だし・・・って理由で。

そしたら3時前に使い切っちゃったのね。ただ無理してもどうせ今日張った分は残るんだし・・・まっ予定通りっちゃ予定通りだったのかな。

そんなこんなで朝も昼も抜きだったんで、微妙な時間に昼食って事にして、片付けていると大家さんが見て来たよ・・・って。どうやらすれ違いだったみたい。

そんなこんなでアトリエを片付けていると、ホッとしたのかな・・・あっちこっち筋肉痛・・・だよなぁ、やっぱポンコツだった。とは言え、無事で何より。

いよいよラスト1日となったのね・・・一般家庭のリフォームがこれ。そしてネット張りが初めて・・・・だから俺の体験鍋敷きって感じなのね。そう考えたら、上出来なのね。

そんな中、前の家がすーさんの知り合いの家で・・・先日斜向かいの板金屋さんとバッタリ会った事もあって、話を聞いていたようで・・・。

干してあったものが飛んで来たんで拾って渡した事もあり、ちょっぴり話す事が出来たのね・・・これはこれでプチ営業なのね。ちょっと知って貰ったんだから。

 

 


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くじらの新作下地

2024-12-13 23:22:31 | 下地彫り

今日はくじらの新作下地制作から。こう言う文字を彫るって場合、穴のような所・・・例えば、よとか、な、のような木を残すような所が難しいのね。

って言うか限界の細さとか、細かさがあるのね。恐らくこの辺りが限界かな?・・・って。中々ナーバスな場所がちょこちょこあったのね・・・

そんな中、明日急きょピエロの玄関のラスト部分の取り付けとなったんで、実家に行って、ボンドを乾かす為に裏返しにして・・・準備をしてから、また戻って

更に

そんなこんなの夕方から、ひょんな事から落語のチケットを貰ったんで、父を連れて行ったのね。まぁまさか父と落語を見に行くとはねぇ〜。こんな事は

一生無いかなぁ・・・って思うと、貴重な体験だったのね。


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ピエロの壁画ほぼ張り終わりとくじらの新作

2024-12-12 23:10:34 | モザイク作家

今日は天気も良かったし、本来なら全部仕上げてから取り付けにしたかったんだけど、そうも言ってられないんで、ピエロの玄関の左側面を取り付けたのね。

まっ何とかかんとか逃げ切ったのね。後はここだけになったのね。

上げ裏のとこね。そんな後、くじらの新作の為の銘木を買いに、久しぶりに新木場のもくもく館へ・・・。きっと予算もあるだろうから、なるべくリーズナブルで・・・。

そうなると、店の中全部見るって言うよりも、限定した部分の中だけになるから、能率効率で回る感じになるのね。だから正直味気なくなるのね。

ただ割と簡単にゲット出来たんで、自分の趣味って感じに1つゲットして・・・その足で実家の2階でラストの上げ裏を・・・。

意地で終了・・・これを取り付ければ、いよいよ目地入れとなるのね。まぁポンコツ親父の俺が久しぶりにやっても2日あれば終わると思うんだけど・・・

これで年内完成のメドが付いた感じになったのね。そんなこんなで最後はアトリエに戻って、くじらの下絵を気を写して・・・

まぁ今日はやる事満載だったが、そんな中、来年の話が決まったのね。まぁこれに付いては年内に打ち合わせがあると思うから、その後にご紹介って事で。

 


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くじらとキウイの相席教室

2024-12-12 04:13:52 | モザイクタイル教室

今日はくじらとキウイの相席教室。ただくじらは前回大作だった鯉の作品を完成して新作へ入るはずだったが、忙しくてノープランで・・・。そんな中、

新作の構想的な話をしつつなんで、お気楽なのがやりたい・・・って事で、コースターをしつつ・・・って事になるんだけれど、俳句のイベント的な事があって

画廊で俳句の展示販売みたいな話なんだけれど、こんな時に考える事は、まず画廊・・・この言葉にどんなイメージがあるか?そして次は、その場所。

では想像して見て・・・タクシーとハイヤー、駄菓子と銘菓、江戸川区と世田谷区、お祭り金魚とらんちゅう、大学病院と医院・・・。何が違う?

常に言っている比較対象をする時には、きちんと悪意を持ってみんなの嫌いな格差を持って考えるのね。その時に大抵は傷付けないとか、遠慮したり、

何しろ曖昧にする事で平和に事を進めようとするのね。実はその前に落語の枕的な話として、ポストにワークマンのチラシが入っていたのね。

ではワークマンってどんなイメージ?って2人に聞いたのね。すると、建築作業着屋さんだけど、女子って言うのもあるから、ユニクロみたいな感覚って。

そうね、その通りで見事な説明だと思うのね。ただ俺が聞きたいのはそう言う事じゃ無いのね。自分だけの言葉で、自分しか考え付かないオリジナルの

小話とでも言うのかな?・・・そこで俺はこんな話をしたのね。キウイの娘みたいな年頃の女の子が明日初めてのデートでは買いに行かないんだけれど、

山とか川とかハイキングとかキャンプに行く時に、丈夫だったり、暖かかったり、涼しかったり、機能性に長けてて、お洒落じゃ無いけどダサくない。

こんなイメージ・・・ってね。すると2人はそんな悪くない・・・って頑張るのね。ん・・・それじゃ本編に入っても話が判らないだろうね・・・。

世の中ってスカした表現にTPOに応じて・・・なんてのがあるのね。例えば旬なら何だかちっとも良い評判を聞かない朝ドラの中でギャルの話がある。

ギャルは貫き通すと言いつつ、就職するのに面接の為に、真っ先に髪を黒く染め、メイクを落とし、付け爪を辞め・・・ダサっって話ね。まっいつの世も

一緒で、昔ならバンバンのいちご白書をもう一度の歌詞の中に、学生集会に顔を出していたような奴が彼女に、髪を切って就職を決めた時に、もう若く無い

・・・って言い訳したね・・・って話。言い訳したのを後悔してんじゃん。朝ドラもそう。きちんとTPOを考えて、誰もが見栄えで判断するから、って、

表面を変えた所で、考え方が曖昧だとそう言う事になるのね。当たり前の話なのね。常に曖昧にしないで、自分はどっち寄りで考えるってやらないと、

その時の都合良く出来るのが曖昧なのね。そもそも個性って何だ?って言うのなら、万人受けの曖昧では無く、自分自身の考え、自分だけの考え、思想って話

・・・そんなもんじゃ無いの?それを広辞苑見りゃ判るような言葉を並べた所で、そんなもんは優秀な奴らより見劣りする事しか表現出来まい。

ここに何年来てんだ・・・って話。もっとエグれ。しかも、個人レッスンみたいなもん。誰にも聞かれちゃいない。もっともっと本心で語らないと。

ただね、少なくとも聞かなくても、俳人くじらと言うのなら、毎日そうしているはずなのね。もしそれをしていないのなら、詰まんない奴だなって思うのね。

だって読むまでも無いじゃん。そもそも何でもそう。音楽だって先人の決めたコード、音符、記号ってその中で、個性を出さないとならないのね。

俳句もそう。芭蕉の頃とは違って英語やカタカナ、ポケベル、携帯、スマホ・・と言った変化で消えて行くものや、切り替わりがあったり、野球に詳しければ

良いが、ゲッツーって言葉で俳句を作って判るかな?・・・みたいに、通にしか判らない言葉で出来るものだろうか?とか、音楽だって、1音一文字のように

さいたぁ・・・さいたぁ・・・ドレミ、ドレミみたいな歌で、小さな石鹸カタカタなったり、学生運動に参加したり、キャベツを食べて四畳半だったり、

って貧乏臭いとフォークソングになるって時代に、拓郎さんの早口言葉みたいな同じフォークでも斬新な切り口だったり、おっさんで顔は良くなくても、

って時代に松山千春さんのようなお洒落な顔立ちで見栄えの良い人が出で来て、ニューミュージックと変化して見たり・・・先人達が自分らしさを追求して、

個性を出して葛藤するのね。こうした感想を言うと、悪意があってトゲがあるように聞こえるが、こっちはキチンとCDを買ってファンでは無いが、その当時

どんな葛藤があったか?時代背景はどんな感じだったか?って想像はするし、そもそもどれもこれもがその当時、一斉を風靡したものなのね。こっちはそれを

追い掛ける者として、好きじゃないから・・・とか好みで語っているつもりは無いのね。ある程度、受け入れた者の感想だったり、表現であって、先生を

やっている者としては、ただただ詰まんない説明で、聞いて貰えんの?って話なのね。個性って言いつつ、個性なんか出しゃ叩かれる時代にね。それを

多様性なんて言葉を使って曖昧にして、便利だわー。そうすりゃ政治と同じで自分の都合の良い解釈出来るもんねー。だから仲間ん時は、右に同じぃぃって

言えても、違うってほころび出来りゃさっさと乗り換えぇぇ。それを昭和の時代なら、お得意さんとか常連さんとかいちげんさんってキチンと分けたりして、

扱いは違います・・・って分かりやすかったのに、嫌乗り換えてくれる人の方を優先しますぅ・・・だって乗り換えない人はどうせそのままだからぁ。って

携帯会社システムみたいな考え方もあったりして・・・多様性だからぁ、良いじゃん。かと思えば、ダフ屋って言うと悪に聞こえたものが、今は素人ダフ屋

なのに、転売ヤーってもはや、ダフ屋よりダフ屋じゃん素人の癖にって、意地汚い奴らとか、それも多様性と言えば良いし、だって買えたから儲かるしって、

別に金品を暴行して取ったり、オレオレ詐欺でも無いし・・・って、きっとそっち側にはそっち側の言い分があるんでしょ・・・きっと。じゃ多様性なのね。

だっていっぱいいるんだから・・・俺しかいませんって言うのは、多様性って言葉には属さないと思うのね。天の邪鬼的な扱いだから、簡単に真似されるような、

誰もが簡単に出来るような、安易とかそんな表現には当てはまらないのね。個性的って言うのは。そうやって考えれば、矛盾だなぁ・・・って思って、俺は

世の中を変えるんだ・・・って思うのなら、政治家として立候補すりゃ良いし、俺は音楽で人を癒やすんだぁって言うなら、歌手になりゃ良いし、

別に特技も思想も何も無ければ、ひとまず嫌々でも働いて、それで得たお金で好きな事や、美味しいものをささやかに楽しめば良いとか、多様性ならみんなと

一緒じゃ無くても良いんでしょ?格差社会も多様性じゃん。お金持ちはたらふく楽しんで沢山税金収めて貰って、俺みたいな貧乏人は、その人達の税金で、

道路も使わせて貰って、お金持ちと同じ空気も吸わせて頂いて、トイレにも行く・・・それを悔しいと思うなら、ムカつくって思うのなら、貧乏人の特権。

それがハングリー精神。お金持ちは使えない言葉。成り上がりに、下剋上。こんな言葉は特権なのね。まぁ団体でやりたきゃ、ええじゃないか・・・って

一揆を起こせば良いし、ムーブメントとかってカタカナの方が、聞こえが良いならそれも良いが、やっぱ昭和の残党としては一揆かなぁ。話を戻して、

こう言う事が理解出来ると、それを受け入れて自分の言葉に置き換えると、そこにゲスとか上品とか、お洒落とか、気品とか、高級とか庶民とか・・・

何とか風って言うのが確立出来るのね。これにこれが合うぅぅって安ぅって感じなのね。そうじゃ無くてTPOなんて気にするなら、きちんと好みなんてもんの

前に、そこの背景を理解する事。例えば、あくまで個人の見解ね。何せ個性だから。例えば駄菓子って言うと、庶民な感じで、銘菓って言うと、お祖父様

お祖母様って呼ぶような、マンションでは無くて、一戸建てのお家があるようなお宅の人達で、三越の地下で売っている由緒正しいお菓子で、風呂敷とか

そのブランド名に匹敵する柄で、全てを味すら語るような威嚇にも感じる威力抜群で、先方の名前に恥じないもの・・・駄菓子はホレって食べろって、

物は投げては行けないけれど、何しろ作っている業者もギリギリでやってるから、なるべく包装にはお金を掛けずに、でもインパクトとして派手に・・・。

こうやってしっかり差別、区別をする事で、ではその案件どっち寄り?って話なのね。その時に曖昧にすると、まぁ何しろフィーリングなんて曖昧でやるから

今日はこっちで明日はどっち?って安っぽくなるのね。勿論確立の問題だから、当たる時もある。じゃ何割?その確立が良ければ中島誠之助さんみたいな、

目利きよ。作れなくても良い仕事してますねぇ〜って本物を見極められる。それなら良い銘柄の株も見極められるし、無名の新人もスカウト出来る。

まぁ何しろ、こうやってキチンと分ける。だから今回のくじらの話は、カジュアルじゃ無いのね。だから格式。ライブやフェスじゃ無くて、歌舞伎や帝劇。

ただ何をどう言っても17文字の俳句。あれこれ言っても野球って言っているようなもので、俺でも出来る。ただ足を止めさせる事が出来るのか?感情を揺さぶる

事が出来るのか?欲しいと思わせる事が出来るのか?要するにただ出来たじゃ無いのね。つまりいつものくじらの俳句を結婚式に参加するような、衣装が必要

になる。いつも見慣れた17文字では無くて、公民館とかの句会じゃ無くて、格式・・・見せる俳句なのね。アイデアは伝えたから、後はすり合わせのみ。

こうやって相談って言うのは、相手が気が付かない事を提案する事で、それをお金も期限も場所も考える事だったりする・・・コーディネイトとはそう言うもの。

いずれにしても、後はくじらの問題。そんな中、キウイが

これを進めつつ、今の話に文字を彫るってこんな所は彫れないとか、大きさを説明したり、コースターでも、視覚だけじゃ無く触覚を使うって指導していて、

やるじゃん・・・って茶化すと、何かベテランっぽいね・・・って言うから、ベテランじゃんってくじらと2人で突っ込んだんだけど、何も知らない人では、

この絵馬からとんでも無い腕利きって思えないだろうな・・・まっ人は見掛けで判断するものだから・・・まぁそう言う俺も見栄えはへっぽこだから・・・。


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