katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

りょうさんx2マス教室

2024-12-10 23:13:13 | モザイクタイル教室

今日はりょうさんが午前午後と2マス教室。それでは出勤って時に、問い合わせの電話が入って・・・危うく遅刻なんて事になりそうだったが、何とか送迎に

間に合って・・・そんなこんなで落ち着いてお教室が始まったと思ったら、大家さんから電話・・・アトリエにいないの?いるよ・・・今教室って言うと、

ちょっと下に降りて来て・・・って。何か俺やったかなぁ・・・って行くと、

70cmの肉厚ヒラメがドーン・・・あっ釣れたの?友達、大家さんのどっち?・・・俺・・・そうなのね、大家さん今日は釣れたのね。しかも中々のビックサイズ。すげー。

この大きさになると、旅荘の舟盛りでも珍しい大きさだと思うんだけれど・・・しかも刺し身じゃ無くて、生きたまま・・・生き物として好きだから、

パクパクしていると、さかなクンじゃ無いけれど、楽しいわ。本当ならさばく所も見たい所だったが、大家さんが釣ったってのも見れたし、この大きさで生きている・・・

すげーしか無かったのね。そんなこんなでお教室は、白いガラスタイルなんだけれど、月並みだけど、花もドレスもカチンコチンじゃ無くて、グネっ

って感じなのね・・・ヒラメも。この感じ方が大事なのね。ただ未熟な人にこの感じ方で切って・・・ではハードルが上がり過ぎ。ただ独りで来るのに慣れ

進み具合も良くなるとは限らないのに、2マス・・・この辺の覚悟なニュアンスは、進行具合ばかりとは限らず、時間が掛かっても質重視とも考えられるのね。

そうなると上手くなりたい・・・良いのが欲しい・・・と欲張りたくなる。ただここが大事な所で、上手くなりたい・・・ってどの位?とか、良いのが欲しい

・・・ってどのくらいって聞かれた事が無いと、その質問に答えられないし、答えても人それぞれ・・・なんて何でもかんでも曖昧な表現をすると上手くならないのね。

ではそれを説明するんだけれど、何でも同じだから要領だけね。まず悪意を持ってこのやり取りを学校名を入れて、上手くなりたいって事は良い学校に行きたい・・・

って変換をしたとする。だから上手くなりたい・・・を良い学校に行きたいとすると、良い学校ってどこ?って話なのね。人それぞれだから・・・と曖昧に

言われても、個人レッスンなんだから、気を使う必要は無いのね。しかも人それぞれなら、その表現では全く何も伝わらないのね。具体的に慶応とか早稲田とか、

東大、芸大ってキチンと明確にする事で、そうするにはどうすべきか?どうやれば現実に近づけるか?やり方、方法ときっかけになるようなやり取りが無いと、

漠然と曖昧にされれば、じゃこんな感じ・・・?って言う先生としての指針的な話が出来るのと、曖昧な表現で何となく良い感じに・・・一体どうしたいのか?

その曖昧な表現で何をどう目指すのか?・・・さっきのヒラメだって同じで、何でも良いから釣りたい・・・って言うのなら、その季節にいっぱいいる魚に

すれば、釣れる確率を上げられるし、良く釣れる情報で場所選び、そして潮の満潮や干潮なんて事を意識すれば、より確率を上げる事が出来るのね。

それを何処でも良いから入れる学校とか、何か上手くなりたいとか、何か釣りたい・・・これでは漠然としていて、一体どの位時間やお金が掛かるか?

想像が付かないのね。しかももっと言えば、お金も時間もいとわないって言えば、最高級を目指せるけれど、未熟な状況でマグロや高級車が最初から必要か?

となると、お金持ちならそんなスタートもあるが、逆に月に1回って中で、最高級を目指しても果てしなさに挫けちゃうと思うのね。それをりょうさんは、

回数を増やした事で、方針を少し変えたのね。どう変えたか?って言うのは、質と進み方って言うのは反比例してしまうもので、月に1回なら、切るのに慣れる

事を重視するから、進む事を7にして、質を3みたいな状況を進む事5、質も5って質を上げれば、当然もっと進まなくなるのね。でも今まで教えられなかった

事も教える事が出来るのね。じゃ何がどう変わるか?となると、例えば、蕎麦を切って・・・って時に、以前なら蕎麦、うどん、蕎麦、きしめん・・・となったら、

きしめんは切り直して・・・となったものが、うどんも切り直す事になるし、真っ直ぐなパーツの繰り返しが、カーブなラインとしてえぐるなんて事になる。

算数が数学になった感じなのね。ただこれが仮に月に1回では、次に来た時には、えっとーって忘れちゃう事が多くなるのね。でも1日6時間となると、

前半の3時間、疲れていない時間に難しい数学でも何とか付いて来られる。そして疲れた後半は手慣れた事、つまり算数に戻せば、えー6時間も・・・では無く

あっという間の時間だったりするのね。ただこんな目に見える指導って言うのは、技の部分であって、心技体って言うのは、心が一番最初に来るものなのね。

つまり心って部分を変えないと、何も始まらないのね。何しろりょうさんは自己肯定感が低いし、身の丈身の程って自分で決めちゃうし、でも上手くなりたい・・・。

こんな感じの人が、上手くなりたいと思うのに、自分なんて・・・きっと無理だと思うけれど、自分が納得すれば・・・でも・・・って物凄く複雑な心境に

なるでしょ?これでは、どうしたい?ってこんな繊細な感情を未熟な腕でどう表現する?って話になるのね。つまりこの複雑な心境をシンプルに判りやすくする。

まずここから。まず上手くなるって何?って具合に、自分が思い描く理想を決めるのね。ここが厄介で、自分で自分を決めるって良さげな表現なんだけれど、

それじゃ子供がメジャーリーガーになりたい・・・そう思うだけで、みんななれるのなら、苦労はしないで済むのね。違うのね、ほぼみんななれないのね。

なれる人は、人とは違う道を歩んだ人だけなのね。しかもみんなと一緒に楽しく・・・では、みんなと楽しくは出来ても、必ず甲乙丙丁は出るのね。

一緒に仲良く同じ先生で同じ教え方で、みんな同じ学校に行ける訳無いじゃん。それが普通。仲良く出来るのは気楽、気が楽なだけ。

そう言う点では、ウチはみんなが全員違うものだから、比較対象が無い分、人を真似たり、参考になるものは無いのね。良くも悪くもね。そんな中で、

趣味って言うくくりで楽しむのなら、そんなに難しく考える必要は無いものの、上手くなりたいって向上心は良い事だと思うのね。では何がどう上手く

見えるようになるか?となると、出来ない事が出来るようになる・・・とても判りやすいのね。鉛筆が持てた・・・いや持っただけで無く書けた。

いや書いただけで無くしっかりして来た。字っぽくなって来た、はみ出したりせずバランスも整って来た、お手本通りな字になっている、良いなぁそんな字を

書けて・・・って人に褒められる。人から先生になれば・・・とか、これ書いてくれないとか頼まれる。そして先生になる。趣味って一体どの辺?

こう言う具体化すると、めちゃ判りやすいでしょ?しかもそれって月1で出来そう?って話だし、それを習った事を自宅で復習反復したのが労作展の子達なのね。

話を戻して、良く良いものを見る・・・なんて表現があったりする。ここが大事で、みんながみんなルノアールとかゴッホって言うのなら、みんながそれ見て

上手くなるでしょ?そんな事は無いのね。流派みたいなもんで、自分がどんなものが好きか?になると好みってものがあるのね。じゃモザイクの好みを探せば

良いんじゃない?単純な話でね。その時にきちんと何の何処が好き・・・って傾向と対策があれば、自分なりの判断材料があるんだけれど、そりゃ無理でしょ?

だって未熟なんだから・・・そうなのね。こんな単純なら人は誰も困らないのね。実は人って小難しいのね。しかも欲張りはこうしたいって言うのをあれこれ持ってて、

しかもそこにお金があったり、コネがあれば、一流なんて人に教わる事も出来るんだろうね。でもウチに来る人はそんな事は無いだろうし・・・だから、

工夫しないとならないのね。例えば、料理が上手くなかったり、野球をろくすっぽ出来ない癖に評論だけは生意気にもするって人、いっぱいいるでしょ?

ほらやれもしないのに、いっちょ前に語る。これを語る人側で考えれば、好みを見つけるだろうが、語らない側だと、どうすれば良いか判らない感じね。

じゃ語らない側は本当にそうなのか?これもまた違うのね。ミッドフィルダーに守備型、攻撃型があるように、そこも分かれていたりするのね。

そうやってみんな違うから、教える側としては、その人を知ろうとしないと、はい、じゃみんな一緒にぃぃ・・・おてて繋いでになる。個人レッスンとはそうでは無いのね。

そしてりょうさんの目で生徒りょうさんを見た時に、不出来と思うみたいで・・・だからもしりょうさんの目が7で腕が2に見えていたとしたら?

見劣りするだろうね。ただこうして数字になれば5足りないのは判りやすい。でも普通は漠然ととか、何となくなのね。だから腕の向上ばかり目に付くようで・・・。

ただその目の判断正しい?となると、それとて漠然なのね。そこで提案なのは、棟梁ってどう見える?・・・同じkameyaさんで身近に見れる・・・すると、

凄い上手いって。じゃその人の目に頼れば良いじゃん。自分よりも上手く、良い目を持っていると思えるのだから、信憑性がある。だからアトリエでやったら、

感想を聞くと良い。棟梁にも感想は遠慮なく・・・と言ってあるから。そうすると、良くも悪くも客観的な感想を聞ける。だからルノアールやゴッホより

棟梁の目を信じて、棟梁みたいになりたい・・・ってこんなに身近に上手い人がいるのなら、そこを目指すと具体的で判りやすくなるのね。

そうすると、自分で自分にプレッシャーを掛けなくて済むし、それを意識すれば、次の機会に棟梁の作品を眺めるのでは無く、きっと自分とは違う事を

具体的に見つけるようになるはずなのね。良いものを良く見るって言うのは、名画とは限らないのね・・・。そうやって棟梁にも良い刺激になるだろうし、

その棟梁もここに至るまでに、何人かの弟子との相席で得た事があったはずなのね。それを今度は自分がその人側になる番になった・・・ただそれだけ。

これが伝承の仕組み。成立すれば上手くなって当然。当たり前過ぎるくらい当たり前の事だから。本当にこんなペースでやるのなら、上手くなるのは急激で

それも当たり前過ぎて普通な話・・・。楽しみなのね。

 

 


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ピエロの玄関左側面終了と最後の上げ裏

2024-12-10 03:52:18 | モザイク作家

今日も実家の2階でピエロの玄関の左側面から・・・。まっ早い段階で何とか張り終わる事が出来たんで、最後の上げ裏に入ったのね。

 

長さ2m弱の幅が20cm弱くらい・・・玄関の入り口の天井みたいな場所。ここは特に何もせずにただひたすら張るだけ。それでいよいよ全て張り終わると

取り付けとなり、後は目地入れって事になるのね。まぁ今年中に完成させようと思っているんで、何とか間に合った・・・って感じなのね。まだ終わっては

いないけれど・・・先が見えたってね。これが一般家庭の壁画って言うんだから何処にも無いものになるし、外壁だから通行人でも見られる訳で・・・。

しかも前の家が染め物屋さん・・・特殊な仕事って事で、出入りする人が一般家庭の人じゃ無いのも良いかと・・・。いずれにしても、こんな壁画何処にも

無いし、しかもリフォームで・・・サーカスの部分は可愛くても欲しい・・・って事には繋がらなくても、玄関の両袖の看板部分に関しては、必要な人は

いると思うし、リフォームとなれば、新築と違ってそろそろ改装なんて考えている人にも提案は出来るし・・・何しろド派手にやらせて頂いたのね。

 


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トトロのママ教室とピエロの玄関左側面のバック

2024-12-09 02:13:18 | モザイクタイル教室

今日は親子3代の親子教室のママの教室なんだけれど、理由はハッキリしてるのは、新作が立体の金魚なのね。自宅で飼っている子なんだけれど、断熱材を

切ったり削ったりすると、ガサガサして流石に一緒には出来ないし、掛り切りになっちゃうからね。そんな理由からなんだけれど、一緒に娘さんも来て・・

張り終わっちゃったのね。まぁもう教える事は無いから、独りで進めちゃってたのね。しかし箸休め的なお楽しみ作品って感じで無く、本気じゃんって作品で、言う事無しなのね。

そんなこんなでママも大体は終わったんだけれど、こんな時に思うのは、これが労作展なら、下地として作るのも作品の1つと考えれば、最後まで作って

貰う・・・で良いと思うんだけど、これをママが数回掛けてアトリエだけで、作る・・・となると、お金も時間も掛かる。その時に、ここがモザイク教室なら、

下地を作らなくても、こんな風に作る・・・って風味であっても、純粋にタイルを切って張る・・・ってだけでも、大きくは間違っていないし、ただ流石に全部

俺がやってしまっては、それもちょっと違う気もするし・・・。雰囲気で言えば、作詞作曲じゃ無くても、モザイクは自分だから、作詞を手伝って貰った・・・って話なのね。

そんなこんなでトトロの目地もやって・・・

無事に完成となったのね。お疲れ様でした。お見事なのね。そんな後はピエロの玄関の左側面の続き。

こんな感じに残っちゃったのね。全体的には、

まぁこれなら明日これは終わるな・・・って感じになったのね。そんなこんなでアトリエに帰って、トトロの枠のワックス2度掛けと、金魚下地のペーパー掛けをして今日は終了。


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ピエロの玄関の左側面のバック

2024-12-08 01:48:55 | モザイク作家

今日も引き続きピエロの玄関の左側面のバック・・・やっぱ終わんなかったかぁ・・・って言うのが正直な感想。まぁアトリエだったら・・・って事だと、

そこそこ良い感じだったかなぁ?って言う感じはするのね。ただ流石に実家の場合、深夜って訳には行かないから、常識な時間帯に辞めないとならない。

アトリエなら時間の遠慮が無くなるから、終わりに行けるとは思うものの、流石に切る事がこれだけ多いと無理だったかぁ・・・って言うのが感想。

それとは明日は教室もあるし、どちらにしても限界はあったのね。そんなこんなでアトリエに戻って明日の準備をして・・・今日はおしまい。いずれにしても

後ちょっと・・・。


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とんかつのモザイクとピエロの玄関側面

2024-12-07 00:14:12 | モザイクタイル教室

今日は午後からとんかつのモザイクの方のお教室。って事で、午前中と夕方は実家の2階でピエロの玄関の側面を進めたのね。

午前中に文字を終えて、夕方にバックの白をやったのね。これで後は白のバックのみ・・・明日張り終われると理想なんだけれど・・・。いずれにせよ、

先が見えたのね。そんな間に、ホームセンターに行って、トトロのお母さんの新作の材料を買って・・・とんかつのお教室。そうね、例えば紙を切るとする。

最初真っ直ぐ一直線に切る・・・って切ったとする。それを丸を切るとしたら・・・?何か難易度が変わる感じがしないかな?例えば、真っ直ぐボールを

投げたり蹴ったりするのと、カーブのような変化をさせるって難易度が変わる気がしないかな?そうね、ボーリングで真っ直ぐ投げるのと、曲げて投げるとか、

・・・要するに曲がっちゃった・・・では無くて、曲げるのであって、偶然では無く必然でやる。まぁ完全に意識の問題なんだけれど、例えば杏さんのように

同じパーツを繰り返すと、もういちいち印を付けなくても、ハンを押したように全く同じパーツを特に意識する事無く切れるのね。もう意識無く・・・。

ただ最初はどうだったか?となると、徹底的に意識していたはずなのね。つまり未熟な時は意識して、その意識が身に付いたから、意識する事無くそれが普通になったのね。

その時にその目的意識はどうして必要だったか?となると、毛並みとしてその形で最後まで押し通す事が出来ると、切る練習に持って来いだったと思うのね。

これを仮に4角とか、単なるクラッシュとかで、ただ色合いだけ気にしていたとしたら?比較したらどうなるか?まぁ簡単な話で、4角だった場合、これも意識

して統一出来たら、4角を切る事は上手くなったとしても、恐らく今のグレードにはならないから、切る事は上手くなったとして同等でも、犬の見栄えは落ちる。

それをクラッシュだとすると、最初からランダム・・・つまり自由にやっていたのだから、切る事は切ったって事で、慣れたのは慣れた。しかしながら、

目的意識は低いし、切るって言うのは狙って切る事が切るって意味であって、必然なのに対して、ランダム偶然のような目的意識を持たないものは割るなのね。

まぁピアノの鍵盤を叩けば誰でも音は出る。これは弾いたとは言わない。つまりドを叩き、ドの音が響いた時に弾けたであり、目的意識とはそう言うものなのね。

それを色だけ選んで・・・の場合、それを今出来たとする。ではこの作品が出来る前に出来るようになったとしたら、何年経っても左程進歩が無いのね。

つまり上手さとは、目的意識を高める事になるのだけれど、あくまで普通は・・・なのね。ではとんかつさんの場合は?となると、とんかつに決まった

パーツがあるか?となると、ほぼ無いのね。そうなると、こんな形って指示が出せないのと、ぺきぺきであれだけの大作のフェルメールを作った実績があるけど、

1cmタイルの硬さ、小ささは初めてとなると、果てしなさが変わって来る。そこに徹底的に同じパーツ・・・って言うのは厳しいし、何せモチーフがとんかつ。

ころもと言う特徴で言えば、ゴツゴツとかギザギザとなり、ではそれだけを意識して、角が丸くならないように・・・ってだけで進めて来たのね。

ただ1cmタイルを切る事も、進まないのも慣れて来たんで、少しえぐって見て・・・つまり直線では無く曲げるパーツに・・・って事にしたのね。

今まではストライクにならなくても、ボールでも良いから、大体そんなパーツくらいで良いから慣れる事だったんだけど、これからは何となくストライクに。

しかも曲げて・・・角はキープしつつ・・・くびれを作る。まぁ簡単な話で、今までは、好き放題に切っていても良かったのね。それは邪魔がいないから。

だから線を越えても張る事は出来るから、自分に甘くすれば、太っちょでも痩せてても、何でも入るのね。けれど段々と、そのパーツじゃ無いと入らない・・

って、自分のパーツが邪魔をして来るのね。だから狙って切れるようにならないと、切れない・・・って事になるのね。だから必然のコース狙いをちょいと、

厳しめにしただけなのね。ただ果てしないのには慣れているので、特に問題は無いはずなのね。まぁこの繰り返しで、今日の分は進む訳で・・・。

きっとこれが終わった次の作品になると、ここで苦労した事は繁栄されると思うんだけどね・・・何しろここを乗り切って欲しいのね。

そんなこんな後は、日曜日のトトロのママの新作の準備をして、終了となるんだけれど、何しろアトリエに戻っても宿題パーツが無いし、新しい事をやるには

時間はそんなに無いし・・・まぁ貧乏性なせいか、時間があると何かしたくなるのね・・・その時間までは・・・早く帰る気がしちゃうのね。

まぁたまにはこんな日もあるかぁ・・・ってね。


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ピエロの玄関の左側面の続き

2024-12-06 01:42:57 | モザイク作家

今日は訳あって、午前中は両親の用事で、午後から実家の2階でピエロの玄関の左側面の続き。そんな中、昨夜お客さんからLINEが来て、ベスパが凄い・・・

と夫婦で話しているって喜んで頂いているようで・・・何よりだったのね。こう言うのはお金とは違った嬉しさであり、作り手としては自信になったりする。

まぁまだ終わっていないのだから、そんな気持ちを持って作れるのは有難い話で・・・やる気にも繋がったりもするのね。何せ人だから・・・。

それはそうと、右側と余り違うのも・・・って言う事もあり、パンチの面でも、縦長のタイルを使って薄味にパンチを付けたり、丸でポップさを加えて、

ベスパで使ったタイルを入れて、雰囲気の統一だったり、変化を入れる為に、バックの白の中に、葉っぱの中に白のガラスタイルを入れて、夜電気が付くと

恐らくキラキラ感も出るはず・・・と、切って凝らずに張るだけだとしても、それなりの工夫は入れているのね。まぁ後はどう感じるか?は見た人の感覚。

ただ作家katsu好きとしてなら、切って無いじゃん・・・って思われるだろうが、単に素敵かどうか?なんてだけなら、意外とこっちの方が良いなんて人も

いるだろうと思うんだけれどね・・・。いずれにしても、午前中出来なかったんで文字が残ってしまったが、もう悩む事は無いんで、後は時間が解決するって

所まで来たのね。


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ベスパの看板取り付けと左側面・・・

2024-12-04 20:50:01 | モザイク作家

今日は良い天気だし、実家の2階もあれこれやると手狭なんで、それでは取り付けでも・・・と急きょピエロの玄関のお宅に・・・。流石に何回かやっている

んで、手慣れては来ていて、そんな中、車が止められずに荷物を降ろしている間に、後ろから車が来て・・・一周してまた降ろそうとすると、今度は斜向かいの

家に来ている車が止まっていて・・・ただ何か見覚えのある車だと思ったら、アトリエの斜向かいの板金屋さんのだったのね。何だkatsuちゃんかぁ〜。って

慌ててどかそうとしてくれたんだけれど、まっ良いかっってな具合で、こっちも気にせず降ろしていると、板金屋さんがその人に俺の説明してくれてて・・・

こんな地味ぃぃな事でも、ドブ板選挙みたいな話で、そうやって紹介してくれる事で、知り合いを通して誰だか、何をしている人だかを説明して貰える。

それが無ければ、ただ自分の家の前の家が変わったリフォームしているだけって事になる所を、テレチャンの優勝者だって事を伝えてくれているのね。

ただそれは20数年前の話で・・・ただそれと、今の作品を知っているって、1つだけ繋げてくれたのね。こんな地味な事が演歌歌手のスナック営業みたいな話

になるのね・・・こんな他愛も無い事が、俺発信ではたどり着かないのだが、知り合いを通して知って貰ったし、一番新しい作品がその人の前に家にある。

後はメディアとか、何らかのハクを上乗せ出来た時に、思い出して頂く事になるものなのね。いずれにしても、俺は何もしていないのに、また1人知ってくれた

人が増えた・・・って事。とても地味だけれど、エピソードとして、その人が食卓で今晩、板金屋さんの知り合いらしいよ・・・前の絵を作っている人って。

そうやって話してくれると、また数人認識してくれる人が増える。これが口コミになるのね。しかも年齢も性別も違ったね。後はそこで終わればそこまでだし

その次のそのまた友達・・・って事になれば、バスの伝達ゲームのように口コミは成立して行くのね。ちなみにその染め物屋さんは大家さんの知り合いでも

あるらしく・・・こう言う事が繋がって来る事が知名度を上げるって事になるものなのね。そんなこんなで、無事に取り付けを終えて、今度は実家へ。

丸万さんのレトロなタイルを模様として取り入れると、何も特にしていないのに、とてもお洒落な感じになって・・・昨日アトリエに戻って仕込んだ金丸も、

中々良い味出て、今の所何も言う事も無く、明日やる方向性とアイデアが出た時点でアトリエに戻り、明日使う材料を探して・・・珍しく早めの帰宅。

もう仕込むような事も無くなったのね・・・後はほぼ時間が解決って感じになったのね。かなりロングランだったこのピエロの壁画もいよいよ終盤となったのね。


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ベスパの張り終わりと反対側面スタート

2024-12-04 07:20:00 | モザイク作家

今日はベスパの張り上がりから・・・中心部になる文字の両脇なんだけれど、床屋さんってバーバーって言うでしょ?お孫さんがいるから、駄洒落ね。

床屋さんに引っ掛けたのね。それで両脇はバリカン・・・これで下部終了となり、こっちサイドは終わったのね。って事で、側面反対側スタートとなるのね。

そりゃこんな既存の葉っぱのタイル張りゃ、誰でも素敵に出来るのね。若干イラッとも来るし、とは言え、もうやり過ぎだしなぁ・・・って気持ちもある。

何しろ作家なんて生き物は、人と違った事がしたいし、凄いとか言われるのが普通ってイメージなのに、普通な事でも普通が違和感・・・。ただそれでも

その普通って思っている中に、例えほんの少しでも爪痕程度に何か盛り込もうとする訳で・・・。だから直接表現って言うより間接表現チックにね。だから、

一番上の葉っぱが輪郭のタイルを突き破って成長して行くって言うのは繁栄的なイメージと、2014って事が新しいんで、左右対称では無く伸びしろ・・・

ってイメージなのね。ただ余りベスパと違うと違和感になるだろうから、バックは同じ白・・・この辺までは決めてあったから、ここまでは何と無く・・・

思った通りだったが、あぁ文字を囲うタイルを韻踏んだ方が良いかぁ・・・と、ベスパの中心部に合わせて見たら、やっぱパンチが足らないな・・・と

大きな文字を赤にしたのね。そんなこんなでアトリエに戻った後は、

実家の隣の方が、父にナンテンを持って来てくれて・・・それを見て、あぁ金の丸入れよう・・・って思ったのね。そうね、良くひらめきみたいな事を言うでしょ?

そうね、デジャブ的な・・・俺はこんな事を思っているんだけれど、例えば進撃の巨人の漫画で、過去の記憶なんて言う事を題材にしているんだけれど、

それは例えば、自分の記憶では無く、父や母、祖父や父母・・・もっともっと前に遺伝子として受け継がれているのなら、自分の記憶では無く古の人の記憶

なんて事になるだろう・・・と。かと思えば、近々の記憶的に、作っている最中に何か物足りないんだよなぁ・・・と思っていたとする。自覚無くね。

ただそのナンテンを見た時に、何か・・・では無くて、この丸か?ナンテンはヒントなのかぁ?って気が付くような感覚で、そのまま取り入れれば、赤丸だが、

ここは金のなる木なんじゃないの?・・・とか、まぁヒカルの碁でも、同じような話で、ヒカルにはサイがいたんだけれど、普通の人にはいないし見えない。

ただ今の話のように、俺は遺伝子の話やら、デジャブなんてもんをこんな風に思ったりするのね。だからどれも普通なのね。変わった話じゃないのね。

それをエリートの場合なら、勉強をして理屈を習う事になるんだけれど、それは先人の知識を習うのだから、歌舞伎とか落語の感覚になる。

それは今更俺には無理って事になると、それとは別なもので補わないとならないのね。だから知識では無く知恵って事になるのね・・・。

エリートの場合、基本的な事から学ぶ・・・つまりみんなと一緒になる。それは学校だから。何かを教わるって言うのは、みんな平等になるのね。

ただみんな平等なら差は出ないはずなんだけれど、スポーツに体が大きい小さいで、有利不利があるように、美なんてもんは、目に見えない事が多い。

勿論、デッサン力だの、色彩能力だの、目に見える差はある。ただ教わった強さがあるのなら、教わらない強さって言うのもあるのね。影響されないってね。

でも自己流には限界があって、それが何が?になる。足りているなら足りないのは何か?だろうし、足りていないのは未熟なだけ。とても判りやすい。

その時に、ある程度技術って言うのは反復で解決するものなのね。例えば、職人なんて場合は、古典落語と同じスタイルなのね。一般的には。

こんな場合、図面が来たり、いつものスタイルって言う工務店の指示があるから、言われた通りに仕上げるって言うのは、0から考える事は無いのね。

これが、職人さんにお任せします・・・となると、タイル選びから、お客さんと打ち合わせやら、デザイン、金額等の交渉やらをやる事になる。

でもそれでもそんなの出来る・・・なんて人は、デザインなんて考えずに、ただ四角いタイルを張るだけって思っている人なのね。お花を作ったり、模様を

考えたりしない、出来ない、考えもしなかった人なのね。つまり出来ないのね。そもそも考えるって言うのは、その人、その人の個性であって、例えば、

ウチの犬なんてお題の場合、犬自体は写真だから、キチンと切れれば、ある程度の腕があれば誰がやっても出来るものなのね。ここで一番大事なのは、実は

バックなのね。ここが各々の見せ所なのね。個性を出す絶好の場所なのね。そこで杏さんは思い出でもあるのかな?ネモフィラを選んだのね。それはその人しか浮かばない。

そんな事が個性の第一歩になる。思い入れや情緒なんてもんは、切る、張る技術とはまた違った技術で、作曲が出来るからって作詞が出来るとは限らないし

打つのが凄くても、守る事が凄いとは限らないのね。つまりベスパの方は、ありとあらゆる情報から、全てを網羅した上のデザインであって個性的なのね。

それを何の情報も無く、必要最低限だけだと看板になる。ただそれでは場が埋まらないのね。勿論、福山くんや長渕さんなら、ギター一本でドームもあり

だろうが、俺じゃね・・・この大きさじゃ間が持たないのね。そこで余計な事を省く・・・つまり個性を消す的になれば、無難になる。考えないのだから、

難が無くなる・・・無難。それでも多少は考えるから、こうなるんだけれど、ベスパのような構想って言う程の事は無いのね。しかもこうして葉っぱのたいるのように、

既存のタイルを使えば、技術として切る上手さは見せられないのね。だからそれをどう張るか?だけになる。元々素敵なのだから、左程変わらないし、

こうしてお披露目してしまえば、簡単に真似が出来るのだから、デザインとは残酷なものだったりする。そうなると、切るって技術は簡単には真似が出来ないし、

大きな差として判りやすいのね。その時にコースターや鍋敷きとは大きさが違うから、飲まれやすい。大作って言うのが大事なのはそんな所なのね。

人は慣れると慣れで、手慣れしちゃうのね。癖とかがあって、ついついいつもと同じ気に入った事しかしなくなるのね。チャレンジしなくなるとでも言うのかな?

所がこんなに大きいと、いつもの手慣れた事って訳には行かなくなるし、戸惑ったりする。ここが勉強になるのね。所がこうして何度か繰り返す事で、

大きさにも慣れて来る。まぁひよこもダチョウも鳥だから、飼育は一緒だとしても、きっと違うよね?でもそれだって飼育員だとしたら、きっと慣れる。

だからゾウも一緒。俺もこの大きさに慣れて来た感じなのね。ただ慣れとは恐ろしいもので、慣れると油断をするもんなのね。大抵現場の事故は、ベテラン

であって、素人みたいな奴は怖がるから、危ない事はしないのね。つまり油断って言うのは、ベテランがするものなのね。そう言う点では、まだ大きさには

未熟だから、そんな油断をする事は無いが、ビビリって感じの素人や若手って感じからは少し前進したかなって感じなのね。このピエロの壁画で・・・。

色んな事を得た・・・katsu前進って手応えはある。


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ベスパを合体してピエロの玄関側面下部

2024-12-03 01:28:33 | モザイク作家

今日は昨日終わったベスパを合体して、ピエロの玄関の側面下部。結果としては、中心になる文字の両サイドのバリカンに見えるデザインが残って・・・。

まぁしかし、しっかりと描き込んでいた訳じゃ無いし、仕方無いかぁ・・・って感じで、最低限の所まではやったかな・・・と。その後はアトリエで側面の

反対側の文字の下書き・・・検討中。

こっちは文字が決まったら、いきなりスタートする・・・もはやフィーリングのみ。本当にシンプル・・・ってな事で完成に向けて着地体制に入ろうかと。

何しろ、いくら何でも・・・ってやり過ぎだし、年内に完成しないとね。


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杏さんに親子3代さん教室とベスパ終了

2024-12-01 22:54:08 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬の杏さんからスタート。そうね、ネモフィラが終わるまで特に広げる話も無いし、何も心配無いのね。そんな中、以前作った新浦安のシドさんの作品が見たい・・・

って話で、機会を見つけて見に行きたいとの事。既にユーミンママの壁画も大久保まで見に行って下さって・・・以前のkatsu作品を知って頂いているのね。

そもそもこの腕の方に見て頂けるのは、中々厳しい批評もあるだろうし、その中での評価として、とても良かった・・・と言われれば、自信にも繋がるのね。

って言うか、何しろわざわざ見たい・・・と思われる時点で有難い話なのね。ただ、先生の作品が見たい・・・って言うのは、普通なのかも知れないが、

アトリエに置いて行かれる生徒さんの大作でも、あぁこんな大きいんだ・・とか、結構進んでいるとか、こんなパーツ切っているんだぁ・・・とか、刺激に

している人はいたりするのね。そうね、何しろ一つとして同じ大作なんてものは無いし、やはり生の破壊力は違うからね。そっか・・・そう来たかぁって、

言うのは、図鑑の生き物と、実際とでは迫力が全く違うし、ただ生きてる、ただ大きいでは無くて、じっくり見る人には、ウロコ1つ1つ、花びら、葉っぱの

葉脈が見えちゃうだろうしね。まぁこっちにしては、また1人知っている人が増えたって事になるのは、また信用されるかも・・・って事でもあるのだから。

そんなこんなで午後からは親子3代のご近所さん教室。やはり今日はママから。

張り終わったのね。ただ真っ黒クロスケの目の穴を開けるのに一苦労・・・そんな中、さくらの以前の作品を見せて、こんな弟子もいるんですよって言うと、

えっ・・・って驚いていたけれど、手が思うように動かなかった時には、それしか出来なかった・・・って事なんだけれど、そんな体験をすればするほど、

ほぼ有り得ない、もうやりたくない・・・って気持ちになる位、時間が掛かるのね。ただそれさえ乗り切っちゃえば、いつもの通りの実力を発揮出来る訳で。

そんな訳で張り終わったんだけれど、1年掛かったようなのね。って事は、3時間x12ヶ月だから、36時間掛かった事になるから、これから目地を入れると、

40時間弱って事になる。これをどう思うか?そっか・・・って思うのか?なるほどね・・・って思うのか?そんなに掛かるの?って思い方一つで、

その人の実力さえも伺えたりするのね。例えば料理をご馳走になったとする。美味しい・・・って言う感想なら、誰にでも言えるし、大人も子供でも一緒。

それでは全く、自分ってものが無いのね。だからただご馳走になった。では実はそれは料理人の料理だった・・・とか、貴方のお母さんですよ・・・とか、

行き付けの店の・・・とか、そんな種明かしをされてから判るのと、何か食べている時に、もしかして・・・って判ると、目利き的に味が判る人になる。

それがもし料理を作る人なら、隠し味の材料も見つけるかも知れない・・・と、自分で再現出来るかも知れない。それが音楽の耳コピ的なもの。

感じる・・・って五感が鍛えられると、上手さって言うのは、ただ切っている、ただ張っているのとでは、進歩の差は歴然なのね。そんな中、新作の話も出て

・・・ウチの金魚を半立体で・・・って話に決まったのね。中々大変だとは思うけれど、モチーフとしてはウチの・・・って言うのは、頑張るには張り合いが

あると思うのね。ではお母さん。

黙々と進んでいて、3時間安定していて、もう完全に慣れた・・・って感じなのね。これなら腰の短冊のようなパーツの繰り返しも期待出来るのね。

良く言う、そば、うどん、きしめんの話なのね。ずっとその幅で繰り返せる事が上手くて綺麗なんだけれど、進みたいだけになると、バラバラになる。

それを綺麗だけに集中すると、全く進まなくなる。質を上げるとはそう言う事なんだけれど、そこに至るまでが大変なのね。しかも幅を合わせないと、どんどんと、

絵とズレて行くし、入らなくなって来るのね。ただかなり期待出来る感じにはなって来たのね。そして、最後は小学生の女の子って事になるんだけれど、

大作疲れで、遊びって事でアトリエにあった貝のモザイクを見て、これ作りたい・・・って事で、今日はお遊びのはずだったのね。所がこんなリアルにしたら、

そりゃ終わらなくても当然だし、さっきのお母さんの短冊よりも細かく細い・・・本人は終わりたかったようだけれど、消して楽な事を選ばない・・・

作り手として中々侮れないのね。いつかこの子が本当に大人になるまでやっていたとしたら・・・?そりゃかなりのツワモノになるだろうね・・・。

それがリアルなのが、大人と一緒に3時間耐えられるようになっているのだから・・・そんな事は中々有り得ないのね。しかも宿題のようなハードルがある

訳じゃ無いのに。自分の問題なだけなのに・・・それでこんなに遊ばない。そんな事が出来る子が中学、高校・・・何処まで出来るんだろう?もし大人に

なってもやっていたら?・・・そりゃ弟子にしたいわっ・・・。って事で、その後はベスパ。

俺も終わったのね。


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