昨日は、朝からいろんな方が来校して下さり、楽しくもそして、充実した時間を過ごすことができました。
12年前に日田に勤務したときの生徒とご両親が来校してくれました。
すでに生徒も社会人として活躍をしています。
時の経つ早さと成長している姿にとても嬉しく頑張りました。
大学を出てからもさらに資格もとって、社会の第一線で活躍をしています。
輝いていることがたのもしく感じました。わずかな時間でしたが、懐かしい時を刻みました。
そして、それからすぐに、ムラートさんが来校してくれました。ムラートさんは、トルコ出身で、日本でトルコ共和国と日本の交流の橋渡しをしています。
道徳の時間に生徒たちにトルコのこと、トルコと日本のこれまでの歴史的なつながりなどを話してくれました。
そして、そのことから、先生たちも入って、グループで討論しながら、話を深め合いました。
ムラ―トさんの話のあとは、ムラートさんと意見の交流をしながら、トルコの人から見た日本の素晴らしさから日本の魅力を感じたり、トルコの様子を知ることができました。
「学び直し」、「振り返りの学び」をすることができました。
S谷先生からも、貴重な大切にしなければならないところの話を聞くことができました。
トルコと日本がより結びつきが深くなったのは、2つの大きな出来事からです。
一つは、エルトゥールル号遭難事件です。1889年の9月に和歌山県沖でトルコの使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」が遭難、沈没しました。
そのときに、和歌山県の大島村の人たちは、暴風雨の中、献身的な救助活動と看護を行い、乗組員600人のうち、69名の命が助かりました。
大島村では、犠牲者のご遺体も手厚く埋葬し、5年ごとに追悼式も行ってきていました。
トルコの方々の素晴らしいところは、その歴史的なことに対しての「感謝」や「恩」を伝え続けてきています。
イラクとイランが戦争を行ったときに、イラン領域は、「戦争空域」とイラクのフセイン大統領が宣言をしました。
民間航空機もすべて撃ち落とす声明を出しました。
イランにいる200人以上の在留邦人は、取り残されました。
戦争空域に日本機の派遣は法律上できませんでした。しかし、そのときにトルコ共和国は、イラクの攻撃猶予タイムリミット1時間前に、トルコ航空機の派遣を決定し、イランの在留邦人を救援しました。
トルコ国民からもトルコ政府に対しての対応に非難の声もあがりませんでした。
トルコ共和国が自国民より日本人を優先して救出した理由を駐日トルコ大使は、こうコメントをしています。
「エルトゥールル号の借りを返しただけです。」
また2011年10月、トルコ大地震が発生をしました。大分市出身の宮崎淳さんが被害地の最前線で救護活動を行っていました。余震で宮崎さんの宿泊所が全壊。宮崎さんは、心肺停止の状態で発見されました。それまでの功績で、今でもトルコのあちらこちらに宮崎さんの銅像があるそうです。
この2つの出来事が、トルコ共和国が日本に対する尊敬と親日国として存在するようになりました。
国を超えての学びができました。
生徒たちも学んだことから、お礼の言葉を言えるようになっています。
ムラートさんからも全校生徒にトルコの紅茶やクッキーのプレゼントがあり、学びの中でも、みんなでおいしく食べることができました。
道徳の時間に学校の教員だけでなく、効果的にいろんな方をお招きして話を聴き、互いに意見を出し合い、考えを深めることも、生徒たちの心を揺り動かせます。
新しい価値観を生み出してくれます。
12年前に日田に勤務したときの生徒とご両親が来校してくれました。
すでに生徒も社会人として活躍をしています。
時の経つ早さと成長している姿にとても嬉しく頑張りました。
大学を出てからもさらに資格もとって、社会の第一線で活躍をしています。
輝いていることがたのもしく感じました。わずかな時間でしたが、懐かしい時を刻みました。
そして、それからすぐに、ムラートさんが来校してくれました。ムラートさんは、トルコ出身で、日本でトルコ共和国と日本の交流の橋渡しをしています。
道徳の時間に生徒たちにトルコのこと、トルコと日本のこれまでの歴史的なつながりなどを話してくれました。
そして、そのことから、先生たちも入って、グループで討論しながら、話を深め合いました。
ムラ―トさんの話のあとは、ムラートさんと意見の交流をしながら、トルコの人から見た日本の素晴らしさから日本の魅力を感じたり、トルコの様子を知ることができました。
「学び直し」、「振り返りの学び」をすることができました。
S谷先生からも、貴重な大切にしなければならないところの話を聞くことができました。
トルコと日本がより結びつきが深くなったのは、2つの大きな出来事からです。
一つは、エルトゥールル号遭難事件です。1889年の9月に和歌山県沖でトルコの使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」が遭難、沈没しました。
そのときに、和歌山県の大島村の人たちは、暴風雨の中、献身的な救助活動と看護を行い、乗組員600人のうち、69名の命が助かりました。
大島村では、犠牲者のご遺体も手厚く埋葬し、5年ごとに追悼式も行ってきていました。
トルコの方々の素晴らしいところは、その歴史的なことに対しての「感謝」や「恩」を伝え続けてきています。
イラクとイランが戦争を行ったときに、イラン領域は、「戦争空域」とイラクのフセイン大統領が宣言をしました。
民間航空機もすべて撃ち落とす声明を出しました。
イランにいる200人以上の在留邦人は、取り残されました。
戦争空域に日本機の派遣は法律上できませんでした。しかし、そのときにトルコ共和国は、イラクの攻撃猶予タイムリミット1時間前に、トルコ航空機の派遣を決定し、イランの在留邦人を救援しました。
トルコ国民からもトルコ政府に対しての対応に非難の声もあがりませんでした。
トルコ共和国が自国民より日本人を優先して救出した理由を駐日トルコ大使は、こうコメントをしています。
「エルトゥールル号の借りを返しただけです。」
また2011年10月、トルコ大地震が発生をしました。大分市出身の宮崎淳さんが被害地の最前線で救護活動を行っていました。余震で宮崎さんの宿泊所が全壊。宮崎さんは、心肺停止の状態で発見されました。それまでの功績で、今でもトルコのあちらこちらに宮崎さんの銅像があるそうです。
この2つの出来事が、トルコ共和国が日本に対する尊敬と親日国として存在するようになりました。
国を超えての学びができました。
生徒たちも学んだことから、お礼の言葉を言えるようになっています。
ムラートさんからも全校生徒にトルコの紅茶やクッキーのプレゼントがあり、学びの中でも、みんなでおいしく食べることができました。
道徳の時間に学校の教員だけでなく、効果的にいろんな方をお招きして話を聴き、互いに意見を出し合い、考えを深めることも、生徒たちの心を揺り動かせます。
新しい価値観を生み出してくれます。