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「一つの花から」

2019年07月23日 | 大分県
国語の教材の中に「一つの花」があります。
子どもたちは、この物語からいろんなことを感じて学んでいきます。
 



戦争中に配給されるわずかな食料で生きていく中で、もっと欲しがったゆみ子に、少しでもゆみ子に満たしてあげたいお母さんが自分の分から、
「一つだけ。」
と言って、分け与えます。


それで、いつしかゆみ子も、
「一つだけ。」
という口ぐせを覚えます。
 



お父さん、お母さんのゆみ子を大切に思う気持ちがあふれた作品です。
 



授業では、子どもたちなりに一生懸命に、ゆみ子のお父さん、お母さん、そしてゆみ子の気持ちを考えていきました。
 




戦地に行くお父さんを見送りに行くときに、お母さんは、お父さんにゆみ子の泣き顔を見せたくないと、おにぎりをみんなゆみ子に食べさせます。
何も与えるものがない中で、お父さんはゆみ子に一つの花を渡します。
その花を見つめながら、汽車に乗って行ってしまいます。



「お父さんと思って、この花を育てて欲しいのかなあ。」
という子どもから意見が出ました。



「一つの花しかあげられない。でも命を大切にして欲しいと思っていると思います。」
一つの花・・・一つの命なのでしょうか。




それから10年。お父さんも帰ってきていません。


ゆみ子も優しく包んでくれたお父さんの顔を覚えていません。
ゆみ子がお父さんがいたことも覚えていません。
 
せつない時代の流れです。



しかし、時代は戦争が終わっています。



一つだけの花は、時とともに、庭いっぱいに咲き誇っています。

「一つだけのおにぎり」

「母さん、お肉とお魚とどっちがいいの。」
と言いながら、ゆみ子はお昼ご飯を作ります。



「ゆみ子は幸せになっちょるね。」
と子どもたち。
 



一つの花がいつしかたくさんの花に囲まれ、「一つだけ」のものが「多くの幸せ」が降り注いでいます。


お父さんは帰って来ることはないと思いますが、お父さんの花に託された願いは叶えられたのでしょう。
 



すでに作者の今西祐行さんは他界されています。



かつて、今西さんの講演会に行ったことがあります。



その中で、「すみれ島」の話を聴きました。

短いのですが、この物語も心が揺さぶられます。
一生懸命に講演会の後で「すみれ島」の話の本を探しました。 
 



今西祐行さんは、戦争の悲惨さをやわらかい繊細なタッチで描きます。

一つの花を学習するとき、かつて、「すみれ島」で劇を作ったりしたことが懐かしく思い出されます。
 



夏・・・8月6日、9日、15日など平和を考える歴史的な日が訪れます。
ちょっと立ち止まって「平和」について考えたいものです。



『すみれ島』
  今西 祐行文 
  
九州の南の端に近い海辺に
小さな学校があった。


昭和二十年、春のこと、
いつからかまいにちのように、
日の丸をつけた飛行機が、
学校のま上を飛ぶようになった。



生徒たちは そのたび、
バンザイをさけんで、手をふった。
すると、飛行機は、
まるでそんな声が
きこえたかのように、
ゆっくりつばさをふって、
海のむこうへ飛びさった。



先生たちは知っていた。
それが、
かた道だけの燃料しか持たないで、
ばくだんとともに
てきの軍艦に突入する
特攻機であることを。
そして、最後のサヨナラ
をしていることを。



だが、子どもたちは、 
飛行機が、なんども
学校に飛んできているのだ
とばかり思ってよろこんでいた。



そして、手紙や絵をかいて、
航空隊におくってもらった。
「飛行機からぼくたちが見えますか。
こんどは、もっと大きく
つばさをふってください。」
手紙にはそんなことを
いっぱいかいた。
手紙をだしてから、
飛行機はほんとうに、つばさを
大きくふってくれるように思えた。




手紙や絵もかきあきたころ、
ひとりの女の子がいいだして
すみれの花たばを
おくることにした。


みんなでつんで、いくつものはなたばにして、
代表が先生といっしょに、とおくの航空隊までとどけにいった。



するといく日かして学校に手紙がきた。





「すみれの花を たくさんありがとう。
ゆうべは とてもたのしい夜でした。
ぼくは 小さいとき、よく
すみれの花で、すもうをしました。
みなさんは知っていますか。




すみれのことを、ぼくたちは、
<すもうとり草>とよんでいました。
すみれの花をからませて、
引っぱりっこをすると、
どちらかの花が、ちぎれます。
ちぎれたほうが、まけです。




きのう、たくさんのすみれをいただいたので、
みんなで それをやりました。
せっかくもらった花を、ちぎってしまって、
わるいなと思いながら、
花がなくなるまでやりました。




毛布の中を
花だらけにしたまま
ねてしまいました。

かすかに、
いいにおいがしました。

今、出撃の号令がかかりました。
みなさん、ありがとう。
ゆうべはほんとうにたのしい夜でした。
いつまでもお元気で。サヨーナラ。」



先生は、声をつまらせて読み終えると、




「このお手紙をくれたかたは、
もう、南の島で、戦死しているのですよ。
もう、いらっしゃらないのよ・・・・・・」
そういって、生徒のまえで泣いた。
そして、先生は、はじめて
特攻機のことを、くわしく話した。




その日から、子どもたちは、
野原にすみれの花がなくなるまで、
花たばをつくって、
おくりつづけたのであった。



いく機の特攻機が
子どもたちのすみれを持って
南の海にちっていったことだろう。




そんな特攻機のいくつかは
とちゅうで、こしょうして、
だれも知られずに
海や島についらくしていた。



戦争がおわって、
いく年かがすぎた。
南の島の無人島の一つに、
いつからか、いちめんに
すみれの花が さくようになった。



子どもたちのおくった、
すみれの花たばに、
たねもまじっていたのだろうか。



海べの人たちは、
名まえのなかったその島のことを、
<すみれ島>
とよんでいる。