『さわやかな言霊あいさつ響かせて
心温め今を乗り越え』
わたしたちが乗り越えていかなければならないことが様々なことがおこっています。
これも自然のことですから、さからうことはできません。
しかし、ずっとこの状態が続くわけではありません。
「不安」もありますが、おさまっていくのを「待つ」ことも大切です。
このときだからこそ、人と人とのぬくもりを大切にしていきたいものです。
(2023年1月5日初春 コロナ収束を願いながら)
今日の大分県のコロナ感染者数が3000人を超えています。
びっくりな数字です。
感染者数はとどまるところを知りません。
あと数日で学校が始まります。
充実した学校生活とコロナ感染防止のバランスをとりながら、3学期もいろんな配慮をしていかなければなりません。
3学期も欠席した子どもたちには、「オンライン授業」、教室での換気、加湿、授業形態などの配慮などしなければならないことがたくさんあります。
子どもたちへの感染拡大防止と思っての奮闘です。
しかし、
「いつもの正月に戻っています。」
とか
「休日の過ごし方も少しずつ戻りつつあると思えます。」
などとニュースや新聞の記事などの言葉に出てきます。
バランスが難しいです。
こんな時代の中、みんなが共通した理解の中で、活動を展開していきたいものです。
一つの例として、こんなことがありました。
学校において、昨年末、
『全国の教育委員会に学校給食での会話は可能とする通知を出し、その際「従来も黙食は求めていなかった」などと伝えています。
文科省が出していたマニュアルによって事実上「黙食」をせざるを得ない状況を作り出していました。
教育委員会も黙食を求めており、その状況を文科省が黙認してきたというのが実態です。』
文科省の通知だけ読むなら、学校が勝手に黙食をさせていたことになります。
何かあった時に、なにか説明しなければならない時に、責任をするりと抜けてしまうことに寂しさを感じます。
元気のよい、子どもたちに黙食させることは、現場の先生たちも大変です。
黙食という基準のある行動でも先生たちは大きなエネルギーが必要となります。
まして、「大きな声でなければ。」ということになると、子どもたちに、どこまでが大きな声か小さな声かを判断する基準を求めるのもまた至難の業です。
最後は、学校現場に責任を転嫁するのでなく、コロナ感染に先行きが見えるまで、舵を取る人が、子どもたちのことを考えた施策をぶれないで、学校をコーディネートをしていって欲しいと願います。
コロナ禍の中で、誰もが平穏な社会・学校を待ち望んでいます。
危機的な状況だからこそ、社会があたたかい空気で、いい絆で結ばれることを願っています。
心温め今を乗り越え』
わたしたちが乗り越えていかなければならないことが様々なことがおこっています。
これも自然のことですから、さからうことはできません。
しかし、ずっとこの状態が続くわけではありません。
「不安」もありますが、おさまっていくのを「待つ」ことも大切です。
このときだからこそ、人と人とのぬくもりを大切にしていきたいものです。
(2023年1月5日初春 コロナ収束を願いながら)
今日の大分県のコロナ感染者数が3000人を超えています。
びっくりな数字です。
感染者数はとどまるところを知りません。
あと数日で学校が始まります。
充実した学校生活とコロナ感染防止のバランスをとりながら、3学期もいろんな配慮をしていかなければなりません。
3学期も欠席した子どもたちには、「オンライン授業」、教室での換気、加湿、授業形態などの配慮などしなければならないことがたくさんあります。
子どもたちへの感染拡大防止と思っての奮闘です。
しかし、
「いつもの正月に戻っています。」
とか
「休日の過ごし方も少しずつ戻りつつあると思えます。」
などとニュースや新聞の記事などの言葉に出てきます。
バランスが難しいです。
こんな時代の中、みんなが共通した理解の中で、活動を展開していきたいものです。
一つの例として、こんなことがありました。
学校において、昨年末、
『全国の教育委員会に学校給食での会話は可能とする通知を出し、その際「従来も黙食は求めていなかった」などと伝えています。
文科省が出していたマニュアルによって事実上「黙食」をせざるを得ない状況を作り出していました。
教育委員会も黙食を求めており、その状況を文科省が黙認してきたというのが実態です。』
文科省の通知だけ読むなら、学校が勝手に黙食をさせていたことになります。
何かあった時に、なにか説明しなければならない時に、責任をするりと抜けてしまうことに寂しさを感じます。
元気のよい、子どもたちに黙食させることは、現場の先生たちも大変です。
黙食という基準のある行動でも先生たちは大きなエネルギーが必要となります。
まして、「大きな声でなければ。」ということになると、子どもたちに、どこまでが大きな声か小さな声かを判断する基準を求めるのもまた至難の業です。
最後は、学校現場に責任を転嫁するのでなく、コロナ感染に先行きが見えるまで、舵を取る人が、子どもたちのことを考えた施策をぶれないで、学校をコーディネートをしていって欲しいと願います。
コロナ禍の中で、誰もが平穏な社会・学校を待ち望んでいます。
危機的な状況だからこそ、社会があたたかい空気で、いい絆で結ばれることを願っています。