土曜日、地区のお祭りの20周年記念ということで日田の屋形船にのりました。地区の人たちで楽しいひとときを過ごしました
地区の夏祭り「若宮祇園」が7月ににぎやかに行われました。今回で20回目を迎えました。なんとか細々と20回目を迎えることができました。
20回の前は、お宮の舞殿でお神楽を上げるくらいでした。お神楽をあげているけれど、だれも見る人がいない・・・そんな感じのお祭りでした。そこで、地区のリーダーの方たちが、地区を盛り上げようと、若宮祇園を発足させました。
毎年、行っていることは同じようなことですが、年に一度地区の人たちが集って楽しみます。地区の交流会です。20回が終了したというので、みんなで、日田の屋形船に先週の土曜日、バスを借り切って乗りに行きました。
第一回目から関わってきた人たちばかりが集まりました。その頃の思い出話に花を咲かせながら、日田の船乗り場につきました。
船の上は、豪華な食事でした。前に一回いったことがあるのですが、そのときは、観月祭で弁当でしたが、今回は、お膳でごちそうでした。
「日田は暑いよ。」
といわれていましたが、船に乗る直前まで夕立で、乗るときは、涼しい風が吹いていました。
日が沈んであたりが暗くなっていくと、船やホテルの明かりがきれいに水面に映し出されます。ときどき、鵜飼いの船が近寄ってきます。なんとなくロマンチックな、そして時代が大正、昭和の時代にさかのぼったようなそんな気にさせられます。
市町村合併をする前は、いろんな行事が地区にありました。しかし、予算の関係で、一気に減少しました。そんな中で、地区の人たちの手づくりで20回も続いていることは、すごいことだと思います。
一緒に準備をしたり、(今年はあまり出ることができなくてすません)地区がまとまるために、派手なものはしなくていいけれど、みんなでできる範囲の中で、これからも継続できたらいいと思います。伝統を次の世代へとバトンタッチができたらいいですね。
発足当時より、実行委員の人たちは、高齢化となっています。過疎が進むここでは、まだ若手で通用できる唯一の場所です。
地区の夏祭り「若宮祇園」が7月ににぎやかに行われました。今回で20回目を迎えました。なんとか細々と20回目を迎えることができました。
20回の前は、お宮の舞殿でお神楽を上げるくらいでした。お神楽をあげているけれど、だれも見る人がいない・・・そんな感じのお祭りでした。そこで、地区のリーダーの方たちが、地区を盛り上げようと、若宮祇園を発足させました。
毎年、行っていることは同じようなことですが、年に一度地区の人たちが集って楽しみます。地区の交流会です。20回が終了したというので、みんなで、日田の屋形船に先週の土曜日、バスを借り切って乗りに行きました。
第一回目から関わってきた人たちばかりが集まりました。その頃の思い出話に花を咲かせながら、日田の船乗り場につきました。
船の上は、豪華な食事でした。前に一回いったことがあるのですが、そのときは、観月祭で弁当でしたが、今回は、お膳でごちそうでした。
「日田は暑いよ。」
といわれていましたが、船に乗る直前まで夕立で、乗るときは、涼しい風が吹いていました。
日が沈んであたりが暗くなっていくと、船やホテルの明かりがきれいに水面に映し出されます。ときどき、鵜飼いの船が近寄ってきます。なんとなくロマンチックな、そして時代が大正、昭和の時代にさかのぼったようなそんな気にさせられます。
市町村合併をする前は、いろんな行事が地区にありました。しかし、予算の関係で、一気に減少しました。そんな中で、地区の人たちの手づくりで20回も続いていることは、すごいことだと思います。
一緒に準備をしたり、(今年はあまり出ることができなくてすません)地区がまとまるために、派手なものはしなくていいけれど、みんなでできる範囲の中で、これからも継続できたらいいと思います。伝統を次の世代へとバトンタッチができたらいいですね。
発足当時より、実行委員の人たちは、高齢化となっています。過疎が進むここでは、まだ若手で通用できる唯一の場所です。