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11年間お疲れさまでした…斎藤佑樹投手からの学び

2021年11月23日 | 大分県
11年間お疲れさまでした…斎藤佑樹

『きらきらと瞳が輝く子どもたち
     夢を描いて未来に向かう』


昨日放映されて、ハードディスクに撮っていた
『スポーツヒューマン「ハンカチ王子 最後の日々 密着 斉藤祐樹』
を見ました。

高校・大学とマウンドを守り抜いて斉藤投手。
プロでもいいスタートを切りましたが、その後はけがもあって、不本意な成績が続いていきました。

その姿をずっと追いかけていたのが、高校・大学時代の野球部の先輩のディレクターでした。
ディレクターは、高校時代のエース。
斉藤投手が台頭することによって、エースの座を奪われました。
しかし、今ではお互いの信頼関係の深さがよくわかります。

「結果を出せない斉藤と契約してきたのは、特別扱いと言われているけど、どう思う?」
「田中将大投手が活躍してるのは、どう思う。うらやましいと思う?」


と普通の人なら、聞きづらい質問をしながら、斉藤投手の生き方や考えの変容などを表していました。
聞きづらい質問をする先輩もつらかっただろうと感じました。
 
自分の思うような球を投げることができなくなったこと、肩の痛さ、勝てない自分の悔しさ、同じチームメートに頑張って欲しいというような思いが出てきて、闘争心が薄くなってきたということなど、多くの気持ちが入りまじって、今シーズン限りの引退となりました。

野球ファンのみならず、多くの人たちが、斉藤投手の高校時代から、マウンドでの姿を楽しませてもらいました。
栄光、挫折入り混じりながらの歩いてきた道は、マスコミなどでも取り沙汰されてきました。
 
一つの区切りです。
斉藤投手の姿は、多くの人たちの歩く道の縮図だと思います。
技術ではなく
「本当に持っていたものは、仲間だと思います。」
そう語りながら、マウンドを去っていきました。

2軍にいることが多く、けっして多くのマウンドでの姿を見ることができたわけではありません。
しかし、苦悩しながらでも立ち向かっていこうとする投手としてのユニフォーム姿を見ることができないと思うと寂しさを感じます。
 

自分にあてはめると、38年間、教員生活を送ってきました。大切な思い出詰まっています。
そして、
「子どもたちともう一度、関わっていきたい」
とリスタートをして、3年が経過しようとしています。

最初は、管理職からの学級、経験はあったものの、中学校からの小学校。教育課程・教育活動の大きな変化などとまどいだらけでした。
しかし、なんとか3年が経とうとしています。

時の移り変わりによって球種は変わっても、
子どもたちに向けて、しっかり球がいかなくなった時、
教育の変化に自分がついていけなくなった時、
仲間と手を繋げなくなった時
には、区切りもつけないと日々思いながら、教室に向かっています。

残された時はあとわずかだと認識はしていますが、38年間にさらに関わりと思い出をつなげていきたいと思います。



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