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倉庫の昔と今

2011年03月06日 | Weblog
家も利便性がいいようにリフォームと減築をいろいろとお世話になっている方に頼んで施工します。そこで、今日は倉庫の片づけを少ししました。いろんな思い出が片付ける中でよみがえってきました


 リフォームと減築をするために、今日は倉庫や中二階の片づけを雨も降り多くはできませんでしたが、可能な限りしていきました。


 倉庫にはいろんな思い出が詰まっています。倉庫は、父と母が建材店を営んでいるときに、建てたものです。



 セメントや石灰などを入れる倉庫。ガラスを入れる倉庫。タイルや水道用品を入れる倉庫です。



 セメントを入れる倉庫は、印象は強烈です。



 小学校のころは、セメントは、一袋50キロありました。休みの日には、手伝いをしていました。(させられていた?)倉庫からセメントをトラックに積むのです。



 ぜいぜい言いながら積んでいました。一俵や二俵ならいいのですが、30俵、50俵・・・となってくると、積んだあとは、ぐったり。父も一緒に積むのですが、小学生の体力では至難の仕事でした。おかげで背筋力は人並み以上にありました。



 それから、セメントの袋も40キロと軽くなりました。今は、もっと軽くなっているとのこと。きつかった思い出が多いのですが、ある意味、今体力があるのは、それがあったからかなあって思います。




 ガラスは、学校やいろんな家庭で割れたところなどに父がはめに行っていました。自分の役目は、学校などで割れたガラスの枠のパテをとることです。


 以前、学校のガラスは、パテで止めていました。パテは、なかなか取れないんですよね。これまた、数枚の入れ替え作業になると、すごい労力でした。当時は、ドライバーをかなづちでたたいて取っていました。その役割は、子どもの自分たちでした。


 切る役は母、入れる役は父でした。ガラス倉庫の机の上にガラスを置いて、寸法どおりに、切断用具で切っていきます。「切る先についているのが、ダイヤなんだよ。」と教えてくれました。さすが、ガラスの倉庫は危険なので、あまり近寄らせないようにしていました。




 子どもが手伝いをしないと生活がやっていけなかったのかもしれません。そういった昭和の時代でした。一方、倉庫は、いろいろと隠れるところも多く、かくれんぼには持ってこいの場所でした。友だちが遊びに来たときは、かくれんぼや缶けりで楽しんでいました。




 それももう昔の話。現在は実際には、ほとんど使っていません。いろんな思い出がありますが、整理のときです。


 
 倉庫には、井戸があり、埋めるので、神主さんにお払いをしていただきました。



 昭和の役割も終わろうとしています。

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