かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

節分の日には

2011年02月03日 | Weblog
今日は、節分の日です。いつから流行ってきたのか、節分の日に、恵方巻きをたべると願い事が叶うとされています。ついに明日は、立春です


 節分と言えば、豆まきです。しかし、最近は、鬼が弱くなったのか、恵方巻きに豆もちょっと押され気味です。恵方巻きはいつからこんなにももてはやされるようになったのでしょう。


「恵方巻は、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされている。商売繁盛や無病息災を願って、七福神に因み、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、ウナギ、でんぶなどの7種類の具を入れることで、福を巻き込む意味があるとする説もある。」



とインターネットでは表現されています。



 そのブームにのってか、今日は、勤務先では希望者を募ってくれ、「巻き寿司」を団体様?で販売促進に協力して?注文をしました。早速持って帰って食べました。満腹満腹。でも丸かじりは、無理。



 趣に関して言うと、それは豆まきの方がありますよね。子どもがまだ小さい頃、鬼の衣装やお面を車に朝から積み込んで、帰るときに、鬼が来たように玄関から侵入しました。子どもは泣きながら、豆をぶつけてきました。そのまま、外に出て1時間くらいしてから何もなかったふりをして家に帰っていました。


「なにかあったのかい。」
「おにが・・・きた・・・(泣)」


それが毎年の恒例の2月3日でした。


 昔は、この時期になると、鬼のお面を図工などで作ったりしていましたよね。思い出につながるとなると、やっぱり豆まきなのかなあ。

デジタル化のその後

2011年02月02日 | Weblog
デジタル化が急速に進む、今日この頃。いろんな生活が変わってきています。あれから、どんなに変わったのか、ちょっと診断


 デジタル化が住んでいるわが田舎にも、進んでいます。先日もデジタル化についてちょっとだけ書きましたが、今日は、その後・・・ということを紹介。


 朝の食事。なんと、市が導入した無線放送から流れるラジオを聞きながらの食事。テレビがその部屋にないので、ちょっと音楽やニュースを聴きながら食べています。朝食の時間が変化しました。



 テレビ。これが大変。新聞(大分合同新聞)のテレビ欄のすべてをみることができます。さらにBS,CSの一部を見ることができるので、テレビを見る時間が長くなった・・・。またまた、録画機のとっている番組もあるので、テレビ漬けにならないように努力!!



 こちらがお願いをしたわけではないのですが、アナログからデジタルへと移行。そのために、デジタル対応のテレビなどに変えたり、チューナーを入れたりしたので、その費用がかかりました。



 今日、学校の先生たちの研修で、先日放映されたテレビ放送を見ることになりました。一昨日、録画機で録画をしたものをダビングしようとしたら・・・できない。夜中までかかりました。で、そのことを先生に言うと、



「デジタル放送をダビングするときは、デジタル放送対応のDVDを使用しないと、できないよ。コピーワンス、ダビング10に気をつけて。」



うん?コピーワンス?ダビング10?



「回数制限があるよ。コピーワンスは、一回だけ。ダビング10は、10回だけダビングできる。」


 ダビングできなかったのは、DVDで録画しようとしていたからです。DVDのディスクを買うときににしなければならないことを知りました。とまどうこともいっぱいありますよね。そのビデオを見るときも、「CPRM対応」とか「デジタル放送録画対応」のものでないと見ることができないらしい。




「でもね、先生、パソコンのプレゼンのソフトは、デジタル映像では対応しないので、また機器を買って、アナログに戻さないといけないんですよ。」そうかあ。




何人かの先生と「デジタル化についていけない・・・。」という話をしました。

車を走らせながら

2011年02月01日 | Weblog
1月の末がやってくると、何となく父の面影を感じます。亡くなってから、8年目を迎えます。そんな昨日、ふと車を走らせながらある思いにはせました


昨日、昼間運転をしながら、前の車の遅さを感じました。低速で走っています。

「うん、もうちょっと速く走ってくれないかなあ。」


と思いながら、後ろをついていきました。



 後ろから前の車の運転する人を座席の上にでている姿を見ると、高齢のおじいさんでした。横には、帽子をかぶってちょこんと座っているおばあさんもいました。ときどき笑顔で話をしています。



きっと、たのしくいろいろと話をしながら、老夫婦で買い物などに行かれたのだろうなどといろいろ思いをはせめぐらせました。


 父も母と一緒によく車で、病院や買い物に出かけていました。その姿とだぶり感慨深いものがありました。


 父と母が買い物に行った後などはとても、にこやかな表情でかえってきました。父が肺を患って、思うように歩けないときは、ジャスコ等まで母を連れて行って、父は車の中で待つということもありました。父にとっては、車に乗ることが唯一の外に出る機会だし、移動手段だったと思います。



 寂しく感じたことがありました。


 それは、父の容体が次第に悪化して、



「もう、車に乗れん。車を持っていてももったいないので、車を廃車にしたい。」



と言われたときです。


ということは、もう車に乗れない、もう元の体には、戻れないという父が感じたということ、またそんな父の存在を認めたことになります。


「もう少し様子を見たら。」と言ったものの、強い父の意志で車を手放すことになりました。


 ベッドでの生活の父を見ながらいつもの父の車の置き場所から、車がなくなったとき、もしかして・・・という父の最期も予感、覚悟をしました。


 何となくそんなせつない気持ちになりました。



 低速で走っている車でしたが、いろんな思いが交錯しました。

 
 そのスローなスピードがかつての大切な思い出を自分に与えてくれたように思いました。