和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

上杉家の米沢を訪ねて  Ⅱ

2024-12-15 08:51:51 | 日記

上杉伯爵邸





上杉家廟所









春日山林泉寺



直江兼続夫妻の墓所













旧米沢高等工業学校


上杉記念館は上杉家14代茂憲伯爵邸として建てられ鶴鳴館とも称されました。1919年の米沢の大火で
類焼、1924年に銅板葺き・総ヒノキの入母屋造りの建物と、浜離宮を模した庭園が再建されました。
今は市が上杉家から譲り受けて観光客や市民に一般開放されています。
訪ねたのが日曜日だった為一週間前に上杉伯爵邸(上杉記念館)での郷土料理の予約を入れましたが残念
ながらかないませんでしたので、次回は平日に行き庭園を眺めながら米沢の郷土料理を味わいたいです。
上杉家御廟所、越後から当地へ移された上杉家(長尾家)の菩提寺である春日山林泉寺へ。
米沢藩歴代藩主の奥方や子女、直江兼続夫妻のお墓があります。 1617年上杉景勝が現在地に建立。
景勝正室菊姫(甲州夫人)、鷹山側室御豊の方、4代綱勝正室媛姫 保科 .家臣団の墓所に。

旧米沢高等工業学校本館(山形大学工学部)国重要文化財
米沢高等工業学校は、明治43年3月、東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台に続いて、全国7番目の
高等工業学校として開設されました。
この建物は、ルネサンス様式を基調とした木造2階建で、北を正面とします。英国人による設計で中央屋から
左右に胴屋が連なり、その両端に短い翼屋を付けた形になっています。正面・幅・全長94メートルに及ぶ
大規模なもので、屋根は寄棟造り、中央屋正面には両端に小塔形の角屋(階段室)が突き出し、中央玄関には
車寄せがついています。
実家の祖父が京都高等工藝学校を卒業して、明治から大正時代にこちらで教鞭をとっていたと聞いていたので
はじめて訪ねて感慨深いものがありました。日曜日で内部の見学はできませんでしたが。
米沢にはまだまだ訪ねたい場所がありますので季節の良いときにまた計画します。

秋は夕暮れ牛弁当に舌づつみ

上杉家の米沢を訪ねて  Ⅰ

2024-12-10 09:53:13 | 日記

上杉神社  上杉謙信を祭神として

上杉謙信公像

上杉景勝公と直江兼続公像

上杉鷹山公

上杉鷹山公の言葉

松ヶ崎神社 鷹山公を祭る





鷹山公
]
伊達政宗生誕の地  米沢はかっては伊達家の領地でした 25歳までこの地で

米沢牛の恩人 C・H・ダラスとは 米沢牛の美味なることを横浜から広めた人
<米沢牛の恩人 C・H・ダラス> 『米沢牛に魅せられた青い目の教師』チャールズ・ヘンリー・ダラス 貿易商、
外国語講師 1841(天保12年)~1894(明治27年

キャロライン・ケネディ駐日米大使が27日に米沢市で開幕する「なせばなる秋まつり」に合わせ同市を訪れた

米沢牛串焼きの店

米沢牛のメンチの店



長岡の秋葉神社で旗揚げされた上杉謙信のその後を知りたくなって数日後今度は山形県米沢を訪ねました。
上杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られていましたが
次代の上杉景勝が会津120万石を経与えられてから関ケ原の戦い後(秀吉方に着いたため)慶長6年(1601年)
に米沢20万石へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷されました。
名門直江家を相続した兼続は、主君上杉景勝の取り次ぎ役として活躍し、同じく取り次ぎ役の側近狩野秀治が天正12
(1584)年に亡くなると、唯一無二の側近となって上杉家を切り盛りするようになりました。

上杉 鷹山は、江戸時代中期の大名で米沢藩9代藩主。山内上杉家25代当主。諱は初め勝興、後に治憲であり、鷹山は
藩主隠居後の号ですが、この名で知られていて米沢藩政改革を行った江戸時代の名君として有名です。
鷹山が行った藩変革の具体例を3つ挙げるとすれば、倹約、産業開発(新規事業)、人材育成(学問の興隆)である。
藩主となるや「大倹令 (大倹約令) 」を発布。 今までの藩主の豪奢な生活を改め、自ら質素倹約に努め衣服は木綿、
日常の食事は一汁一菜を生涯通したそうです。

Q J.F ケネディ大統領が尊敬する人物に上杉 鷹山 の名前を挙げ た。
ケネディが大統領就任時に、尊敬する人物として上杉鷹山の名前を挙げたというエピソードは様々な. 文献で引用されて
いますが、正式な記録は残っていませんがこの話を今回の米沢街歩きのガイドさんからもききました。

私も小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本))を読んで米沢訪問に備えましたので何かと解りやすく納得した次第です。
帰りのタクシーの中で米沢の名物はと聞いてみました。
米沢の名物はA,B,Cだそうです。 つまりAはアップル  Bはビーフ  Cはカープ(鯉料理)
何れも鷹山の産業革命のお陰で盛んになって今も続いているのですね。。海に面してない米沢ではタンパク源に魚の代わりに
各地の池で鯉を養殖したことなど。山形牛も高級で美味しいですよね。昨年は山形から蜜入りリンゴも取り寄せ美味でした。

錦秋や威風同道像拝す

あぶらげのまち栃尾、秋葉神社、河井継之助記念館、山本五十六記念館を訪ねて

2024-12-05 06:56:39 | 日記

雁木







あぶらげを食べました

上杉謙信公

秋葉神社

奥の院 由緒ある彫刻なのに金網でおおわれてよくみれませんでした。





河合継之助記念館



幕末という大空を駆け抜けた越後の龍といわれた河合継之助



山本五十六記念館は撮影禁止  誠意と慈愛の人 山本五十六の生涯をたどる記念館でした

山本記念公園 山本五十六生家のあった場所に復元された生家


大人の休日切符を利用して長岡を訪ねました。午前中は観光タクシー2時間¥8000を、人気コース5番の雁木と
あぶらげの町栃尾散策のコースを頼みました。
新潟県中部、長岡市栃尾町。中世の時代、栃尾は越後守護代長尾氏の家臣、本庄氏が治めていました。後の上杉謙信が
頭角を現してきた場所でそうです。
「あぶらげ」とは栃尾の方言で油揚げのことです。通常の油揚げの3倍ほどの大きさがありますが、二度揚げによって
芯までふっくらとしています。豆腐の固さを左右する、にがりの投入タイミングにも工夫があり、この「あぶらげ」
のルーツについては、江戸中期に秋葉神社が参拝者のために生み出した説や、栃尾の馬市から生まれたなど、諸説あります。
あぶらげの大きさは20センチ幅8センチ厚さ3センチの大きな厚揚げのようですが油揚げのように中まで火が通り揚げたては
美味でした。ネギを載せて醤油を垂らしていただく素朴な味が美味しかったです
道の駅栃尾、あぶらげの町の雁木も見て歩きました。雁木とは雪除けのために家々の軒から庇を長く突き出して造る冬の生活
道路です。
上杉謙信公の旗揚げの地であるという奥の院には石川雲蝶と小林源太郎により8年かけて彫り上げた彫刻が見られるのですが
すっかり金網でおおわれていて見にくかったです。今は公園になっている秋葉神社ですが訪れる人もなくひっそりしていました。
長岡駅に戻ってから今度は歩いて河井継之助記念館、山本五十六記念館も訪ねました。
長岡は祖父の出身地でもあるので何かと懐かしかったです。
そして夕方には駅の中に入っていた小嶋屋で越の海藻挽き生そばを賞味してから帰途につきました。充実した一日を過ごして。

米百票の祖父の学び舎のつぺ汁

笠間の菊まつり

2024-12-02 08:22:11 | 日記

交流館



イベント会場になって













大河ドラマの道長と紫式部



人形に掬を着せるまでの

二人係で手際よく菊を被せていく

茨城県笠間市の秋の風物詩「笠間の菊まつり」が同市の笠間稲荷神社などで開幕しました。稲荷神社を中心に、門前通りや
市かさま歴史交流館井筒屋で、早咲き、中咲き、遅咲きの菊花約1万鉢がリレーしながら、観光客を迎えてくれていました。
七五三参りの家族連れでも賑わっていました。今年は一人で行って来たのですが近くのおせんべい屋さんにも寄って色々買って
くるのも計画の一つでした。駅前の栗のモンブランが買える店内は大勢の人が並んで待っていたのでこちらは諦めました。
申し訳ございません。ブログのアップが遅くなり笠間菊まつりは先月末で終わってしまいました。

匠の手菊人形の衣装替え

長岡 もみじ園を訪ねて

2024-11-25 21:16:34 | 日記





国登録有形文化財 巴ヶ丘山荘
















もみじ園は、明治29年頃神谷の大地主、高橋家の別荘の庭園としてつくられたものです。
約4,000平方メートルの敷地内には、樹齢150~200年のもみじや山桜、ツツジなど多くの植物が植えられていました。
最も多く植えられているイロハカエデは、北から九州地方の太平洋側に野生するモミジの一種で、高橋家が事業の活動の
場であった京都から優れた品種を移植したものだそうで大木になっているもみじの彩は最高でした。庭園内を散策していると
時折日差しが射し込み運よく一時青空もみられて見事な景観を楽しむことが出来ました。
長岡駅から一時間に一本の信越本線の來迎寺駅で降りてゆっくり歩くこと15分でもみじ園はありました。
観光バスも数台来ていて観光ツアーにも入っているようで賑わっていました。休憩所で名物の笹団子を賞味しました。

予定組む限定切符で照紅葉

市川里見公園の秋バラ

2024-11-21 08:51:18 | 日記

フレグラントアプリコット

チンチン

フリージア

イングリットウエーベル

プリンセスアイコ

プリンセスドゥモナコ

マチルダ

伊豆の踊子

伊豆の踊子

シャルダンドゥフランス

うらら

ヒストリー

ヘルムットシュミット






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先日の午後松戸から市川行きのバスに乗り里見公園に行って来ました。
午後からお天気になったので公園では子供たちのはしゃぎ声が響き渡っていました。
薔薇園の中にあるベンチで憩う人々も多かったです。春薔薇とは違い花数は少ないのですがボランテイアの
方々のお手入れのお陰で清々しい公園になっていました。

秋薔薇の伊豆の踊子なぐわしや

秋の恵み 干し柿作り、ゆず、蜜柑, 金柑

2024-11-15 05:41:10 | 日記

11月4日  渋柿5キロ到着

11月5日皮むきして 熱湯に10秒つけて 焼酎をスプれーして消毒して干しました

11月8日

11月12日 だんだん赤みを増して熟しごろ



11月14日

温州ミカン宮川早生。昨年植えて今年3個なってます

大実金柑 植えてから7年

花ゆず小粒ながら毎年大豊作


昨年、塩山の枯露柿の里に行きそこでは干し柿と百目柿を買ってきました。5個買ってきた百目柿を
早速教わった通りに皮をむきベランダの竿に吊るして初めて干し柿を作りました。
自家製も美味しかったので自信を得て今年は甲州の百目柿5キロをネットで注文して同じように熟成中
です。
干し柿は何時頃食べごろになるか毎日触ってみています。
温州ミカンは初めてですので食べごろが何時か分かりません。鳥につつかれないようにネットで覆いました。
金柑は冬を越す来年2月ごろが一番甘いでしょうか?初夏に花が咲いてもまだ実はついています。
花柚は10月から来春の花が咲くまで実はついています。上の方は採れずにそのままにしてやがて落ちますが
こちらも毎年豊作です。 2月ごろにはお礼肥をたっぷり上げるからでしょうか。

吊るし柿何時食べ頃か問うてみる

我が家の秋の花

2024-11-12 10:53:00 | 日記

フジバカマ

アサギマダラは来なかった

リコリス

極楽鳥花  10月31日



10月10日

9月26日



木立ベゴニア




外の花にばかり目が移り自宅の花の撮影を怠っていましたが夏の暑さにもめげずに咲いてくれました。
極楽鳥花は9月に1本咲き10月に別の鉢で1本咲きあと一本が開花待ちです。
藤袴も昨年より多くの花が咲いていますがアサギマダラはまだ来てくれません。蝶はこの花好きですね。
白い彼岸花はとうとう今年は出てきませんでした。黄色も花数が昨年より少なかったです。
夏は庭にもたっぷり水まきをしました。昨年は暑さでほとんど咲かなかったホトトギスがあちらこちら満開です。

浄土かなほのかに香る藤袴

紅葉には早かった曽原湖、檜原湖、中津川渓谷

2024-11-09 09:24:56 | 日記
































10月24日、ツアー旅行の2日目です。錦秋の湖とは程遠く一本だけ紅葉した木を見ただけでした。
随分昔のことですが写真を始めたころに裏磐梯のペンションに泊まっては春夏秋冬の景色の撮影を楽しんだ
ことを懐かしく思い出しました。曽原湖はいつも使っていたペンションから歩いてこれるところでしたから。
檜原湖では昼食後ボートで17分間の島めぐり。紅葉はさっぱりでしたが雲が切れた磐梯山を湖上から見たのが
良かったでしょうか。
中津川渓谷は橋の上で見るために駐車場から山道の階段を下ってまた昇ってきたのですがツアー客の誰一人も
落伍することなく見学出来ました。橋の下を覘くとここでは色づいた木々が見れました。
渓谷美を鑑賞した後はJRいわき駅から特急ひたち号で勝田まで、そこから特急ときわ号に乗りつぎ柏駅まで戻り
こうして一泊2日の裏磐梯紅葉ツアーは終わりました。

かさこそと紅葉踏む坂四十人

磐梯山清水平温泉に泊まって

2024-11-06 08:41:23 | 日記


























何か月も前から旅行会社の裏磐梯紅葉ツアーに申し込んでいました。
何時までも残暑が続いた今年は例年より紅葉が遅く、磐梯吾妻スカイラインをバスの車中から眺めただけで
浄土平に着いたら深い霧でした。車中から見る紅葉はそれでも歓声を上げるほど素敵でしたが乗用車ではないので
途中の停車はできずに写真は撮れず早々にホテルに入り温泉三昧となりました。
翌朝は猪苗代湖湖畔建つホテルの周りを散策しましたが、紅葉している木々があり楽しめました。
福島の名産、赤べことは約四百年前、会津藩主蒲生氏郷が始めた民芸品。平安時代、蔓延した疫病を払った赤い牛が
由来で、今でも厄除けのお守りとして重宝され、ゆらゆら動く愛らしさが人気です。俵をのせた「俵べこ」や千両箱を
のせた「千両べこ」のほか、最近では桜や波が描かれた個性的なデザインの赤ベコも多く誕生し、幅広い世代や海外の
人にも親しまれているそうです。
温泉の湯船でも沢山の赤べこを浮かばせていました。

霧荒ぶ浄土平は視界失せ