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手児奈霊堂
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真間神社
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その昔、この真間の里に手児奈という、それは美しい娘がいました。その美貌なるが故に手児奈をめとりたいと男たちは争ったといいます。
心優しい手児奈は男たちが互いに争い傷つくのを厭って、ついに真間の入江に身を投げてしまいました。
その手児奈の心情を里人があわれみ、祠をつくって手厚く葬り、この手児奈の話を語り継ぎました。万葉歌人、山部赤人がこの地をたずね、
「われも見つ人にも告げむ葛飾の、真間の手児奈が奥津城処」 山部赤人が歌ったことから手児奈の物語は広く人の知るところとなりました。
「勝鹿の 真間の入江に うちなびく 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ」 山部赤人
「 勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思にい 」 髙橋虫麻呂の歌