和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

恵林寺と枯露柿の里を訪ねて

2024-12-28 06:05:29 | 日記

恵林寺







鎌倉時代 夢想国師により築いた庭園











小屋敷の道祖神

松尾神社 恵林寺の鎮守



旧武藤酒造



藤木地区道祖神   江戸時代ごろから山梨では小さな祠や丸石信仰を取り入れていた

放光寺への入り口

山本勘助不動尊を納めたお堂がある。 お堂には、山本勘助不動明王像が、三日市場・小屋敷地区の守り神として安置されて。





吊るし干しは、約25日間、20日過ぎ頃に手もみ作業で水分を飛ばし、形を整えます。 松里地区

さらに、紐を外し平干しが約5~7日間天日干ししながら毎日裏返し作業をするそうです

大人の休日切符利用の5日目は中央線の塩山で下車しバスで恵林寺に向かいました。
塩山駅前の甘草屋敷にもよる予定でしたが火曜日がお休みとのことで諦めてすぐにバスで恵林寺に向かいました。
恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある寺院。山号は乾徳山(けんとくさん)。
臨済宗妙心寺派に属する寺院です。。甲斐武田氏の菩提寺として知られています。
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川(かいせん)和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)には、
信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました。
天正4年(1576)4月、遺言通り三年間の秘喪の後、武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を
厳修しました。 しかし天正10年(1582)3月、勝頼は時運を味方につけることができず天目山下に自刃、
甲斐武田氏は滅亡しました。同4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を
須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに
火に包まれました。歴史をしのびながら、庭園をゆっくり拝観をしました。
昼食後は周辺の里巡りをして枯露柿の里、山本勘助ゆかりの地も回ってきました。
ブログアップが一か月近く遅れましたがこの地は昨年はツアーで訪れた場所でしたので今回は友人を誘って電車で
来ました。暖かい日差しに恵まれた一日でした。

揺れ揺れて甘さ募らす吊るし柿