和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

小諸城址公園 懐古園散策

2024-10-15 08:05:08 | 日記

大手門



満開で良い香りがしました  金木犀

三之門

扁額は徳川家達筆

慶長5年(1600年)天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」に向かうべく、東軍の軍勢3万8千を率いて徳川秀忠が
信州に入ると小諸城主・仙石秀久は、秀忠を小諸城の二の丸に本陣を構え迎えました。二の丸は、北西に西軍の
真田昌幸・幸村の居城・上田城方面を見渡す場所だったとか



黒門橋の谷の下には紅葉の木があり色ずいた時は見事な景観に

500年のケヤキ 



小諸八重紅枝垂れ 小諸の固有種とか

野木積 のづらづみ 自然の石を加工せずに、そのままの形で積み上げていく方法です。
石垣が造られ始めた頃の手法に、野面積みが使われていたそうです

幕末の書家、佐々木如水筆

藤村記念館

懐古神社

小諸義塾創設者の木村熊二の記念碑



島崎藤村 惜別の歌歌碑

小海線ハイレールの旅の終着駅は小諸駅でした。 ここではかねて小諸観光案内所に無料のガイドをお願いしていたので駅構内で
案内人の出迎えを受けました。重たい荷物は観光課に預けて身軽になって歩き始めました。
小諸城は、1487(長享元)年に大井光忠によって築城された鍋蓋城が原形とされ、豊臣秀吉の天下統一を機に小諸城主となった
仙石秀久により完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた穴城は全国でも珍しくまずは小諸城大手門を訪ねました。
入母屋造、本瓦葺の豪壮な構えが特徴で弘前城の追手門と並び東日本を代表する大手門だそうです。
小諸城の正面玄関として400年間ここにたたずむとかで見事な構えに圧倒されました。二階に部屋があり覘かせてもらいました。
次に小海線の線路をくぐり坂道を下って小諸城へ。ここは全国でも珍しい「穴城」と呼ばれています。
小諸城はその城郭が城下町よりも低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」であり小諸の地勢を存分に活用した天然の要塞としての
面白さを、今なお存分に味わうことができるとの説明を受けました。
明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は小諸藩旧士族へ払い下げられ、旧士族により
本丸跡に懐古神社が祀られ、「懐古園」と名付けられたそうです。
島崎藤村は明治32(1899)年、東京での学生時代の恩師であった木村熊二氏(小諸義塾塾長)の勧めにより、小諸義塾の英語
・国語教師として赴任したのは、藤村27歳(数えで28歳)の頃。
以降小諸で過ごした7年間に「雲」「千曲川のスケッチ」「楽梅集」などが生まれたそうです。おおいに勉強になりました。

案内ガイドは2時間の約束でしたがアイパッドで難しい漢字や言葉はすべてそれで説明を受けて大変解りやすく勉強になりました。
約束の時間を過ぎても色々な質問に詳しく答えていただき小諸義塾記念館前の「惜別の歌碑」の前では私たちのリクエストに応えて
惜別の歌を口ずさんでもくれました。藤村ロマンに漂う信濃の名城懐古園を心ゆくまで堪能出来て大感謝でした。

秋澄むや四百年の大手門


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小諸 懐古園 (千代子)
2024-10-15 11:47:36
 懐古園に入る前に大手門を見て、創建当時の重厚な造りがそのまま現存しているのには驚きました。野面積みの石垣も400年の風雪に耐え今なお 現代人の目を奪ってやまない魅力は、先人の知恵と惜しまぬ労力と時間の結果が生み出した遺産です。永岡さんの解説はガイドさんの説明を再度思い出させてくれて、良いお勉強になります。 
返信する

コメントを投稿