朝日新聞8月12日「声」欄の読者投書から転載します。
◇敗戦の北朝鮮から危機乗り越え帰国 大阪府・渡邉さん(女性69)
終戦記念日が来るたび、苦しかった幼い日の出来事が断片的によみがえる。父が満鉄に勤めていた関係でソ連国境に近い北朝鮮の港町羅津に住んでいた。ある朝、ソ連軍が奇襲。美しい街は戦場と化した。
両親ときょうだいの一家6人は、戦火を受けて北へ向かった。無蓋の貨車に乗せられ中国との国境を越えた図們駅まで来たところ、列車が爆撃を受けた。多くの人が亡くなったが、私たちは奇跡的に助かった。「日本が負けた」と知ったのは延吉まで逃げてきたときだった。
炭鉱の街撫順で1年を過ごした。食糧事情は悪く、栄養失調で乳幼児が次々と亡くなり、「次は3才の妹の番だ」と覚悟していた。母がどからか手に入れたピーナッツを食べさせ、妹は命拾いをした。
一方私は、首に大きな箱を掛け、炭鉱でまんじゅうやあめを売り歩いて稼いだ。こうした苦労を重ね、翌年、一家は誰一人として欠けることもなく帰国できたのだ。
いま憲法9条を見直す議論が進んでいる。たしかに「国を守る」という限りでの防衛は必要だと思う。しかし私たちが経験したような、多くの一般人を犠牲にする戦争は二度と繰り返してはならないと思う。
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