川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
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後藤田官房長官、中曽根総理を制止する

2005-08-13 18:21:39 | Weblog


朝日新聞8月12日夕刊「国家再建の思想(15)」から転載します。

◇中曽根内閣には後藤田がいた
中曽根内閣と小泉内閣は似通っているところが少なくない。「大統領的首相」を目ざした中曽根、「自民党をぶっ壊す」と宣言した小泉。中曽根は国鉄、小泉は郵政、それぞれ「小さい政府」をめざす「民営化」に挑んだ。が、中曽根はそれを成功させ、小泉はつまずく。小泉は、反対派を党から追い出すという、のるかそるかの勝負に出た。

どこが違っていたのか。中曽根には後藤田正晴(91)という人物がいた。中曽根内閣の5年間、官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、再び官房長官とつねにそばにいた。

◇後藤田の役割
「友人から『よく中曽根なんかとつきあっているな』と言われたけど、政治と個人の好き嫌いは別だと答えていたよ」と後藤田。内務省で中曽根の先輩。警察官僚のトップ。田中角栄の懐刀。中曽根にこわれて就いた役回りは、官僚ににらみをきかせることと、肝心なとき政権が走りすぎないように抑えることである。

◇自衛艦ペルシャ湾派遣に反対する
1987年夏から秋口、中曽根や外務省はイラン・イラク戦争で機雷がまかれたペルシャ湾の安全航行確保のため「自衛艦を派遣したい」と強く主張した。後藤田は
「あそこは交戦海域。戦争の覚悟はあるんですか。私はサインしません」と立ちはだかり、断念させた。


◇中曽根の憲法改正案に注文をつける
中曽根が会長を務める世界平和研究所は今年1月、憲法改正案を発表した。後藤田は研究所の講演会でこんな注文をつけている。
前文で日本の歴史伝統をうたうなら、聖徳太子の『和をもって尊しとなす』を入れてほしい。自衛隊の国際活動を認めるならば、海外で武力行使はしないことを明記してもらいたい」


※川本のコメント
後藤田さんが言うように、法案に注文をつける場合は条文に明記しなければ安心できません。国会の政府答弁などの議事録に留めて了解事項とする方法がありますが、これの拘束力は当てになりません。5年、10年、20年と時が過ぎれば、時代の雰囲気や権力者である政府指導者や上層官僚の考えも変わります。

条文に明記されていない法案成立当時の了解事項の類は尊重されず、年月を経ると忘れ去られてしまいます。明記された条文でさえ、その時代の政府の都合に合わせて運用解釈が変化していくと覚悟しておいた方がいいくらいです。

国会で審議される法案については、まず法案原文を読むのが一番です。…もっともそれがわかっていても、生活費稼ぎに追われる私には、それだけ勉強している時間がないのですけれど。

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女学校時代の級友、二十歳そこそこで戦争未亡人になった 自衛隊イラク派遣に思う(84才女性)

2005-08-13 15:33:59 | Weblog


朝日新聞8月13日「声」欄の読者投書から転載します。


「戦争未亡人」をつくらないで 京都府・上野さん(女性84)

イラクに派遣されている自衛隊は、12月の期限が来れば必ず帰国させてください。宿営地付近に砲弾がおちたというニュースを聞く度に、身の縮む思いをしているのです。

私の高等女学校時代から戦時色が濃くなりました。当時は学校を卒業するとすぐに結婚する人が多く、級友の1人は相手に赤紙がきた翌日に結婚式をされ、何年か後にご主人の戦死の公報が届きました。

別の級友は軍人と結婚され、みんなにうらやましがられたのですが、その軍人さんも男の子1人を残して戦死されました。お二人ともはた目にも寂しい一生でした。

また戦時中のある日、たまたま出会った級友が人目もはばからず私に抱きついて、夫が戦死したと大声をあげて泣かれました。彼女は先方の親と折り合い悪く、2人の子どもを育てるのに苦労が絶えなかったようです。

「戦争未亡人」は一人もつくってほしくないのです。自衛隊の方は無傷のまま帰国していただきたいと、切に願っています。

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