11月25日付で「サステイナブル」という英単語のことを話しました。数年前にはこれよりもっとすご英単語がマスコミに流布していました。
マシンガンスピーカーの竹中平蔵さんなんかは、小泉政権の大臣になる前からテレビで使いまくっていました。
「グローバルスタンード」です。当時から私にはこう見えていました。
アメリカのニューヨークを拠点に世界を相手に商売をする金融投資家たちが望むラインに金融制度を整えていくこと。それが、グローバルスタンダードである。当時、世界各国の中央銀行や金融当局を震撼させていたジョージ・ソロスを見ていると、誰だってそう思ったことでしょう。
国際経済の複雑で高度な知識は私にありませんが、私は「グローバルスタンダード」の本質をそうとらえていました。竹中さんのような人たちや、今の日本経済の最上層のリーダーたちは、それが日本経済向上のためだと信じているようです。
でも日本経済が向上したとしても、私のような庶民の生活が取りのこされていくようでは歓迎できません。
私の信念は、人間主義です。人の顔が見えないようなことは、信用できないと考えています。そのようなことは疑いをもって、私自身のシンプル頭脳でくりかえしくりかえし考えてみることにしています。もっともたいがいは、行ったり来たり堂々めぐりをするだけのことですが……。
「グローバルスタンダード」という言葉はいつのまにか、マスコミの前線から消えてしまいました。小泉時代のいくつかの改革で目的を遂げて、世論操作の目的を十分に成し遂げて、グローバルスタンダードを言う必要がなくなったのでしょうか。