散歩用の軽いバッグ作りました。
4種類の布を使いました。
裏を付けました。
財布、スマホなど入れてちょっとそこまで、に使いたいと思います。
材料は、姑様の藍染作品の端切れで。
裏地はこちら。
先日の藍染作品、箱に入れて元へ戻しましたが、夫に、決っして捨てなてようにと頼みました。
将来、義妹、義弟にいいのを取ってもらい、残りは私が活用したいものです。
短歌、エッセィ、染色・・・ちょうど今の私の年くらいにしていたのです。
デイサービスに行き初めの92歳ころ、「誰こそ短歌の話する人がおらん」と物足りなさそうでした。
不出来な嫁=私は「世間の姑共通の話題は嫁の愚痴、それ言えばいいんじゃないの」と陰で夫に言いましたが、たぶんそんなこと言わない人でした。
ある時、高校、大学が一緒の友達と久しぶりに会うと、どこかで姑様と出会うか、また聞きだったか「うちの嫁はきれいで頭がいい」と言っていたそうです。
きれいでもなく、頭脳も並みの私は、世間に向かってそんなこと言える姑って・・・と、驚いた記憶があります。
結婚相手は自分が決めるので、当たり外れも自己責任。しかし、ほぼもれなくついてくる姑様が当たりか外れかは、結婚決まって会うまではわからない。こちらも若いので、その時でもまだ十分にはわからない。
最近の私は、姑に4種類あると人に話しては笑いを取っているのですが、その分類はの仕方は、長生きと適当な時期にいなくなる、そして意地悪かそうでないか、です。
意地悪で長生きするのが一番いけませんねぇ。とてもいい人で、適当な時期にいなくなってお金も残してくれれば言うことないけど、と友達に話しては笑ってもらってます。
二択ならもちろんいい、悪いですね。
人が残せるものは、形あるものだけではなく、その時々の言葉やたたずまいの記憶。藍染の布を手縫いでちくちく縫いながら、この50年近い日々のあれこれ、思い出していた私。
そして、一人暮らししながら、20年間くらいは好きなことができて、姑様はよかったなあと思った。
なんか小学生の作文みたいで恥ずかしいですが、そして布バッグから話がそれまくり。