着物好きの方のブログで紹介されていたので、私も読んでみました。
真似してごめんなさい。でも、とても面白かったです。
元々、今年の五月号の芸術新潮で、着物着た絵を見て素材など言い当てるあまりのマニアックぶりに、どういう方?と興味を持ったのが始まり。
美術大学を出て美術館の学芸員に、のちに作家に転身、霊感が強いそうで、この本の中でもいろいろな気配を感じる記述には、霊感の全然ない私でもぞくっとした。
内容は着物と帯、着物周りの小物などの解説に、着物好きの自分の体験、着物の持つ不思議な力などなど、深くて怖い話がたくさんありました。
中でも振袖の二つの話。
著者は成人式に作ってもらった振袖をとても気に入ってたのに、お母さんが、着物が買えないという人に気前よく上げてしまったという。残念な気持ちをずっと抱えて長年たち、ある時、デパートのリサイクル着物のセールで同じものを見つける。
いや、デザインが同じなだけで、自分の着物ではないとその場を離れるけれど、しばらくしてアンティークショップにその着物に合う帯を探しに来た女性と行き会った。
聞けばそのデパートで買ったという。袖をわざわざ丸く可愛らしく仕立てた振袖はやはり自分のものだった。その女性によく似合っている。着物がそのふさわしい人へと渡っていくことに納得している著者。
人が着物を選ぶのではなく、着物が人を選ぶのだと。人を幸せにするのが着物の役割であると。
もう一つは著者の友人の話。
母方の祖母の素晴らしい振袖を、友人も妹も成人式に着た。母も着たようである。ところが祖母の死後、振袖は父の妹が黙って持ち出す。娘三人に着せたいからと。
友人の母親は返すよう迫るけれど、何のかんのと言って返さない。腹立てた母親は「一生振袖着ていろ」と言い放つが、ずいぶん経ってからその振袖を返してきたそうで。
「なんで?」と聞く著者。
「さあ、もうみんな50過ぎて振袖の年でもないしね」と友人。聞けば全員、いまだ嫁に行ってないそうで。
しかし、返した後になって、バタバタと三人とも嫁いでいったって。。。。
これ、怖いですね。言葉には言霊が宿っているというし、振袖着るのは未婚の娘だけ、言葉が呪詛となって嫁に行けなかったと解釈する人もいることでしょう。
着物って、ただの布を仕立てただけのものだけど、そこには着る人に幸せになってほしい願いがこもっている。作ってもらった時の思い出が閉じ込められている。
振袖が着られる期間はごく短く、私の年になればそれは場所塞ぎの無用の長物。でも、私の場合、いまだ処分できないのは、振袖にまつわるいろいろな出来事を思い出すためのアイテムだから。
作ったのは18歳の時。大学一年の夏休み、美術部の合宿が北陸で一週間、そのあと実家に帰らず、京都の叔母の家で長逗留して近所のお寺の絵を描いたり、たまに新京極まで行って遊びまくっていたら、たまりかねた母が四国から出て来た。
着たついでに着物見に行くという。
叔母と母と私の三人で西陣の、織りをしているか染めをしているかの店で、生地を選んで染の見本から柄を選んで、その時は振袖と色無地の二枚を作ってもらった。
当時は着物業界がもっと景気のいい時代、流通マージンをかなり乗せても売れていたらしいけど、母は産地で安く買えたと喜んでいた。
振袖ですか、成人式に出ていないので殆ど着ていません。そのうち、その時の叔母が娘に着せるので貸してほしいというので送り、ずっと返されませんでした。
聞けば、叔母一家はマルチ商法にはまっていて、その仲間の忘年会で娘婿が着て受けたと楽しそうに。マルチの人はテンション激高、普段からついて行けないけど、自分の着物が笑いものにされたようで不愉快でした。
そののち、振袖は実家まで戻ったのですが、弟の娘の成人式に、私の母親が着せたがってえらく揉めたと後で聞きました。これは母が悪い。押し付けてはいけません。本人の好み、親の望みもある。弟が、帯揚げと帯締めだけ貸してもらうと折り合い着けたようです。
振袖で喧嘩してはいけませんね。人が幸せななるための晴れ着のはず。
そのあと、私の振袖は我が家を出て30年ぶりくらいに帰ってきました。私には娘はいないし、孫が着たいと言っても寸法合わないし。
柄ですか。その頃は総絞りというのが流行っていたのです。年末の紅白で、毎年、都はるみさんが豪華な総絞りの振袖着ていて、高価で豪華という国民的コンセサンスのあった時代でした。
https://www.youtube.com/watch?v=2bJO4oC_fmU
山崎豊子「華麗なる一族」では、お正月に鳥羽の豪華ホテルで総絞りの振袖で朝ごはん食べるシーンが。のけぞりましたが、まあそういう時代でした。
私のは総絞りでもなく、描き匹田でもなく、染匹田?
でも写真だと、豪華に見えなくもないもないという庶民御用達の振袖。
これは珍しく自分で選ばせてくれたので好きでしたけど、桐の柄が古臭すぎるという昭和の着物です。
着物はもう全然使用価値はないけれど、母と叔母と私とで、ああでもない、こうでもないと選んでいた西陣の店。
「どうですか?四国は。京都と変わらんでっしゃろ」という店主の話し方、暑い暑い京都の夏、いろんなこと、今日はまとめて思い出した。
叔母はある時期マルチ商法にはまって人格が変わり、私の父親の死後の相続について、親せきのあちこちで言い歩いていると聞いてからは付き合ってなかったけど、今年のお正月、久しぶりに年賀状が来た。
脳梗塞したとは聞いていたけど、写真見たらまだ十分には回復していない顔だった。さすがの私もお大事にと一筆書いて返した。
振袖買ってから50年以上経つ。親の思いで私は守られていたのかなあと思い、こうして書くうち、私の振袖が余興の衣装になっても、その時、それで楽しかった人がいたなら、よかったなあと思えるようになった。
ちょっと怖い本だけど、読んでよかったと思った。
長話、深謝。