先日、夜ぼんやりテレビ見ていたら、Eテレで「共同幻想論」やってたので、アマゾンから取り寄せて手引書として読んでみました。
放送は毎月曜日夜、あと2回あります。
その「共同幻想論」、探してみましょう。
えーーーと、確かこのあたり。
ありました。我が本棚も、いつの間にか古書店の売れない本ばかり集めた整理コーナーみたいなことになっています。
出してみます。布張りが時代を感じさせます。
アマゾンの中古本では帯と箱が付いて4,000円。でも無理して買わなくてもハンディな文庫本があります。
私が共同幻想論読み終えたのは1971年の誕生日の日って、本の最後に書いていました。大昔ですねぇ。49年も前です。
当時は納得して読み終えたはずですが、長い時間がたって詳細は忘れていたので、今回の手引書読んでみました。
著者の先崎彰容氏は、1975年生まれ、日本大学の教授で専門は日本近代思想史、日本倫理思想史です。
番組ではタレントの・・・名前知らないけどよく見る体格のいい男性と、進行役のアナウンサーと著者の三人の対話で進んでいくので、内容がかいつまんで理解できるようになっています。
番組の第一回目は見ていませんが、本書によると、吉本がこの本を書くに至った動機、それは序に示されているそうですが、が3つ挙げられています。
戦前の価値観が瓦解した敗戦の体験、共同体への不信と自己嫌悪。
なぜ人は何かを信じてしまうのか。
他者との間で共有する価値観、関係の絶対性は独善から抜け出す道であると同時に、その了解事項も共同幻想として、絶対的な価値があるわけではない。それを超える思考をどう練り上げていくか。
以上の三つです。
かつてのファシズムや現在のポピュリズムのように、同調圧力を強いてくる体制の中で、それはおかしいんじゃないかと抗う発想力をどうつけるか、その視点を持って「共同幻想論」を読んでいきましょう。と初回で著者は呼び掛ける。
吉本は個人幻想、対幻想、共同幻想で国家の成り立ちをたどっていきます。その資料にしたのが遠野物語と古事記、ここには原始的な母系制の社会から、集団としての秩序が現れてくる痕跡を見ています。
他者との関係の始まりは、異性のきょうだいの間の疑似的性愛の関係。それが集団の枠組みを作り、農耕を始めて女性が祭祀をつかさどり、神の託宣を共同体の価値観へと広げていくところに国家の起源と吉本は考えます。
エンゲルスが「家族、私有財産、国家」の中で主張する、集団婚から私有財産の蓄積を経て国家が生まれてくる考えを否定します。
私は集団から国家へ至る長い道のりを当然見たわけではないのですが、エンゲルスのようないわゆるフリーセックスを人間がしていた、父親が誰かもわからないというのはあり得ないと、吉本の考えに同調できます。
人間の始まりから、女性は子をなしていい男性を自分の好みや相手の能力で本能的に選別し、父親が誰か知っている、分からなかったら決めたがるのではないでしょうか。自分の産んだ子の父親が誰かわからない、そこに安住できるのははたして可能かと。それこそが人間を動物と分かつ根源的なものと思うのです。今の私たちが考えるよりもずっと前から緩やかな「家族」という概念はあったのでは。
そう示唆する吉本の論は、感覚的に非常にすんなりと受け入れられるのです。
人間は社会を作り、ルールを作って折り合い、やがて国家を作る。国家は感情を移入して愛すべきものでもなく、頭から否定しても解体できるものでもない。「共同幻想論」から学ぶべきはそのことだと私は思っています。ただ強制を強いてくる納得できないものを拒否するその姿勢こそ大切であると。
そのためには情緒や感情・・・同じことか・・・に流されることなく、自分が生きていくための言葉を持つこと。言葉で物を考え、個人としてよりよく生きることをいつも考えていることでしょうか。
長話、深謝。
二階の本が重くて床が下がっているのではと夫に言われています。
少しずつ整理=断捨離しないといけないけれど、さてどうする。