落ち葉いろいろ。二年前に描く。
「なぜそこまで怒り続けるのか」"眞子さま結婚肯定派"の私がネットに抱いた深い失望 最後まで溝が埋まらない本当の理由 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
皇室が好きか嫌いかどちらでもないか、これは個人の感覚の問題。
しかし私の周りの好きだと表明する人は、考えが古く、物事を杓子定規に考える人が多いように思います。
また日本の近現代史にもほとんど無知、分かりやすい、テレビや週刊誌の見出しなどの言説になびく傾向があるように思います。
上のリンクの中で、結局は自分のアイデンティティを「皇族」という遠い他人に預けられるかどうかの違いとありました。
はたと膝を打つ。全くその通り。好きな人はその価値にあやかりたいと思っているのでしょう。
私ですか?
制度の中の人たちには、好き嫌いの感情は持っていません。だって、直接知らない人だもの。好き嫌いの感情の持ちようがありません。
中の人、特に女性が批判されるのは昔からよくないと思っていました。批判はすべて男性目線。昭和天皇の植えた木を切らせたと言われた人、男の子を産めと追い詰められた人、「いかがわしい人との」結婚に口出しされ批判された人。
この国の人権意識がこの程度かととても残念に思って来ました。
私の嫌いなのは制度を持ち上げて、自分は偉いと錯覚して、敬わない人間を責める人。敬う心を利用して、自分の考えを押し付けたり、商売に利用する人。
私の祖母は息子が戦死したので、「産めよ増やせよ、みんな天皇陛下の子や言うてもオシメの一枚もくれずに、大きくなったら戦争にとって殺した」と心底恨んでいました。
軍部に利用されただけ・・・戦後ずっとその説がまかり通ってきました。これはまた話が広がってしまうけれど、昭和40年代終わり、アメリカ訪問前の記者会見のことを私はよく覚えています。
中国新聞の記者の、(原爆被害者をどう思うかという趣旨の質問だったと思うのですがの)問いに、気の毒だったけれど戦争中のことで仕方なかった。私はそういう方面は研究していないのでわかりませんという答えだったと思います。
政治的発言を避ける、戦争責任に言及しないための慎重な言い回しだったと思いますが、戦後の天皇制の断面が見えた一瞬でした。
制度は形を変えて生き残る。しかし、軍国主義教育で大きくなり、建物疎開中に死んだ10代の子供たちはあの時、もう一度死んだと思いました。もう少し言い方変えると慰められた人もいたでしょうが、あれでは全然救いようがない。
私が感じたのは深い空しさでした。何かを信じ、それに入れ上げるのはやめよう。その思いを深くしました。
あなたが好きなのは止めません。しかし、好意は一方的。制度が残って行くためなら、それに応えてもらえないばかりか初めから無視されることもあります。そのことに早く気が付いてください。一庶民なんて、それだけの存在です。
無条件降伏を内容としたポツダム宣言の受諾がなぜ遅れたか。
それは国体の護持にこだわったからではないですか。天皇制がなくなる・・・それは当時の為政者にとって思っても見ない状況だったのでしょう。
もたもたするうちにヒロシマ、ソ連の参戦、ナガサキがあり、死ななくてもいい人がたくさん死にました。
ポツダム宣言の国体条項の英文をどう解釈するか、外務省と軍部でのやり取り・・・なんかの本で読んだ気もするけど、ばあちゃんの記憶は茫々と。何の本だったかなあ・・・
今朝は、祖母の嘆きの声を思い出して、また涙が出た。男の子三人を産んで育てた私は若い男の子が死ぬ話が本当に嫌い。それが私の天皇制の原体験です。