久しぶりに作りました。ローズマリーは飾り。食べにくかった・・・
冷たくて食が進みます。名前はガスパッチョ。
2人分の材料はトマトジュースカップ2、または中くらいのトマト5個、キュウリ中くらい1本、あればパプリカ少し、パン粉大さじ2、塩小さじ1/3くらい。小さく切ります。
全部をミキサーで攪拌。すぐにできます。
孫の大好物、今度来たら食べさせましょう。
久しぶりに作りました。ローズマリーは飾り。食べにくかった・・・
冷たくて食が進みます。名前はガスパッチョ。
2人分の材料はトマトジュースカップ2、または中くらいのトマト5個、キュウリ中くらい1本、あればパプリカ少し、パン粉大さじ2、塩小さじ1/3くらい。小さく切ります。
全部をミキサーで攪拌。すぐにできます。
孫の大好物、今度来たら食べさせましょう。
クサアジサイ 2015年8月 北広島町 滝山峡で
梅雨はまだ明けないけど、少しずつ暑くなってきた。
こういう時は、特に用事のない限りは家で籠るのが好き。
昨日は車運転して、とても暑かった。高速道路は遠く行けるけど、景色が単調でつまらない。つまらないことにちょっと疲れた。
今朝はいいお天気なので、洗濯して掃除して、家の窓全部開け放ってとっても気持ちがいい。
窓を開けると、わずかな風の流れがあり、その流れの中に身を置くと、とても気持ちいい。
着ているのは、手縫いの木綿のワンピース一枚。しっかりした生地で、襟、袖なく、裾を大きく取ると涼しい。同じ型紙でもう5、6枚縫った。
朝の用事が終わって、しばしの休憩の時には涼しいところで横になって本を読む。
しみじみと、ああくつろぐなあと思う。そして、こんなことでくつろぐ自分の来し方にしばし思いを馳せる。
最近特に、子供時代にしていたことが、結局は懐かしく、心や体に無理がないと実感している。
そして、今は好きなことして自分の時間が使えることを、しみじみとありがたいと思う。
家も普通に住めれば十分。広い家は管理に大変。庭もしかり。
服もバッグもアクセサリーも要るものを少しだけ。
マンションの間の空を見上げて、あの時、この時の楽しかったことをしみじみと思い出す。祖父母や親やきょうだいや友達が、この私にしてくれたいろいろに心の中で感謝する。
おっと忘れていた、同居している人にも感謝する。息子たちにも、たくさんの楽しいことをありがとうと心から感謝する。
ここまで思うと、自分の心の中のモヤモヤが、微風とともにどこかへ去ってしまったように錯覚する。
長い人生を歩いてきたけれど、これからもう少しだけ時間はありそう。つまらないことにくよくよせず、拘らず、健康に気を付けてやっていこうと、夏の朝は少しだけ殊勝になる。
梅雨は明けないけどいいお天気です。山へ行きたいけど暑いので、先週に引き続き島へ行きます。
家から山陽道福山東までは高速で。本日、前半は私が運転。運転席は日差しが強くて、途中で交替。鞆の浦は何度も行ったので、通り抜けて田島、横島へ行くつもり。
半島突端に磐台寺という古刹あり。現在の本堂は毛利輝元が再建したそうです。
本日、痛恨のデジカメ忘れ。スマホで少しだけ写真撮ります。
岩の上の観音堂。名前は聞いたことありますが、仙酔島にあるとばかり。同じ県内でもまだまだ知らないことがいっぱいです。
観音堂周りはウバメガシが群生。風の強いところに生える硬くて丈夫な木。県の木に指定された古木もありました。
ああ、それにしてもデジカメ忘れるとは…
お堂に上がります。高度感いっぱい。
お堂の周りは勾配があり手すりも低いので、スリル満点。
向こうが田島。この付近は源平の古戦場で、那須与一が放った矢が海底に刺さり、そこから木が生えて現在の矢島になったという伝説があるそうです。
井伏鱒二の「さざなみ軍記」で、平家の若き武将が島の乙女に恋するのはこの付近でしょうか。井伏は今の福山市出身なので、イメージしながら書いたのかもしれません。
島と島が重なり、どこが本土で、どこが島か分からない複雑な地形。人はそれを多島美と呼ぶ。
内海大橋通って田島へ。さらに睦橋通って横島へ。そこから引き返し、途中で食事してもう帰ります。
向こうが本土側。常石には大きな造船所があります。
釣り人多数。
青い海と空。夏になりました。
ずっと涼しかったので今日の暑さは応えました。
45歳くらいから登山始めて、県内の普通の観光地はあまり知らなかったけど、これからは珍しいところを探して訪ねてみたいものです。
お手玉クッションのカバー、夏向きに変えることにしました。
できました。
浴衣をほどいた布二種類で。
涼しそうでいい感じ~♪
和布なので手縫いしたら時間がかかった_| ̄|○
シチダンカ(八重咲ヤマアジサイ) 昨年8月 下呂温泉で。
2013年からの三年間、毎年違う灘校生との対話を本にしたもの。
内容は政治経済、社会情勢から、未来の知的エリートになるはずの子供たちに、何をどう学び、その能力を社会のために生かせばいいかを懇切丁寧に話している。
子供たちも佐藤氏の著作を読んで予習しており、知と知がスパークして、新しいものの見方を教えられることがたくさんあった。
知的エリートでもなく、未来もあまりない私でもいくつかのヒントを貰った。
たとえば懸命に勉強したことは決して無駄にならない。権威あるものも無条件にありがたがらずに、自分の頭で考える。反知性主義には上から目線(高い位置から俯瞰する)ことが大切。よい小説をたくさん読んでいろいろな人生を疑似体験し、人の気持ちの分かる人間になる。周辺部にいるほど、人は集団に帰属したがるという観察など。
また佐藤氏がロシアで勉強し、大使館では働いていた時にソ連が崩壊し、国が無くなっていくときの話は臨場感あふれてスリリングだった。
今の時代は戦争に向かっている。との佐藤氏の分析。言われたくなかったけど、そうかもしれない。それを回避するのは政治の力、外交の力だと私は思う。広く長い視野で考え、実行することを政治には期待したいものです。
福屋八丁堀店で開催中の「玉村豊男展」を雨の中、見てきました。
https://www.fukuya-dept.co.jp/honten/special/?p=TamamuraToyoo19
ボタニカルアート的な水彩画がたくさんと、ヨーロッパの街角の水彩画の展示。あとはワイン、食器、文具などのグッズ販売。
いい絵を描かれていました。絵は購入できます。
入場無料が何より有難いです。
東急ハンズにブラインドの紐探しに行ったついでに鑑賞。紐はありませんでした。ネットで買うしかないようです。修理は新しいの買うくらい値が張るらしので、自分で直す予定。掃き出し窓を木の羽根で作ったので、重すぎたようです。
本日も義妹と夫は姑様のところへ行き、きょうは言葉が出たそうです。昨日に引き続き刺激があって脳が活性化したのかもしれません。
寒がっていたそうで、寒がり屋の姑様、きちんと服着せてもらうようお願いするつもりです。
広島市立中央図書館付近/2015年7月
と私は思います。人の身体的特徴を公共の場で笑いものにするのは、同じことで悩む人の気持ちを考えたら、人権侵害とさえ思います。
以前はテレビ番組などで、滑稽なキャラクターとして、薄毛を設定することがよくあったと思います。さすがに最近では見ませんが。
太った女性を揶揄するのも少なくなったかもしれません。本人がそれを芸の一部として前に出しているのは(渡辺直美ちゃんのように)、私のようにふくよかな人間は太っててもいいんだと気が楽になり勇気を貰えますが、他人が笑いものにするのはやはりよくないと思います。
放送ではどういう規定があるのかと、ちょっと調べてみました
https://www.bpo.gr.jp/?page_id=1291
放送倫理・番組向上機構のホームページには、放送するにあたって守るべき倫理基準が網羅されています。この中の(56)項では「精神的・肉体的障害に触れる時は、同じ障害に悩む人々の感情に配慮しなければならない。」とあります。薄毛は障害(障碍)とまでは言えないかとも思いますが、そのことで悩んでいる人が、大勢が見ている場面で笑いものにされて嬉しいはずがない。嫌な感じを持つと私は想像します。
以前、某呉服店でセミオーダーの夏着物作ろうとしたとき、「女性の体型を6タイプに分けて作ります。お客様だと小柄でふくよかなタイプですね。言葉は悪いですが」と言われて、私的にはたいそう受けました。言葉は悪いですがの部分です。
これをネタにしてあちこちで笑い取ってたんですが、それは言われた私が言うから皆さんも笑う。他の誰かがそれを聞いていて、大勢の前で言われたら私はとても傷つくと思う。小柄は遺伝的形質、ふくよかは遺伝的形質+食欲に弱いこの性格。性格は頑張れば多少直せるかもしれないけど、遺伝的形質なんて、直しようがない。
薄毛もそうですよね。これは本人の責任ではない。なるものはなる。それをあたかも人格さえ劣っているように笑う、同じことをしても身の程わきまえない出しゃばりとして笑うのは絶対よくないと私は思います。
先日、あるステージを拝見しました。全体にはとても素晴らしいものでしたが、薄毛の人物がコミカルな演技をして笑いを取る場面があり、とても嫌な思いをしました。観客の中で悩んでいる人がいたら、とても笑えなかったと思います。客席には子供の姿もありました。姿かたちの異なる人は笑ってもいいと思うような大人にならないかと心配です。
で、ここからは無神経な人への私なりの考え方。
人は誰でもコンプレックスがあります。大人になると、人の嫌なことは言わないよう気をつけるし、人から嫌なことを言われても相手にしない、そういう人から離れるという知恵がつくものです。
今朝の土曜版に美輪明宏さんの身の上相談がありました。子供が大学生になり充実した生活送っているのを見て羨ましい。貧しくて進学できなかったので、今からでも大学に行きたいとの相談。
大学に行くのを目的にしてはいけない。これからどう生きるか、そのために今どうすべきか考える。大学へ行かなくても教養は深められるし、友達もできる。子供の進学をうらやむのではなく、自分の勲章と思いなさいと。私もまったく同感です。
自分の学歴、子供の学歴なんて聞かれても答えないのが吉。私たちの世代だと四年制大学を出た女性は稀、自慢話と取られるのが落ち。それに、この私、そんなに勉強してないし。
まして子供の学歴においておや。心密かな勲章でいいのです。
長男が父親と同じ大学の同じ学部に進んだので、「嫁」としての責任は一応果たせたし、三男は私が行きたくて果たせなかった京都の大学へ進んで、自由の学風の下、とても楽しい学生生活だったようで、こちらも私の勲章としよう。次男は本人なりに頑張って、今も頑張っているので親としてはもう言うことないし。
コンプレックスはうまく飼いならし、誇るべきことは心ひそかに支えとする。身体的特徴をあげつらう人はこちらから軽蔑して近寄らない。自分はそういうことは決してしないと、まあそんなところでしょうか。
長話、深謝。
昨日、息子の家族(息子は仕事で来られなかったけど)と義妹、私で夕食食べて、食後はケーキやアイスクリーム食べてゆっくり話ができてよかった。
遊んだ後。仏像その他は世界遺産とのこと。
夫は地元交響楽団の定演に出かけて留守、女子供で盛り上がる。
下の孫が明日はお泊り保育だそうで、夕方、我が家の近くのホームセンター内にできた西松屋で服買ってきたり、家で羽化したカブトムシの餌も買ってきたりと、忙しそうだったけど、あとはゆっくりと話ができた。
下の孫6歳からの御下問
腎臓はどんな働きしているでしょう。
体の中の要らないものを集めてオシッコ作るところ。
細胞は何でしょう。
体を作る小さな粒粒
と答えると「なかなかやるじゃないの」とほめてもらえました。やれやれ。
工作各種
ローソンを巡って台紙にスタンプ押すとなんかもらえるそうです。
昨日は近くのローソンへ徒歩で→病院内ローソンへ電車で→ここで肝心の台紙を置き忘れ→病院裏門から見えるローソンへ徒歩で→あとは歩いて自宅までと暑い中、二時間くらい歩き疲れました。
孫は帽子が大嫌い、仕方ないので日傘差しかけて熱中症予防。途中で唐揚げ、ジュース、おもちゃも買う破目に。
何だかで激しく疲れ、解散後の宵の口寝てしまった。
まだまだ恐竜
今年もニッコウキスゲの季節 2011年7月 日光霧降高原
先日夫が見て勧められたのもあって、本日午後から鑑賞。
広島では段原と西風新都のイオンシネマで上映中。私はチャリンコで段原まで。
14時台、館内ほぼ満席。ほとんどが年配女性。たまに男性。
年配女性って、群れて街歩いて騒いでと、とかく揶揄されがちだけど、こういう重いテーマの映画見る人もたくさんいるのだと、私が言うのはおかしいけど、心強く思った。
映画は最近起きた「首相のお友達を、政府一丸となって助けて学校作らせる」あの事件を下敷きにして、内閣情報調査室の外務省から出向してきた若き官僚、杉原と、東都新聞の女性記者が、毒ガス兵器を研究開発する大学の新設にまつわる闇を暴いていく。
外務官僚の良心と言えば「杉原」、その名前に象徴されるような、任務と自分の信念との板挟みに苦しむ姿を、松坂桃李が迫真の演技で見せていた。
韓国俳優シム・ウンギョン演じる女性記者も、ちょっとだけたどたどしい日本語が、一途さをいっそう際立たせる。
秘密を知りすぎて、結局は責任を負わされる実務の現場の官僚が自殺するのは、実際にもあったので、映画はフィクションと分かっていても、権力は恐ろしいとつくづくと思った。
最後、杉原は知ったことを全部忘れたら外務省に戻って外国に数年行って来られるようにしてやると条件を出される。
これは安部の妻の秘書が、いきなり外務省に出向になり、口封じで外国へ追い払われたのをもとにしている。
揺れる杉原。スクープ記事の出どころとして名前も出すと一度は決心するけど、若い妻と生まれたばかりの女の子。さあどうする…
映画は唐突に終わり、結末は見る人が考える仕組み。道路に飛び出して自殺するようにも解釈できるけれど、死なずに一個人として生きて行って欲しい。あの杉原千畝の戦後も大変だったけど、それでも早まらないで。
いえいえ、知りすぎた人物は「交通事故」などで不慮の死を遂げるのかもしれない。
サスペンスの要素もあり、飽きずに見られました。来週もやっているようです。
食道から十二指腸までの内視鏡検査を近所のクリニックで受けたのが、ちょうど二週間前。
きょうはその結果を聞きに行った。診断はシロ、やれやれでございました。
普段めったなことでは医療機関にかからない私、個人の医院は特に緊張する。何をどうしていいのか、オドオド、ドキドキ。毎回血圧測るのも嫌。体重でないからまだいいけど。
ピロリ菌はいないそうで、一年ごとに内視鏡検査受けたらがんも早く見つかり、楽に治療できるとのお話。
バリウム検査でみつかるのは進行がん。そうなんですかあ、知らなかった。15年前、検査センターで見つかったポリープを血相変えて知らせてくれたのも、大げさではなかったのかもしれない。
今日は先日のお礼に、先生とスタッフの方たちにお菓子を持参した。それも私に心の余裕があるから。
一昨年の乳がん未遂ではその余裕がなく、せっかく念入りの検査を勧めてくれた先生にお礼しそびれている。紹介してもらった大病院で、8ミリの腫瘍全部取って、切り刻んでくまなく検査したけど、何もなくて終了でした。人様に見せるところではないけど、乳房も小さな傷一つだけ、全体を取らずに済んでやれやれでした。
がんはなったものは仕方ないけど、髪の毛が抜けるのが嫌。人にまるわかり。その頃は公民館の活動の会計していて、活動は夜の室内、帽子もおかしいし、とそっちの方を気に病んだ。
人の病気の話ほど退屈なものはなし。
でも退屈ついでに、身内のがんの話も少し。
問診表で必ず書く身内のがん。私の場合は父親の尿道の周りのがん、母、父方の叔母二人、父方の従姉と4人の乳がんとずっと書いていたけど、すっかり忘れていた。弟も20年くらい前に胃がんしたのだった。
新興宗教で治すと、病院にかかりさえしなかった叔母(いくら考えても残念でならない)と余命一年と言われた父以外は全員治っています。がんもまあそう怖がることもないとは思いますが。
あと10年くらいは元気でいたいものです。山にもどんどん登りたい。海外にも行きたい。そのための健康。そして最後はなるだけ人に迷惑かけないための健康。
まだまだ梅雨は明けそうにないけど、7月もそろそろ半ば。もう若くはないけど、夏と聞けばつい楽しいことをしたくなる。
でも、さて、何する?
子供たちが小さい頃はホテルのバイキングやビアガーデンに行ったけど、もうそんなに食べられないし。
海水浴が何より楽しみだった小学生のころ。
お弁当作って、おかずも作って、近所の家総出で、電車に乗って海水浴場へ。初め、志度、のちに琴電塩屋、臨時の停留所ができていた。
高校生の頃はクラスで津田へ。楽しかった。家でお弁当作って、要るのは交通費くらい。楽しさの対費用効果抜群。若さとは何でも楽しめるの謂いかと。
スマホがなくても人は連絡を取り合い、きちんと会えていた。
手紙、はがき、家の固定電話に掛けて呼び出してもらう。
待ち合わせに遅れそうなら、相手の家に断りの電話を入れる。相手も待たされたら「**さんから電話なかった」と家に電話する。たいていの母親が家にいる時代はそれで何とかなった。
究極の業は駅に設置されていた伝言板。黒板で縦に行があり、日時、要件、自分の名前を書く。
例えば、「7/9 午後5時、**さん、二時間待ったけど来ないので帰ります。##より」と言う風に。
野口五郎の「私鉄沿線」と言う歌で、伝言板に君のこと僕は書いて帰ります。思い出訪ねもしかして君が・・・以下失念・・・って、今の人には何のこと???でしょう。
はっきり別れを言わずにわざと行かない。そして次第にfade outする。そんな手はやっぱりよくない。遠い夏を、自戒を込めて反省する。正直は何物にも勝る美徳。言いにくいこともはっきり言ってしまおう。そして次のステージへ。人生の残り時間考えたら、無駄な付き合いしている暇はない。って、今さら夫とは別れませんが。
夏は母の実家へ。祖父母はすでになく、伯父夫婦がかわいがってくれた。
田舎は珍しいものばかり、山と池と同じ年ごろの子供たちといっぱい遊んだ。
18歳、相手も18歳。夏休み、故郷の街の私鉄の駅のコーヒースタンドで待ち合わせる。
後ろ向きの白いシャツの広い背中。自分がどんな服着ていたか、全然思い出せないのに。
何を話したか、そのあとどこへ行ったかもすっかり忘れているのに、その背中だけは鮮明に憶えている。
夫は昔も今も旅行好き。高速道路のない時代、子供たちを車に積んでどこまでも行った。
広島からフェリーで別府へ。やまなみハイウェイでようやくついた湯布院の宿で、4歳の長男が泣き始める。
「おうちに帰るーーーーおうち帰ってブロックするーーーー」
翌日、2歳の次男は「お腹痛いーーーー」と言った次の瞬間、車酔いで嘔吐。
まだまだ親が遊びたい盛り。子供には迷惑だったかも。
湯布院はブームになるはるか前、地味な町でした。
夏が来ると、去年の楽しさがよみがえると錯覚する。
でも、一つとして同じ夏はなく、毎日会っていた人さえ、連絡先も分からなくなっていく。
人は誰かにつながっていたいと強く思わない限りは、どんな人ともやがて離れ離れになっていく。
ずっと一緒にいる人とは、夫であれ友達であれ、少々の行き違いは胸に納め、今年の夏も、来年の夏も、ずっと先の夏も共に過ごすと腹をくくる。
思い出の中の世界は豊かで幸せで、私は若くて元気で、楽しくて。
いえいえ、これからだって楽しいことはいっぱいあるはず。
体に気を付けて、今年の夏を乗り切っていきましょう。
さて、本日ストールの仕上げ、房を作ります。
教室で使ってたのはこんな道具。
糸を何本かまとめて二つのクリップに挟んで回します。
次にその二つを一つにまとめて逆の方向に回転すると、撚りの戻らない房ができます。
最後に端を結んで出来上がりです。
織りの道具なので高いです。送料込みで約4,000円。ひょえーーーー。
教室にはこれが二つあり、解散するとき要る人が持って帰りました。
あとで値段知ってびっくり。
とても良心的なお稽古代で教えてくださった先生にただ感謝です。
何か代わりになるもの…と探して、アマゾンでこれ見つけました。
髪をねじってアレンジするための道具です。単三の乾電池2本で動きます。
値段は送料込みで929円とお手頃です。
髪も糸も細くて長いのは同じ、使ってみましょう。
先ずノズルを押してピンクの部分を開き、糸を挟みます。
ストールを重しで固定、スイッチを下に入れると挟んだ部分がそれぞれ同じ向きに回転します。
電動なので楽ちんです。
今度は2本を一緒に挟み、スイッチを上に押すとヘッド全体がさっきとは逆に回転し、2本が一つにまとまります。
あとは端を結んで出来上がりです。
完成!!
毎日使うものではないので、私にはこれで充分かな。楽に速くできてよかったです。
今度孫が来たらやらせてみよう~~
本日、野呂山へ、弘法寺参道コースから登山するつもりで、安浦へ行きます。
我家からは海田大橋、熊野道路からR34のショートカットで、安浦まで約1時間。
途中の野菜市で「林道、登山道ともに昨年の土砂災害で通れない、通れるのは川尻からのコースだけと」教えられ「無理しない方がいい」と止められる。
残念ですが、遊びで事故があってはいけないので、年寄りは潔く撤退。そこらへんで遊ぶことにしました。
野呂山の土砂災害の跡。ほとんど手つかずだそうです。
昨日は一周年。
たくさんの流れた跡。
流れてきた岩を集めています。安浦で。
大芝島へ行きます。
http://imagic.qee.jp/sima3/hirosima/ohshibajima.html
展望所からの眺め。
小芝島はハート型に見えるので、人気だそうです。
小学校の跡地が公民館と野菜売り場になっています。
向こうの小芝島は、昔は狼煙台があったそうです。今で言うと通信基地。
元小学校の前の船溜まり。
郷愁の眺め。
遠い昔、来たことがあるような…気がする。
写すのは申し訳なかったのですが、土砂災害の被害の様子です。
私の立っているのは海岸の道路、後ろはもう海です。
家は撤去したようです。右のお宅は修復したのか、建て直したのか、きょうも工事をしていました。
大芝大橋。右、本土。
ミカン栽培の島です。ミカンの直売所でメダカを売っていました。しばらく話して、買わずに(生き物は世話が大変だし家を空けられないので)帰ります。
続いてこちらへ。
https://tabetainjya.com/archives/cat43/post_3348/
正福寺公園。広島県5位の桜の名所だそうで、知らなかった。。。。
絶景。
案内板。空気が澄んでいると四国連山に石鎚も見えるそうです。足元、安芸津港。
白いのは狼煙ではなく、鳥のフンらしい。
たくさんの桜がありますが、今日は人はほとんどいなくて、静かな山を楽しみました。
必殺時短弁当。製作時間約5分(卵を茹でる時間は除いて)。トマトと紫蘇は夫が栽培。
山中、まだアジサイが。
祠とアジサイ。
同じ道を引き返して、帰宅は14時前。山歩きしないので、楽なお出かけになりました。
これからはこんなことが増える予感。