雑誌読むのも読書だろうか。
普通は言わないと思うけど、あまりに今の私へのsuggestionが多く、このカテゴリーにしました。
元々ある方のブログの記事で拝見し、すでに品切れなので図書館で借りてきた。
特集の「きものみち」は東京国立博物館でこの春開催予定の「きもの KIMONO」に合わせたものらしい。展覧会の方は予定通り開催されたのだろうか。
表紙の小袖は17世紀、染と刺繍で作った豪華で大胆な一枚。
タケノコのように見えるのは波なのかなあ。絞りは本当の絞りではなく、型紙で染める摺匹田。匹田絞りが贅沢と禁止された後なのか、その前なのか、これだって手間かかります。そのほかにも粒粒一つを手描きする描匹田もありますよね。
庶民のおしゃれを禁止しても、ちゃんと抜け道考えるのがしたたか。これって生徒指導とおしゃれしたい生徒との永遠の闘いみたいに。
銘仙もたくさん紹介されているし、着物生活をする人のコレクションもセンス良くて素晴らしい。
着物は平面で、その上に柄を載せ、人がまとうことで美しさが完結する。用の美であるけれども、着ることで人は引き立ち、着物も引き立つ。相乗効果。
これはもちろん洋服でも同じことだけど、着物は襟の抜き方など着こなしでその人の人となりやその日の気分まで表現する。この細かくエッジの立った表現、これが着物の神髄かと、私は思った。
p82 鏑木清方の日本画の作品、着物着た女性二人と三遊亭円朝像、着物好きの人にはどんな着物か見るのが楽しいそうで。
なるほど着物が日常着だったころは、その場面に応じてふさわしい着物があったようで、その文化、素養、これからも細々とでいいから続いてほしいと思った。
読みたかったのは着物警察の部分。
はい、私も何度か被害に遭いました。あまりにしつこいのでそのしつこい人と大喧嘩になったこともあります。若かった私。
それと着物着ている私を見ると、「私は着ないのよ(持ってるけど)。着たら太って見えるって娘が言うから(おや、この私が太って見えるとでも)」(次男の小学校の卒業式で)とか、「私も着物着ようっと」(最近ある場所で)とか、言う人がいましたよねぇ。
それも、着物持ってるけど着ないという人は正面からは言わない。すぐ後ろで、はっきりとこちらに聞こえるように、二人で言い合っている。感じ悪う~
皆さん、似たような経験されているんだと心強いと言うか、他人が着物着ているのを見ると居心地悪い気持ちになる人が全国津々浦々にいることに、何の意味があってのことだろうと考えました。
うらやましいのかなあ。ねたんでいるのかなあ。お金持ちと思われるのかなあ。余裕ある良家の奥様と思われるのかなあ。
しかしそれはあまりにものの見方が浅い。呉服屋で買うならともかく、着物の手に入れ方は今の時代いろいろあるし、私の場合はその時々で着るいい服持ってないので、着物着ることが多いです。
着物なら10年前のでも充分着られるけど、流行の最先端の洋服は無理、体形も変わるし、却って安上がりと私は思います。
息子の結納、高価な洋服よりはそれよりうんと安く買った色留袖で。帯や小物もあるもので。それでも気後れせずに済んだ。それに洋服はアクセサリーが大変です。
着付けも習ったからと着られるようにはならない。何度も着ているうちに着られるようになります。
おやおや、ずいぶん熱く語ってしまいました。
要するに着るものは意図するしないにかかわらず、とても分かりやすい自己表現。改まった場所での決まりごとは洋服も同じこと、それ以外の場所では自分らしく自由に着たらいいんだと勇気づけられた本です。感謝。
機織りも飽きたし、きょうはまた別の着物着ようかな~
家にいるので半幅帯ですよね。梅雨でちょっと肌寒い時には着物はぴったり。