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最近のイタリアン

2020-06-06 | クッキング・ランチなど

義妹がくれた優待券、先月は店が閉まっていたので再訪しました。

店の選択は3つ、待っている人が少ないイタリアンに。

サラダバーは手を消毒して、使い捨ての手袋嵌めて利用します。

ソラマメの・・・ムースとは言わないし・・・ディップというのかな。パンにつけて食べました。

バーニャカウタ?に三つ葉とリンゴのスムージー。

ピザに野菜いろいろのパスタなど。

最近のイタリアンは名前が難しい。

喫茶店で食べるスパゲッティナポリタン。ウィンナーソーセージとピーマンをケチャップであえたソース、スパゲッティは茹でて冷蔵庫で保管しているのであくまでも柔らかく・・・という昭和の幻のイタリアンは今いずこ。

2階を間借りしていたお宅の近くに小さな店があり、日曜の雨の夜、一人で行ったりしていた。うーーーむ、こんなことばかり思い出していたのでは老後は暗い。何事も前向きに。

本日は優待券で行けたのでまことに結構でした。

お店はこちら。野菜のメニュー充実、そしてどれも新鮮でおいしかった。

ダイヤモンドシティ、ソレイユ。そろそろお客さんも戻ってきている感じ。

元はキリンビールの広島工場。今は商業施設になっています。

インフォメーションはビールの醸造窯で。銅を打ち出した職人技。

食事の後は個別行動。雑貨屋さんを色々見て楽しかったけどもう買わない。

これからは引き算の美学で行く私。

駐車場から。

団地。

帰宅すると本が届いていました。著者は女子美でテキスタイルデザインを教える先生。染織工房も主宰されています。

四枚綜絖はわずかで、もっと高級な織り機対応が多かったけれど、織りの本はすぐに絶版になり、中古本はすぐ1万円くらいになるので、持っているのが心の支え。

組織図の本は洋書が多いので、日本語で読めるのがありがたい。

今年の展示、あるのかないのかまだ発表がありませんがいずれにせよ、そろそろ取り掛からねば。

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「100分で名著 アルベール・カミュ ペスト」 中条省平

2020-06-06 | 読書

Eテレの放送はちょうど二年前。もちろん世界は新型コロナウィルスの肺炎を知らない時期。

で最近になって、放送はなかったと思うけど、再販されたらしい。

数回に分けての小説の解説に加えて、カミュの来歴、書かれた背景、文学史の中での位置付けなどにも言及、わかりやすい解説書になっている。

2年前なら多分読まなかったと思う。私にとっては20歳頃読んだ古典、そこまで立ち返るのが面倒だったと思う。

本屋で出会って買う気になったのは、最近再読して、あまりに身につまされて読み、当時よりもうんと感動したから。

本書9ぺージから少し引用します。

・・・やはり震災と原発事故以降の恐怖と不安の記憶、不愉快な閉塞感の持続という現代日本の問題が重なって、その予言的なリアリティが身に迫ってきます。

時代が変わっても、その時代ごとにふさわしい読みを許容する幅の広さが、すぐれた文学作品の条件だと思います。人間が不幸とどう戦うかというこの物語は・・・・地震という天災や、目に見えない放射能の恐怖に置き換えて読むことも可能なのです。また災厄によって招来される社会状況の変化は、いまの政治や社会の気味悪さ、生きにくさとも深く関わるように思われます。

引用終わり。

まさに古典が読み続けられるべき意味がここにあります。今の状況を正確に予見したようなこの解説には、驚きを禁じえません。

1947年、第二次大戦後わずか2年で発表されたペストを、今回再読して私が感じたのは、封鎖された都市を戦場として戦う男たちの物語だと。読者も終わったばかりの戦争の記憶が生々しくよみがえってきたことでしょう。

ペストの中に女性は描かれていません。妻や恋人はパリや遠くの結核療養所にいる。医師リウーの母親だけが登場しますが、この人は母性の象徴であって恋愛の対象ではない。恋愛がこの中に出てきたら、テーマの持つ切実さが拡散してしまったと思います。よく考えられています。

カミュはこの後書いた「反抗的人間」をきっかけにサルトルとの間に論争となり、以後はしばらく沈黙しますが、1957年、43歳でノーベル文学賞を受賞し、その後長編執筆途中に、交通事故で亡くなります。

ノーベル文学賞は知っていたけど、こんなに若かったとは。まして不慮の事故死なんて、世界の文学にとって大きな損失でしたね。長く生きて、世の中を見てまた素晴らしい作品を書いていただきたかったと残念でたまりません。

私が若いころ、サルトルがまだ生きていてちょっとしたブームもありましたが、いや、あれは私が勝手にそう思っていただけかもしれませんが、サルトルは読みにくかった。あまりに知性が勝ちすぎている気がして、自分には合わないと思った。

今回、カミュがアルジェリアの生まれで父親が早くに亡くなり、貧しい子供時代だったことなどを知り、いっそうその作品に親しみがわいた。

機会があれば「異邦人」「反抗的人間」も再読したい。どんな内容だったか、半世紀という時間の波に洗われて、ばあちゃんは完全に忘れています。

娘時代、他に何の特技もないので、本ばかり読んで友達は少な目、地味な私でした。年取って、やっぱり本来の私に回帰しているのかも。

今、読みかけの本があると嬉しい私。昔も今も本読むのはマイノリティ。この調子でどんどん孤独になるのかも。それもまたよし。

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