作者は1980年代、歌謡曲の作詞者として一世を風靡し、1999年末から京都市内の古民家を改装して、その家に合った暮らし方を始めた。
当時はその様子がメディアにもたびたび登場したと記憶している。昔からの暮らし方を大切にする著者はしかし東京生まれ。流行の最先端にいて、却って京都の暮らしにほっとしたのだと思う。
京都の人はよそ者に意地悪とよく言われるけど、懐に入ってしまえば皆さん親切で京都の暮らしを楽しんでいる。
言ってしまえば、家をも含めた大掛かりなコスプレとも見えるけれど、その生活は京都人よりも京都らしいのではないだろか。
こういう京都好きな人がいるのが、京都の持つブランド力。そこでの季節事の暮らし方を丁寧につづったエッセィ集。これを読んであこがれる人もいると思うけど、軟弱な私は京都の厳しい暑さ、寒さをエアコンなしで乗り切るのがもう体に応える年になっていると思う。
こんな暮らしも50代までかな。
極楽のあまり風とは、夏、ふと吹いてくるかすかな風のこと。それがしみじみありがたいという表現。京都の家は通風をよく考えてあるそうで。間口狭く奥行き長いのは都会ならよくある造り、その古い台所で着物姿で料理する著者はしみじみと楽しそうである。おばに貰われた養女で、難聴気味と正直に書いている。
京都で今も心安らかに暮らしておられることだろう。この温暖化、一層大変とは思いますが。
一つわからないのは「町家」という言葉。いつから言い出したのだろ。京都人はまさか自ら言わないだろうから、京都の暮らしがほかの土地の人の目で見られるようになった時期でしょうか。
讃岐うどん、広島焼きも認知される過程は同じかもしれませんね。地元民は讃岐うどんとか広島焼きなんてもちろん言いません。
おうどん、お好みで通じます。
我が家の極楽のあまり風。はじめそよそよと
最後は強風。昨日夕方。
隣のビルとの境のブロック塀を低くしたら、駐輪場の窓の向こうからはるばると風が吹き込んでくる。あまり風ではなく、強風。
風の吹き方に気を取られるのも、歳を重ねたからのようです。