張り切ってする予定が糸が足りなくて、いつもより2時間早く下校。
7/6土曜日 昼前に京都に着く。地下鉄東山三条で下り、少し早いけど昼ご飯。
あるぺんrose (アルペンローズ) - 東山/カフェ | 食べログ (tabelog.com)
地下鉄降りて川沿いの近道を行かず、そのまま東へ。道の南側にあります。平安神宮付近は食事処が少ないので、あってもカフェ風で高いので私はこちら二度目です。
地元密着型だけど、先日は外国人も多かった。
ハンバーグ定食が1,450円。ライスまたはパン。パンは2個選べます。
京都の観光地でこの値段が嬉しい。
平安神宮の鳥居をまっすぐ南下、三条通を渡って右へ。しばらく行くとあります。
以前美術館併設のレストランで午後遅く、フルーツソースのパスタというのしかなくて、ジュース味のパスタ、あれには泣きました。旅先ではご飯は早めに食べておく。
そこから美術館まで歩いて10分足らず。最近は工芸作品をたくさん見るようにしています。色遣い、発想、参考になることばかりです。
いいなと思った作品、染めと織りを順不同で。説明省略。
飛行機柄。B29の空襲みたいで落ち着かない。
何と繊細な。水の中の色と光、小さな生き物。
着てもいいけど、着物というキャンバスにどれだけ表現できるかという挑戦。
伝統工芸的。
糸は先に染めるのだと思いますが。
続いて織りです。
綴れ織り。
風神、雷神のイメージだそうです。
これも綴れ織り。
綴れ織り。
綴れ織りはデザインが大切。デザインは難しい。
着物地の裂き織り。
細部。紅絹裏や糸、ウールもあり。
細部。
綴れ織り。
平織りに裂き織りを重ねる?
細部。敢えて押さえた色調で、デザインが生きている感じ。
いいものをたくさん見せていただきました。学生さんの作品はフレッシュで今後が楽しみです。
こちら。工芸だけの公募団体も全国で見れば、たくさんあるようです。
2年前、誘われてこの世界に足を踏み入れた私、知らないこと多すぎ。
きれいなロビーの天井見ながら小休憩。この後レトロな階段を下りたら企画展のど真ん中に下りて、チケット持ってないので焦った。ばあちゃん、抜け道探して脱出。
続いて別の工芸展に行きますがそれはまた後程。
昨日は二月に一度の通院、定期的に通って処方箋を貰うだけ。薬は近所の薬局で。
たったこれだけのことにとても億劫で、でも行かないわけにはいかず。
午後からは半年分の税金の計算するつもりだったけど、夫からもらうデータがまたしても不備。蒸し暑いときにテンション下がることおびただしい。
年に二回会う約束の県人会女子グループ、5人ともなると全員揃う日が今月中には無理そう。涼しくなってからということに。遠く郊外の団地から市中心部まで一時間半かけてくる人もいるので場所の選定も難しい。
昨日は夕方から引き続き織りのデザイン。やれどもやれどもきりがない。
しかし、先日の織り工房での若い助手の先生のお話。
「織は織り始めたときにはもう終わっている」
けだし名言です。
織りに掛ける時間は、デザイン>>>>織る準備>>>実際に織るという感じでしょうか。
デザインの段階で時間はたくさんかけたいけど、私のように圧倒的に経験の足りないものは、どうデザインすればきれいに織れるのか、果たして自分の技量で織れるのか、それすらわからず右往左往しています。
今はせっかく大学へ行っているので、周りの皆さんからいろいろなことを吸収したいものです。
昨日、会報が届いた。地元新聞に広告も出ていた。いずれも右下が私の作品。まだまだ発展途上です。よろしくお願いしますと、工芸の世界の入口ののれんを掻き分けたくらいの位置。残りの人生は短いのに。
他の受賞者の経歴、大学で芸術を学び、親御さんが画家だったとか、京都で代々続く焼き物の家だとか、錚々たる経歴の人ばかり。
60歳過ぎてぼろ布で裂き織りから始めた私は、残りの人生何を目指せばいいのかなと思ってしまう。
たくさん貰った招待券に案内ハガキ、今日はあちこち送り、ラインでも案内したけれど、あまり強要になってはいけないのでほどほどに。
息子たちは機織りに一切の興味なし。まあそういうものでしょう。
用事が多い時には気分を変えるために小説を読むに限ります。
しかし、本も高く、気が付けば著者は殆ど私より若い人ばかり。
ふーーーん、世の中こんなになっているのねと思うことはあっても、今さら自分の生き方を変えるのは難しいし、価値観がひっくり返るくらいの作品に出会ううこともなさそう。
それで昔の知り合いの方からもらった同人雑誌を読んでみた。
女性二人の同人雑誌。二人とも私より年上。
広島にも小説の同人雑誌が各種ありますが、老舗の男尊女卑的な運営に飽き足らず、二人で立ち上げて、コンスタントに発表し、もう32号になるところです。素晴らしい。
いつもは礼状だけ書いて読まないのだけど、今回は読んでみた。なかなかいいと思いました。一つは人を食ったような話、もう一つは介護や老人の諸問題。
小説とはどんなに隠そうとしても、その人の人間性が顕わになる、ある意味面白くかつ恐ろしいジャンル。
後書きにあります。日本文芸家協会の懇親会に出て、某有名作家と話したって。
えええええーーーー、地方の同人雑誌作家がどうやったらそんな場所に出入りできる????と思ったけど、二人とも自費出版で単行本を何冊も出し、ISBNナンバーがついて本屋にも並べてもらっているらしい。
確か地元の印刷所、またはどこかの出版社のサービスでそのナンバーをつけることができると聞いた気もする。
文学にしろ芸術にしろ、純粋のプロはごくわずか。その周辺にはたくさんのセミプロ、そしてアマチュアの人々が。
世に出なくても、自分の生きがいとして、生きた証として何かを残せたらいいのかなと最近は思う。うーーーん、たとえ身内にでも無視されたとしても。
完全な自己満足の世界です。
東京の懇親会で、陶芸の方が、娘は私の作品いらないって言ってます。だそうです。
私の出品作品は、100㎝の200㎝くらいなので、冬、布団の上からかけると綿だし目が詰んでいるので暖かいかも。これもまた押し付けになってはいけないので自己消費でしょうか。
前にも挙げたかな。先日の断捨離。
これは捨てない。織りの作業の時、大きな版の本は重しに便利。この上から姑伝来の漬物の重しを置いたりする。
先日、温泉宿で額を打ち、内出血の血液が目の周りに降りてたまっている。
初めはアイラインのとり忘れかと必死でこすったけど、取れないばかりか・・・
外出にはサングラス必須。元に戻るのにしばらくかかりそうです。ホントにトホホの毎日。
(お父さんは)もう山歩きも大変だし、もう温泉行くくらいしか楽しみがない・・・とぼやいていたら、息子の一人が温泉に誘ってくれました。
梅雨の時期ですがお天気に恵まれ、恵まれすぎて、愛知、静岡を旅してきました。
以下駆け足で今回の旅の振り返りと反省。
土曜日、私だけ朝から出かけて京都に立ち寄り、工芸展を二つ見る。
こちら京セラ美術館本館。メインの企画展は今回パス。
こちらは別館で。
中央展を4月に東京で見逃したので鑑賞。巡回展なので関西の作家中心。
見ごたえありましたが、次があればぜひ東京で見たいものです。
京都はとても暑いのでどこへも行かず、早めに名古屋へ移動の予定。
14時前、駅へ行くと異常に人が多い。待合室、通路に人が溢れて階段に座る人も。インバウンド客もここまで増えた?と思っていたら新幹線が停電の影響で遅れている、鋭意復旧中とのアナウンス。
いゃあ、こんなことは初めて。夫は遥か手前、尾道駅で停車中とのこと。
とりあえず食べるもの、飲み物仕入れて暑い京都の駅で一時間半ほど待っていたらやっと復旧。自由席なので停まっているのぞみに乗り、15時半出発。
結局、予定より一時間半の遅れ。
名古屋まで40分、このくらいなら立っていても大丈夫。学生時代の帰省、急行列車に2時間半たち続け、支線に乗り換え、国鉄連絡船に乗り換え・・・の混雑に比べたら。
いえいえ、引き揚げ列車の苦労に比べたら・・・すみません、どさくさに紛れて話を作っています。
名古屋駅について、涼しいカフェに入り、夫とスマホを家に取りに帰った息子の到着を待つ。全員が無事に出会ったのが18時頃。私は名古屋駅で2時間待機していた。それから延々、愛知県南端の宿まで車で90分。
食事始めたら19時半を回っていた。食事の後は最上階のラウンジで23時まで話して土曜日は解散。
翌朝、宿から。名古屋近くの手近なリゾート地だそうで。
海で子供がもう遊んでいました。
そこから2時間かけて、静岡県尾西市の豊田佐吉の生家へ。
夫、初めて。息子夫婦と私は2度目。この日の静岡は最高気温がついに40度を突破したそうで、暑かったです。記念館も人は少なめ。見学無料。
親に隠れて豊田佐吉が機織り機の改良をしていた納屋に蓑が掛かっています。
世界のトヨタ、出発の地に棕櫚の蓑。これは前にもあったかな。棕櫚が珍しい。そう言えばトヨタ博物館で、何かのろ過装置に棕櫚を使っていたと説明があり。棕櫚は偉大なり。
我が実家地方では稲わら。祖父が使っていた。軽くて通気性がよくて、先日の大河ドラマでも越前の雪の日、まひろ様とまひろパパも着用。ホントはもっと長くないと着物が濡れそうですが・・・
あとは浜名湖名産のウナギをいただき
一時間半かけて名古屋へ。途中眠ってしまい、気が付くともう名古屋も近そうです。
そうそう忘れていました。
多難の一つは新幹線の遅れ、そしてもう一つは宿で真夜中に起きて、布団に足を取られて前のめりに転び、枕元の空気清浄機の角に頭をぶつけたこと。
たちまちできるでかい瘤。
痛いーーー。濡らしたタオルで冷やして、翌日はまだ痛かったけど旅行続行。
帰宅して額に湿布貼る。
今回の教訓。
新幹線は遅れることもあると心得よ。慌てず静かに再開を待つ。
宿の部屋、寝床の周りにものを置かない。これは家でも気を付けたいことですが。
これは翌朝、私の不注意ですと断ってから、フロントに言っておきました。置き場所にご一考をと。
暑い二日間でしたが、大雨よりはましでしょうか。
息子の運転で旅行するのは気が楽。そろそろそんな年頃になっている私たち。
昨日は登校日で、自分の織物のほかに表題の織り方も少し習いました。
いずれも夏の着物地ですね。
こちらから画像お借りしました。
男着物のQ&A 1) 男の反物で紗と絽は、どのように違うのでしょうか?男着物.com (kimonosugata.info)
女性の夏着物としてもよく仕立てられるのが、紗に絽ですね。
学校では太い糸で、織り方の組織を学生さんが習っていて、ついでに私も織らせてもらいました。
紗は模紗織りとして、以前の織工房で習い、夏用のストールをいくつか織りました。絽は初めて、そして洞ほら絽です。
綜絖は3枚だったかな、そのうちの一つの糸の列に細い糸綜絖を付け、開口を3種類にして緯糸が立体的に交差する織り方・・・と言えばいいのかな。
織り地に起伏ができて夏生地としてはピッタリでしょうが、織り方として残っているだけで、注文でもしない限り、こんな手間のかかる贅沢な着物地は市場に出回っていないと思います。
飛び切り贅沢な夏着物。谷崎潤一郎の細雪でならあるいは。。。。
いい体験をさせてもらいました。織の世界は奥が深いようです。そして日々廃れてゆくのが寂しくもあり。
昨夜は暑くて寒くて、首が痛くて二時間おきくらいに目が醒める。
未明4時、我慢できずに痛み止め飲んで、夫の湿布を拝借して首から背中に貼る。
首はまだしも、背中上部はどうしても手が届かず、台所道具のトングで掴んで勢いつけてぺたりと貼り付ける。
一人で湿布の貼れる道具、もう世間にはあるのかもしれませんが、なければこれから一人暮らしの老人が増えるので、発明したらヒットするかも。
昨日の友達の話で、印象に残っていること二つ。
同じマンションの人が地元の老人施設に入ったので様子を見に行ったとか。月24万の費用で3畳くらいの部屋で生活。ベッドと机、テレビに小さなチェストが置いているそうです。
3畳一間の個室が辛いと本人が言っていたそうな。そりゃ誰でも辛いでしょう。狭すぎる。独房みたい。まだ頭がはっきりしていたなら介護保険使って、足りない分は私費で民間の介護業者に頼んで、家にいる方が幸せかなと思いました。
そのためには男も女も生活者として自立していないといけませんね。
買い物、食事の支度、ゴミ出し、これは必須。お金の管理。その先は・・・差し迫ってないので詳しくないのですが、いろいろな支援を使って、なるだけ家にいたいと私は思っています。
で、山口県の島にあるさる施設はとても費用が安いそうで。病院併設。多分その病院の経営と思いますが、建設費が安かったのでしょうか。入居希望は60人待ちだそうです。
いえいえ、まだ少ない。姑の介護が家でどうしてもできなくなって、とりあえずショートステイに預けて施設にいろいろ当たった所ではいずれも150人以上の待ち人数。
幸い、2か月後に特養の空きか出来て、姑は同じベッドで寝ていたけど、特養に昇格。本当に運のいい姑でした。
全然歩けないけど初めはまだ頭もしっかりしていたので、私たちが行くと会えて嬉しそうな、でも家に帰れないと分かっていて悲しそうな顔をしていました。それを今思い出した。私としたことが、ちょっと涙が出る。お義母さん、ごめん。
介護の日々は大変でしたが、自分の老後への覚悟も定まったかな。
おや、思わず長話を。
なるだけ家にいる。子供と同居しない。と、昨日はそんな結論でした。最近はどこへ行ってもこんな話題ばかり。
さて寝苦しい夜の後、今朝、スマホのタイマーで目が醒めると8時25分、金曜日以外のこれが私の朝の起床時刻のデッドライン。ゴミ出しと、万一夫が寝過ごした時に仕事場玄関のかぎを開ける時刻。
慌てて起きて台所へ行くと、夫は既に一人で朝食を済ませて姿なし。あちゃ~。
この後、婆ちゃんたちの茶話会に、午後は夏服を出し、会計をし、本を読んで・・・
織のデザイン、早く仕上げたいけれど、なかなかです。
さっきテレビ見ていたら、スペインからの旅行者が、日本の夏は暑いとへばっていた。気温だけならスペインが暑い。2016年6月、マドリッドの空港に降り、市内をバスで移動中、バス停の表示は45度だったので、信じられなかったけど、連日40度以上。
それでもそう暑く感じなかったのは湿度が低いからでしょう。汗は全然出ません。というか出ているのでしょうが、瞬時に蒸発するので肌が汗で濡れるという経験はありませんでした。
こんな話を夫にすると僻むので、ここで書かせてください。
仕事辞めたら二人でヨーロッパもあちこち行くつもりでしたが、私はもう体力に自信がない。円安も辛い。で、美術部の部長だった夫にはいつかフィレンツェで大好きなミケランジェロを見てもらいたかったけど、果たせぬ夢に終わりそうです。
それで国内のコンサートは行ける限り行くつもりのようです。本日は反田恭平氏。高いけど辻井伸行氏の方がもっと高いとか。当地へ来演することもあるのでしょうか。
姑が染めたテーブル掛け、一時拝借してまた元へ戻していたら、夫が捨てた。残念。手染めでいい色合いでした。
亡くなって今年で3年になる。生きていたら101歳。
時々、夫の知らない姑の話をする。聞いて喜んでいるのかもしれませんが、あくまでも淡々と。
さて来年の作品、今から準備しています。こちらは大学と違って組織織です。
組織織で自分らしさを出すのは難しく、結局幾何学的なきれいな模様を崩すわけですが、織ってみないとなかなかイメージが掴めない。
掴めないけど、いちいち織るわけにいかないのでデザインを詰めていきます。
前はエクセルでしていたけど、隔靴掻痒、コピペに時間ばかりかかって浮かんだアイデアがその間に消えてしまう。
それで今回から昔からの道具でしています。
紙、色鉛筆、物差し、電卓などなど。電卓がハイテクだあ~
結局、一マスずつ塗っていく方が私の場合はやりやすい。
昨日ときょう、外出時以外はほぼずっとしていた。していない時も頭の中で考えがグルグル回って落ち着かない。
これは出来上がるまで続くと思われます。誠に因果なことを始めたものです。
本日夕方から、左の肩から背中が突然痛くなった。疲れがたまっているものと思います。
本日の唯一の外出は、友達の家に週半ばの展覧会の招待券を届けたこと。
2時間弱話もする。楽しかったけど、最近は一緒に活動することもなく、話しが少しずつずれて来ているのが寂しくもあり。
でも家の行き来をする貴重な友達。これからも楽しく付き合いたいものです。
大学の入学祝をいただきました。誰からも貰わなかったのに。
嬉しや、嬉し。
いただきます。
友達の気持ちがしみじみと嬉しかった。スマホを出して織りかけのつづれ織りを見てもらう。
彼女は親戚の紹介で、中国のさる都市で裂き織りばかりの展示をしたとか。組み合わせて壁面に垂らすと途端にアートになっていた。
何事も動きが大切。糸の、織り目の表情が大切。生き生きとしていた。参考になった。
明日はばあちゃんの茶話会。手押し車で参加する人もいるので、雨の日は禁忌。やっと晴れて出来るようになりました。
先日の一場面。NHKよりお借りしました。
まひろ(のちの紫式部)に、夫宣孝がプレゼント持ってきます。
「ほらよく似合うではないか、当てて見よ」とか言ってます。
反物だそうです。
反物とは着物一枚が縫える用尺のこと、これでは少なすぎるように見えます。果たして縫えるでしょうか。
反物についてはこちらが詳しいようです。
「反物」とは?意味を知って正しく理解 | バイセルオンラインストアの着物コラム (buysellonline.jp)
ねっ、やはり画面の布では少ないです。
道長と妻綸子が、娘彰子を天皇に差し出すことで話し合っています。
場所は夫婦の寝室。着ているのは当時は小袖と呼ばれたいちばん下に着るもの。それが今の和服の原型と言われていますが、ドラマの布では小袖も無理に見えます。
せめて巻物のように巻いてほしかったです。
神は細部こそ宿り給う。小さなことをおろそかにしないドラマでお願いします。せっかくの話に酔いたいのだから。
このあと、夫婦げんかになり、まひろは夫に香炉の灰を掴んで投げつけるんですよね。まひろの送った歌を他の女性に見せびらかしたことがきっかけでしたか。
私ならそれにも怒るけど、こんな端切れみたいな布切れで私の機嫌とるつもりと、布の短さに怒る。無地だから用途も限られそう。
布地の流通、どうだったんでしょうね。
今よりうんと貴重品だから、たぶん注文生産。権力者、富貴の者はお金のようにたくさん家に置いておき、お礼や褒美でそれを使う。道長は呉服屋みたいに家に布地をストックしていて、節目節目に人に下げ渡していたとか、何かで読んだ記憶が。
庶民は・・・私の類推ですが、布地を仕立てる場合と、古着の流通もあっかもしれませんね。
私は平安時代が好きなので、衣装、調度、所作、楽しんでいますが、道長を善意の人として描くので、シナリオでは史実との整合性に最近は特に苦労しているように見えます。
娘を天皇に差し出す理由など。権力欲というか、それが当然という思考と思いますが、ドラマではえらく苦悩している。
私が子供のころ、小学校の教師をしている叔父から「学校に置けなくなった本」を貰ったことがあります。戦前の子供向けの歴史書。イザナギ、イザナミの神話から始まる皇国史観に貫かれた通史で、藤原道長は天皇をないがしろにした大悪人という扱いでした。
それもまた極端な見方。
摂関政治も歴史の必然から生まれたもので、単純に善悪では片付けられない筈ですが、天皇を中心に考えるとそうかもしれませんね。古代の天皇制は豪族、貴族のパワーバランスの上に成り立っていたので、有力貴族が権力を握るためには手段を択ばないのはこれまた善悪では判断できないところ。その時代、その立場に行き合わせたら誰しも似たようなことをするのではと思う。
鎌倉時代の有力御家人のパワーゲームに比べたら、刀を抜いて戦わないだけまだましかも。
一度やめたはずのこのブログになぜ帰った来たのかというご意見がありました。
前のを読んでコメントくださった皆様、申し訳ありませんでした。
説明は長くなるので省かせていただきますが、こちらの方がより安心のようなので、ふたたびこちらに書くこととしました。
久しぶりに昔の記事を読むと、前は孫たちがよく来ていたなあと感慨もひとしお。食事とおやつの提供、賑やかに遊んで、帰ると疲れが出て、そんな日があったことに感謝。
翻って最近は楽しいことも少なく、次第に年取って行くのかなと。まあ体に気を付けて人の迷惑にならないようにするのがこれからの目標であります。