父親は松竹下加茂撮影所で
昭和16年~17年にかけて
監督溝口健二・前進座出演で
原作は真山青果(まやませいか)の
「元禄忠臣蔵前編・後編」
豪華で地味な作品が日本における
最後の仕事になりました
日本の映画界はそれまで世界第二位の
制作本数を誇っていたのですが
戦争が始まって、戦時体制が敷かれて
小さな制作プロダクションや映画会社が
整理縮小されることになりました
映画界が整理縮小されると
スタッフが余剰人員として、
あぶれることになります。
… … …
有能な若いスタッフの何人かは従軍カメラマンになりました
それ以外の技術者はまとまって満州(まんしゅう)の
満州映画協会(満映=まんえい)へ行くことになりました
その渡満(とまん)組の代表が
私の父親でした。
父親は寡黙な技術者でしたから
従軍カメラマンや渡満組の人選に
関わっていないと思います
… … …
父親は京都と東京を往復してから
忙しそうに渡満組と
満州へ行ってしまいました
まだ小学生だった私に
どういう事情か詳しいことは知りません
両親から聞いて覚えていることを記しています
後に残った母親と私ら幼い兄弟に
「自分一人で行ってしまって…」と
ぼやいていました