初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

春光国民学校へ転校

2015年09月19日 21時22分51秒 | Weblog


京都・下鴨から発送した家財道具が

到着しました

船に乗せられたり、陸路を貨物列車で

遠路はるばるやってきたのでしょう

… … …

大きな姿見の鏡がついた縦長の

洋服ダンスは運送業者さんが云ったように

鏡がむき出しの荷造りが良かったのか

全く、無事でした

… … …

木枠の中に縄で宙づりに梱包された

陶器製の火鉢も、もちろん無事です



小さな鏡のついた和箪笥がありました

その鏡は小さかったので業者さんが

すっぽりムシロで荷造りしたのがありました

なんと、その小さな鏡が見事、壊れていました



家財道具の運送は

業者から業者へと渡されていきます

荷造りはなんとも難しいものです

… … …

母親は、大きな姿見が無事だったので

ご機嫌でした



私は、小学三年生です。京都・下鴨国民学校から

満洲國新京特別市の春光国民学校(しゅんこう)へ

転校しました。

… … …

学校の前を市電が走っていて、春光国民学校前の

市電停車場がありました。

その次が満映(まんえい)停車場で満洲映画協会が

あります。父親の新しい仕事場でした。








満洲國圓

2015年09月18日 22時08分04秒 | Weblog


私らが入居したテラスハウスと

四階建ての公団風の住宅は

小さな公園を中心として取り囲むように

集まっています

テラスハウスは二家族で使うように

戸口が二つになっていました



同じテラスハウスに満映(まんえい=満洲映画協会)の

映画監督、木村荘十二(きむら・そとじ)さん夫妻が

住んでおられました

お名前の12は、12番目のお生まれだそうです

作家で画家、版画家の

木村荘八(きむら・しょうはち)さんは彼のお兄さんです



家の前を東西に未舗装の広い道がありました。

この道は舗装が予定されていたようですが

戦時体制に入って、そのままになっていました

この道の外れに市場があります

このあたりには個人商店はありません



この市場には、京都・下鴨の市場では見られなくなった

羊羹・饅頭など和菓子が時間を決めて並んでいました。

満洲の食糧事情は

まだ、ましだったようでした。





通貨は満洲中央銀行発行の満洲國圓(まんしゅうこく・えん)です

100圓、50圓、1圓など紙幣と

硬貨の単位は1角、5角などでしたが

なんと呼んでいたかすっかり忘れています






新京特別市盛京大路房産住宅78號

2015年09月17日 18時43分16秒 | Weblog


新しい住居は広い野原の中にありました

コンクリートのクリーム色の四階建て住居棟が

公営団地のようにズラリ並んでいます

その一角にテラスハウス、六棟が並んでいます

そのテラスハウスが新居です

… … …

広さは平屋で4LKです

昔ですからダイニングではなく

普通のキッチンです

窓から外を見るとかなり

広い庭がついていました



住所は

新京特別市盛京大路房産住宅78號
(しんきょうとくべつし、せいきょうたいろ
ぼうさんじゅうたく、78ごう)

環境の激変のせいか

六十数年経ったいまも、なぜか

この住所を覚えています



新京の地理的緯度は北海道の

札幌市ぐらいですから冬はきっと寒いのでしょう

窓を見ると、全部二重窓になっています

… … …

真夏に到着したのに、京都・下鴨の夏のように

蒸し暑くなく、大陸性気候なのでしょうか

空気は乾燥していてサラリとした暑さでした



新居の夜が明けました

寝床で目を覚ますと、喉が渇いてヒリヒリします

新京ヤマトホテルの朝もヒリヒリしていました

… … …

日本は湿気が多いのでしょうか

京都・下鴨では感じたことのなかったことです








明日はあたらしい住居

2015年09月16日 20時56分15秒 | Weblog


今のJR新幹線は車内販売の

お嬢さんがよくやってきます

… … …

満鉄・超特急「アジア號」では

車内販売はなかったようです



また、国鉄(JR)のように駅弁が

各駅で売っていたでしょうか?

… … …

ノンストップの「アジア號」では

たとえ売っていても無理ですが



家族5人の昼食は食堂車で

済ませました。

… … …

「アジア號」の車窓からの

眺めは、広大な 高梁畑(コーリャン)が

延々と続いています

… … …

猛スピードで「アジア號」が走り続けて

1時間、たっても景色が変わりません

高梁畑が延々と続いていきます



車窓から 高梁畑の遠くを見ると

はるか地平線が少し曲がっています

… … …

大海原の水平線が曲がって見えたのと

同じでした

… … …

列車は小さな駅、蒙家屯(モウカトン)、

南新京(みなみしんきょう)を通過して

新京駅(しんきょう)に到着しました



写真は新京ヤマトホテルです



新京駅をでると夕方です、

その日は

駅前の新京ヤマトホテル泊まりでした

モダンで洒落たホテルだったらしいのですが

記憶にありません。

… … …

あしたは、いよいよ新しい住居です











超特急「アジア號」に乗って

2015年09月15日 20時43分52秒 | Weblog


大連駅(だいれんえき)から

超特急「あじあ號」に家族5人そろって

乗りました。

… … …

残念ながら大連駅・風景の記憶が

ありません



あじあ號は大きな流線型の蒸気機関車と

6両の客車で編成されています

客車の最後尾は展望車です



日本で特急につながれていた展望車は

デッキへ出られたのですが

あじあ號の展望車はそとに

出られない構造でした

私はアジア號に乗るとすぐ展望車へ

探検に行きました。



家族で乗った車両は二人掛けのソファで

足下のボタンを足で踏むとソファがフリーに

なって360度回転しました

90度ソファを回すと窓に平行になります

もう90度回すと後のソファと向き合って

四人 で談笑できる構造でした



家族で乗車したのは二等車で、いまの

グリーン車でしょうか、

父親は、がんばってくれたのでした



超特急「アジア號」は10時に大連駅を

出発しました。



日本の鉄道は狭軌ですが南満洲鐵道(満鉄=まんてつ)は

広軌です。

… … …

大石橋(だいせつきょう)→奉天(ほうてん)→四平街(しへいがい)

→南新京(みなみしんきょう)と通って新京(しんきょう)へ

向かいます。

… … …

新京へは午後6時30分の到着です

超特急「アジア號」の終着駅は新京の次、哈爾浜(ハルピン)です











大連港で父親を見つけた

2015年09月14日 21時43分12秒 | Weblog


大連港で国民服の

父親を見つけた

母親が思わず

「まあ、イヤだ…」と

叫んだことについて…



国民服のイメージとして貼付した

写真をUnknownさんは

私の父親と思われました

… … …

Unknownさんにご迷惑をかけました

… … …

父親のポートレートを探し出しましたが

少し歳をとっています

とりあえずアップします



毎日、父親は家から背広姿で

撮影所に出勤していました

それに靴はピカピカに

磨き上げられていました



父親には変わった、こだわり?

趣味がありました

… … …

休みの日に、下駄箱からいろいろ革靴を

とりだして靴墨を塗ってピカピカに

磨き上げるのです。

… … …

母親に革靴を触らせません…



いつもピカピカの靴を履いて

ネクタイ、背広姿でお洒落な

父親が、久しぶりなのに国民服姿で

母親の前に現れたのですから

がっかりしたのでしょう

… … …

大連港で再会した家族は

それから大連駅(だいれんえき)に向かいます

乗車する列車はなんと

超特急「あじあ號」です








大連港に入港

2015年09月13日 19時05分20秒 | Weblog


幸い天候も安定していて

船は静かに進んでいます

… … …

若い船員さんと

知り合いになれました

… … …

少し丸く曲がった水平線を

眺めながら、若い船員さんは

「私の耳がおかしいだろう…」

と耳を私に向けます

彼の耳が潰れています



「私はスポーツマン、ラグビーで

こうなった…」と

笑いながら話してくれました

私はラグビーを、見たことがありません

世の中には激しいスポーツがあるものだと

強く印象に残りました

… … …

若い船員さんは

「この船は明日の朝、大連港(だいれん)に入港…」

と話を結んで去っていきました

… … …

その後、その若い船員さんはどうされたでしょう



船室はコンパートメントで、

その夜は静かにやすみました

翌朝、船は大連港に入港していくところでした

まもなく、埠頭に近づいていくと

大勢の出迎えのなかに父親を見つけました



父親を見るのは数ヶ月ぶりです

政府の奨励していた

カーキ色の国民帽と国民服姿でした

別に強制的ではなかったようですが

最近の「クール・ビズ」のようなものでしょうか

… … …

国民服の父親を見た母親は

「まあ、イヤだ…」と叫びました










神戸港を出航

2015年09月12日 22時39分45秒 | Weblog


昭和17年(1942年)夏

いよいよ神戸港から出航です

当日、雨は降っていませんでした

神戸港までどうやって行ったのか

覚えていません



ご近所の知り合いが大勢で

神戸港まで、見送りに来てくれました

… … …

船名はたしか「みどり丸」でした

みどりという平仮名になんとなく

覚えがあります

… … …

出航の時間が迫ってきました

バ~ン バ~ン と銅鑼が鳴り響きます

みどり丸は岸壁を離れます

船からも岸壁からも大勢がそれぞれ

テープを握っています

隣の母親は私にテープを

持たせてくれました

テープの先は誰が握っているのか

よくわかりません



4人は船室に落ち着きました

私は国民学校(小学生)の三年生で

次弟は私と七つ違いの昭和14年生まれです

その下の弟は昭和16年生まれですから

やっと一歳です

きっと母親は心細かったでしょう



やがて「みどり丸」は紀伊水道?を

通って太平洋の大海原に出ます

私にとって太平洋は初めてです

見渡す限り水平線です

しかも水平線が少し曲がっています

地球が丸いことがこれでよくかりました

… … …

昭和16年12月8日に戦争が始まったばかりで

制海権(せいかいけん)、制空権(せいくうけん)の

心配はまだありません。







明日はいよいよ出発

2015年09月11日 18時05分52秒 | Weblog


家財道具は船便で満洲に送られるので

運送屋さんの荷造り発送で家の中が

空っぽになりました

… … …

空っぽの家は

私にとって初めての経験でした



私を可愛がってくれた

近所の糺屋喫茶店(ただすや)さん夫妻から

シューベルトの「未完成」交響曲の

12インチSPレコード二枚組

アルバムを餞別としてもらいました



レコードの1枚目の表裏に

第1楽章が、2枚目は第2楽章が

キチッと録音されています

私にとってシンフォニーのレコードは

初めてでした。

… … …

糺屋喫茶店に大きな蓄音機と

レコード・コレクションがありました

… … …

「未完成」のアルバムはその中の一つです

… … …

糺屋喫茶店のおじさんは

小さかった私を自転車に乗せて

下鴨神社やあちこちをよく走ってくれました



いよいよ明日は出発という夜

ガランとした家で母親と

私ら兄弟は店屋物で簡単に

食事をとったのでしょうが

何故か、このシーンは覚えていません






海外移住の準備

2015年09月10日 18時14分44秒 | Weblog


住居が京都・下鴨から

満洲國(まんしゅうこく)

新京(しんきょう)へ引越、つまり

海外移住ですね



家具の梱包や荷造りと発送のため

業者さんが何人か我が家にやってきました

業者さんは家財道具や衣類の入った箱など、

手際よく次々に荷造りしていきます

… … …

暖房器具で瀬戸物の火鉢(ひばち)の荷造りでは

先ず荒縄で火鉢を4本の紐が出るように荷造りして

細板で作った枠箱の真ん中に火鉢がくるように

対角線に4本の縄で吊り下げます



縦長で姿見の大きな鏡のついた

洋服ダンスの荷造りでは

まず藁ムシロでタンスを包みますが、

姿見の大きな鏡のところの

藁ムシロを切りとってむき出しにします

そして一目て鏡とわかるようにして

細板の枠箱で荷造りしていきます

… … …

私は荷造りの業者さんに

「どうして鏡を丸出しにして荷造りするの…」と

聞きますと

「途中の、運送業者さんが鏡とわかると用心して

扱ってくれるから…」と答えてくれました

… … …

日本から満洲國への海外移住ですから

母親は、荷造りの中身をカーボン紙を

挟んだ発送伝票につぎつぎと記入して

業者に渡していきます



いまのように、綺麗なデザインの段ボール箱や

ガムテープ、マジックインクで

用意された スマートな引越業者さんではありません

家財道具の寸法を合わせていちいち細板を

ノコギリで切断して箱を作って荷造りしていくのです

… … …

業者さんは多分、日通(にっつう)さんだったでしょう