■【カシャリ! ひとり旅】 奈良・薬師寺 東塔・西塔、玄奘三蔵の頂頭骨
全国、処々を一人旅、足の向くまま、気の向くまま
自分の足跡をサイトやブログとしてアップロードして、私の生きた証しを記録として残しています。
素人写真ですが、旅行の参考にされたり、話材の一つとしてお使いくださったりしてくださると幸いです。
奈良 薬師寺 | ||||||||||||||||||||||||
公式サイト パンフレット 関連資料(秘) | ||||||||||||||||||||||||
■ 薬師寺の概要 薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町にあります法相宗大本山の寺院で、南都七大寺の1つに数えられています。本尊は薬師如来です。 1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」が、ユネスコより世界遺産として認められましたが、薬師寺は、その構成資産の1つです。 天武天皇9年(680)に、天武天皇が皇后であります鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ、後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。 しかし、天武天皇自身は、薬師寺の完成を待たずに崩御され、皇后が、持統天皇として即位しました。その時に、新都藤原京に、薬師寺が造営されたのです。697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、710年に、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われ、それにともなって薬師寺も現在地へ遷りました。 天平時代まで、天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。 しかし、多くの寺院がそうでありますように、薬師寺も多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。唯一創建時から現存するのが国宝・東塔です。 昭和43年(1968)、管主・高田好胤和上の発願で、写経勧進などによる白鳳伽藍復興が開始されました。高田管長は、全国を行脚し、昭和51年(1976)に目標を達成し、金堂が落慶されました。 現在では、西塔(さいとう)、中門、回廊、大講堂、食堂(じきどう)など白鳳伽藍の主要な堂塔はほぼ復興され、いにしえの大伽藍がよみがえっています。 |
||||||||||||||||||||||||
|
◆【経営コンサルタントの育成と資格付与】
since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会
日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
詳しくは、サイトでご覧下さい。