![Autumn Autumn](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/bb/55bc8d25d526f7968807a2fd3e04c3e5.jpg)
KY ネタ、さらに続けます。
何かの雑誌で読んだのだけど、
「空気を読めない」という日本語は、外国語に翻訳不可能らしい。
この場合の外国語は、欧米の言語のインド・ヨーロッパ語族のみならず、
中国語に代表されるシナ・チベット語族やアラビア語(何語族かは知らん)なども含まれていて、
要するに日本語以外のすべての言語を指すといってもいい。
シロウトの当てずっぽうだけど、日本語と同じウラル・アルタイ語族に属する朝鮮語には、
「空気を読めない」に相当する慣用句があると思う。
ただなんとなく思うだけで、なんの論拠もないんだけど…。
話が脇に逸れた。
この「 KY 翻訳不可能説」は、日本に駐在している数ヵ国の外国人ジャーナリストによって述べられていた。
彼らは、この日本人独特の「空気を読む」という習慣(感性)をバッシングしているわけじゃなく、
むしろ美徳として賞賛していた。
肝心のどの辺が美徳なのかは失念したけど、
「空気を読む」という高度で繊細な感覚は、
茶道や俳句の「詫寂」(わびさび)、能楽でいうところの「幽玄」、武道における「間」(ま)、
などを通して日本人が身につけた能力だと評していた。
最近、KY という造語がやたら飛び交うのは、
僕ら日本人が本来もっていた「空気読み力」が損なわれてきたことの裏返しのような気がする。
ひとの目ばかりを気にして行動するのもどうかと思うけど、
前向きな意味での「空気を読む能力」を養うことも大切なのかな?
よくわかりません…。
以上、KY についての雑感でした。