八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

3つの切望

2013年04月21日 14時35分11秒 | 脳幹出血
15年前の関東逓信病院で。
倒れて半月が過ぎて意識は回復したけれど、両手も両足もどこもピクとも動かなかった。
耳はかすかに聞こえたので、喋り声や廊下の騒音らしき物音は聞こえた。
目も大きくズレた映像が見えたけど、顔は動かなかったので文字通り目の前のものしか見えなかった。
まるで腹話術のように口はほとんど開けられなかったけど、何故か自分の短い喋り声は明瞭に聴こえた。
しかし看護婦さん達は私の口近くまで耳をそば立てて、『え?、え?』と何度も聴きかえすのでコノヤローと思った。

こんな寝たきり状態の時、何が何でもこれだけはと切望したことがある。
 ①廊下を配膳車が通る時、ヤカンに氷水が波打っているような音が聞こえてきて、飲みたくても飲めなかった水をガブガブ呑みたいと思った。
   15年経ってもこの思いは冷めることがなく、風呂上りの冷たいムギ茶を『いのちの水』と呼んで、昨夜もイッキに呑んだ。
   比べようもないけど、いのちの水は生ビールよりも遥かにウマイと思う。
   ずーっと後になってお銀に確かめたけど、温かいお茶はヤカンで配っていたけど、ラグビーのような大きなヤカンではなかった。
   ましてや2月の寒い時期なのに氷の入った水なんて・・、幻聴が聞こえたくらい咽喉がヒリヒリだったんだね、と言っていた。
   ⇒3月末、流動食からおかゆ食へ、大学病院にて
 ②首が少し動くようになってからだけど、車イスに乗ってゆっくり自分で漕いで行く人が、
   フェラーリのスポーツカーを乗り回している人以上にまぶしく見え、自分もあのように車イスに乗れるようになりたいと願った。
   ⇒3月末、自力車イストイレとともに、大学病院にて
 ③手足が動きだしてからは、武士のなさけ、車イストイレを使えるようになりたい!、と心底願った。
   ⇒3月末、大学病院にて

身体が不自由な人ほど時として健康者には考えられない突飛な行動をする時もあるだろうけど、当時の自分を思い起こすと分かる気がする。
   
 ps1:ゲゲッ、朝がたまでみぞれだったけど、さきほどから雪に変わったぞ、今日は寒い!
 ps2:その後4つ目のお願いは会社復帰になったけど、これは翌年に実現した。
    5つ目のお願いは一人でも自由に歩けるようになることだけど、これは15年経っても未だ実現していない。

  4つのお願い
  雨に濡れた慕情
  黄昏のビギン
    ちあきさんはガンに倒れたご主人の郷鉄治さんを荼毘に伏す時、棺にすがりついて、『私も一緒に焼いて』と号泣したという。
    どんな山よりも高く、どんな海よりも深く、ご主人を愛していたんだろうね、、、分かる気がする。
コメント (8)
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