内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

情報の初元の生成過程 ― ジルベール・シモンドンを読む(38)

2016-03-28 08:41:12 | 哲学

 今月二日から、一回だけ別の話題の記事を書いた以外は、ずっと「ジルベール・シモンドンを読む」の連載を続けています。まだまだ序論を読み終わるまでには時間がかかります。別に締切りのある話ではありませんから、先を急ぐことなく、毎日焦らず怠らず続けていきましょう。
 たとえシンモンドンがそこで言いたいことが全部理解できなくても、あるいは完全には納得できていなくても、これまで読んできたところからだけでもひしひしと感じられることは、それまでの人文社会科学でいわば共通通貨のように流通してた諸概念を根本から見直そうという壮大な改革の意志です。
 それらの諸概念の中でも特に重要なのは、今私たちがまさにその序論を読んでいる主著のタイトル L’individuation à la lumière des notions de forme et d’information にも明示されている « forme » と « information » という二つの概念です。シモンドンの意図を汲めば、前者を「形相」あるいは「形式」、後者を「情報」と、単純には訳せないことはすでに明らかですね。
 というのも、前者は、「ものの形とはそもそもなぜどのようにして生成されるのか」、後者は「異なった次元にそれぞれ属するもの同士がなぜどうやって関係するのか」という、この世界を全体として理解するために避けて通れない根本的な問いにそれぞれ直接結びついているからです。
 これらの問いを徹底的に考え抜こうとするシモンドンが一貫して批判しているのは、常に安定的かつ等質的な自己同一的実体を基底としてどこかに想定するすべての思考です。この批判的態度は、物理化学レベルでも、生物レベルでも、心理・社会レベルでも、一貫しています。
 今日から読む段落は、« information » とは何かという問いがテーマです。そこでもこの反実体論的思考が貫かれています。シモンドンは、« information » について次のような仮説を立てます。

une information n’est jamais relative à une réalité unique et homogène, mais à deux ordres en état de disparation :

 「情報」は、何かそれとして一まとまりになった等質的な現実に対応しているのではなく、乖離・離隔状態あるいは異類・別位状態にある二つの秩序・次元に関係している、というのです。
 ここで言われている「情報」とは、すでにそれとして安定性を獲得し、発信者と受信者との間で流通している、あるいは流通しうるものという、私たちが普段使っている意味での情報ではありません。そのような情報が、なぜ情報として伝達されうるようになるのかということが問われているのです。つまり、情報生成過程の端緒はどこにあるのか、という問いです。情報が最初からある一定の形式を持っているのなら、こんな問いを立てる必要はないわけです。ところが、実際には、情報は、常に一定の形式を持っているわけではなく、問題となるレベルごとに可変的なものです。

elle [=l’information] est la tension entre deux réels disparates, elle est la signification qui surgira lorsqu’une opération d’individuation découvrira la dimension selon laquelle deux réels disparates peuvent devenir système ;

情報は、乖離・離隔した二つの現実間の緊張である。情報は、二つの乖離した現実がシステムを形成することができる次元を或る一つの個体化作用が発見するときに発生する意味である。

 一つの等質的な現実の中では情報は発生しません。二つの異なった現実があり、しかも両者の間に互いに相手を必要とする関係があるとき、何か解決しなければならない問題があるとき、その関係や問題そのものが情報を発生させるのです。お互い相異なる個体として個体化されながら、両者相俟って一つのシステムを形成することができるとき、お互いにとって或る有意な要素がそれとして両者の間に生まれます。それが情報だというのです。
 ここで言われる個体化は、心理的存在としての私たちひとりひとりがそれであるところの個体の個体化のことだけでなく、その私たちが属する集団の個体化のことでもあります。
 例えば、恋人同士には意味のある言葉のやりとりも赤の他人との間ではまったく無意味つまり情報価値がなく、住民にとっては有意味な納税通知書も通りすがりの旅行者には何の意味もありません。関係のないところには情報もないのです。
 テキストから少し飛躍して私見を述べることを許していただければ、今日の私たちは要らぬ関係をSNS等でわざわざ作り出し、その結果としてたくさんの「緊張」が生まれ、その情報に縛られ、精神を疲弊させていると言えるでしょう。他方、国民にとって有意な情報を隠蔽することで国民を操作しようとしている国家権力は、その隠蔽工作そのものによって、己を成り立たせているシステムを破壊していると言うこともできるでしょう。