内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生命の世界の起こりをどう考えるか ― ジルベール・シモンドンを読む(32)

2016-03-22 08:12:51 | 哲学

 今日は、昨日まで読んできた文章の次の一文だけを読みます。

Dans l’unité tropistique il y a déjà le monde et le vivant, mais le monde n’y figure que comme direction, comme polarité d’un gradient qui situe l’être individué dans une dyade indéfinie dont il occupe le point médian, et qui s’étale à partir de lui.

 一昨日の記事で読んだ箇所で見た「向性(あるいは屈性)」という概念ががまた出て来ました。
 ある向性をもった一全体には、すでに世界と生命体とがある。しかし、その段階での世界は「方向」としてしか、つまり、ある傾度(あるいは勾配)の極性としてしか現れていない。この傾度が、個体化された存在を非限定的な二項関係の間に位置づけ、この個体化された存在はその二項関係の中間点を占め、その中間点からこの二項関係は広がって行く。
 これが上掲の文の一応の私訳です。でも、正直、よくわからないままに訳してみただけです。ただ、生命の世界の起こりがどのようなものかが問題になっていることはわかります。「傾度(あるいは勾配)」と訳した « gradient » という語は、生物学、物理学、数学、心理学、気象学等で使われる術語です。ある刺激に対する反応の強さの違いという意味に一応解しておきました。「二項関係」と訳した « dyade » という語は、哲学、心理学、生物学等で使われており、生物学では、減数第一分裂後期の)二分染色体のことを特に意味します。一つだったものが二つに別れることでその間に一定の関係と同時にその両者の間に極性が生まれた状態を思い浮かべました。でも、間違っているかもしれません。
 今日の記事は大変歯切れが悪いのですが、これ以上考えられそうにないので、これだけにします。