内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「「遠く悲しき別れせましや」あるいは亡児悲傷 ―『土佐日記』を読む

2016-03-08 06:17:00 | 講義の余白から

 今日は、シモンドンの連載をお休みします。
 その理由は、準備ができていないから、ということではないのです。シモンドンについて書くことならまだいくらでもあるのです。が、なにせテーマが途方もなく大きいだけに、ときどき息を入れないと、連載途中でばったりと心身ともに倒れそうで。
 今日は朝から夕方まで、明後日の講義の準備をしていました。その講義では、まず歴史物語をさっと一刷毛で説明してから(それで十分だと思っているわけではないのですが...)、日記文学の章に入ります。中古文学史では、『古今和歌集』、『竹取物語』、『伊勢物語』、『源氏物語』と来た後に、とりわけ力を入れて説明したいと思っているジャンルです。
 日記文学といえば、まず『土佐日記』からですよね。かの有名な冒頭の一文、「男もすなる日記といふものを、女もしてしてみむとてするなり」を解説するところから入るのが定石です。私もそれは昨年踏襲しました。
 でも、昨年は、通り一遍の、それこそ教科書的な説明だけで、すぐに『蜻蛉日記』に移ってしまいました。そして、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』へと。だって、そっちのほうが私には百倍も魅力的な作品たちですから。
 でも、これはやはりちょっと不当な扱いだったなと今年は反省しました。なぜ紀貫之が女性に仮託してこの新しい文学ジャンルを創出したかをもっと立ち入って説明するべきだったなって思うようになったんです。
 当時としては未曾有の大胆なこの試みによって可能になったのはどのような表現なのか。『土佐日記』を読んで、自分が感じていることを自分が普段使っている言葉で表現していいんだって勇気づけられた女性たちが日記文学という新しいジャンルの担い手になっていくのですから、歌人としての異論の余地のない大功績はもちろんのこととして、日記文学の創始者としての紀貫之の果たした役割についてもっとちゃんと説明しないと、この問いには答えられませんよね。
 『土佐日記』の文学作品として画期性は、複数の観点から論ずることができますが、明日の講義では、特に、それまでの男たちの「晴れの文学」では不可能だった感情表現について、具体的に例を挙げて説明します。その中でも、『土佐日記』の主題の一つとされる「亡児悲傷」を取り上げます。
 この長くもない作品の中に、土佐赴任中に亡くなった幼娘への断腸の追懐という主題は、変奏されつつ繰り返し現れます。貫之の当時の実年齢からして、この亡児追懐の章節を虚構とする見方もありますが、たとえそうであったとしても、『土佐日記』の文学作品としての価値がそれで下がるわけではありません。なぜなら、幼き愛児を失った親の癒やされることのない悲しみが具象の中に普遍的に表現されているからです。

 『土佐日記』の最終パッセージは、愛児を失った親の切り裂かれる心そのものです。

 思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生れし女子の、もろともに帰らねばいかがは悲しき。船人もみな、子、たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人といへりける歌、

生まれしもかへらぬものを我が宿に小松のあるを見るが悲しさ

とぞいへる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ。

見し人の松の千歳に見ましかば遠く悲しき別れせましや

 忘れがたく、口惜しきこと多かれど、え尽くさず。とまれかくまれ、とく破りてむ。