内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

認識のはじまりにある有極性世界 ― ジルベール・シモンドンを読む(30)

2016-03-20 07:32:17 | 哲学

 昨日の記事で引用した二文の次の一文を引用します。

la connaissance ne s’édifie pas de manière abstractive à partir de la sensation, mais de manière problématique à partir d’une première unité tropistique, couple de sensation et de tropisme, orientation de l’être vivant dans un monde polarisé ;

 認識の起源、つまり、認識はどのようにして生まれるのかということがここでの問題です。認識は、所与としての感覚与件から抽出されることによって形成されるものではないとシモンドンは言います。では、どのようにしてなのでしょう。それを説明するのに、シモンドンは、生物学的概念である « tropisme » を導入します。
 この語についての『小学館ロベール仏和大辞典』の説明をまず見ておきましょう。

(1)屈性:植物が外部刺激に対して一定方向に屈曲する反応。
(2)趨性:屈性と走性 taxie を合わせた、以前の呼称。
(3)向性:固着生活をする動物のある部分が刺激源に対し一定の方向に向かって動く性質。

 « tropisme » とは、生物が刺激に対して一定の方向性をもって動く性質だとこれらの説明からわかります。
 上に引用した一文からだけではまだよくわからないところもありますが、シモンドンが認識の起源をどのように捉えようとしているかは予測することができます。
 上の文が言おうとしていることは、認識が生まれるのは、最初から或る一定の極性を有した生命の世界に発生した葛藤あるいは緊張状態に対して、生物個体が何か一定の方向に向かって解決をもたらそうとするときだ、ということではないでしょうか。
 ここまで読んできた「序論」の部分を踏まえて、シモンドンが認識の起源について考えていることを、私なりに以下のようにまとめてみました。
 認識のはじまりに在るのは、感覚対象に対して中立的な認識主体ではなく、生物個体に先立って存在する「客体的」環境世界でもない。認識は、生命の世界の中の個体化過程から生まれた生命体が、自分において発生した或る一定の問題(群)に対して、相互限定的な関係にある環境の中で、或る一定の方向に向かって解決を図ろうとするときに生まれる。