内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

物理・生命のレベルからから心理・集団のレベルへ ― ジルベール・シモンドンを読む(24)

2016-03-14 08:53:26 | 哲学

 昨日まで、一般存在生成論に他ならないシモンドンの個体化論を、個体化の第一範型である物理レベルでの個体化から始めて、物理レベルには還元できない特徴を備えた生物レベルでの個体化まで辿ってきました。
 今日から、「心理(現象)」(« psychisme »)と「集団」(« collectif »)のレベルでの個体化過程に入ります。一言先取りして言っておけば、この両者は、不可分で互いに他方を前提としています。
 存在としての「関係」についてシモンドンが立てた仮説を昨日一昨日と取り上げました。その仮説に従えば、個体の内的および外的関係を考えるために、もはや新たな実体を導入する必要はありません。この内的関係が心理に、外的関係が集団に相当します。どちらも生命のレベルでの個体化の後にやって来ます。
 まず、心理の次元はどのように発生するのでしょうか。シモンドンの考えを聴いてみましょう。
 以下の常体のテキストは、ILFIの「序論」29頁の第二段落の三分の一ほどの内容をほぼ忠実に追っていますが、私が加えた補足と解釈が微量ですが混じっています。
 心理は、ある一個の存在が、自分に固有の問題を解決するために、己自身問題そのものの構成要素として自らの行為によって働かなければならないとき発生する。一言で言うと、ある一個の存在が「主体」(« sujet »)として働くとき、心理が発生する。
 主体も、もちろん、個体化された生命体として存在している。しかし、それと同時に、世界を通じてその世界の要素と次元として己の行為を自分に対して表象する存在でもある。主体は、このような二重存在の統一体として考えることができる。
 一個の生命体の生命に関わる諸問題は、それ自体で閉じた閉鎖系の問題群を構成することはない。それら一連の問題が成す体系は、つねに開かれており、より一層の前個体化的現実を巻き込み、その現実を環境との関係の中に統合していく個体化過程の連鎖の無限の連続によって果てしなく拡大されていく。
 この無限の複合的・重層的過程の中で、前個体化的現実の巻き込みが「受感性」(« affectivité »)を、その現実の環境への統合化が知覚を発生させる。前者は「情動」(« émotion »)として、後者は「学知」(« science »)として過程の中に組み込まれる。この組み込みは、個体化過程に新しい次元の統合が要請されたことを意味している。