内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

主体としての個体は「問題的な存在」である ― ジルベール・シモンドンを読む(26)

2016-03-16 17:46:51 | 哲学

 昨日の記事では、「通・超個体的」(« transindividuel »)という概念が新たに導入される箇所を読みました。今日はその続きを読みます。ですが、原テキストの訳に私の解釈と補足をかなり思い切って随所に織り込んでありますので(こんなこと論文じゃ絶対に許されませんけど)、今日の記事は敬体で統一します。
 「通・超個体的」なものからなる「心理・社会的世界」(« le monde psycho-social »)は、ただ単に社会的なものでも、一個の個体として個体化が完了したものでもありません。この世界は、真の個体化作用をその前提とします。真の個体化は、前個体化的現実をその起源としており、諸個体に結び付けられており、新しい問題群を構成することができます。この問題群はそれとして構成されると、それ固有の準安定性を獲得します。心理・社会的世界は、いわば量子的条件を表現しているのであり、この条件は、複数の異なった大きさの次元と相関的で、それに応じて可変的です。
 この世界でそれ固有の働きをする生命体つまり主体としての人間存在は、そこで「問題的な存在」(« être problématique »)として現働します。主体としての人間存在は、出来上がった統一体以上でありかつそれ以下のものです。一旦獲得された準安定性に固執せずに、より複雑で高次のシステム内システムへと自己変容できるという意味で完結した統一体以上のものであり、つねにまだ解決すべき問題を抱えている不完全なものであるという意味でそれ以下であるということです。
 生きているものが問題的だと言うことは、生成を生きるものの次元の一つとして考えることです。つまり、生きるものは生成の相の下にあるのであり、そこでは本来的に「媒介」(« médiation »)として働くものなのです。
 生きているものは、自ら個体化を実行するものであると同時に個体化の舞台(あるいは劇場)でもあります。生きるものの生成は、恒常的な個体化過程です。というよりも、一連の個体化の連続であり、それらの個体化は、準安定性から準安定性へと進んでいきます。
 生きるものの恒常的な個体化過程は、己に固有の問題を内に抱えている個体をその内に含みつつ、まさにそれら個体を媒介として、より高次の安定性をもったシステムの生成へと進んでいくのです。