内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「ひとは唯ひとり死ぬるであらう」― 己の最期を予言するかのごときパスカル『パンセ』からの引用

2018-02-23 20:42:26 | 哲学

 三木清『人生論ノート』の第二エッセイ「幸福について」の中にパスカルからの引用がある。三木は、「「ひとは唯ひとり死ぬるであらう」、とパスカルはいつた。」と記しているだけで、『パンセ』のどこからか出典を示していない。しかし、次の断章(ブランシュヴィック版211、ラフマ版151、セリエ版184、ル・ゲルン版141)からの引用であろう。

 Nous sommes plaisants de nous reposer dans la société de nos semblables, misérables comme nous, impuissants comme nous. Ils ne nous aideront pas. On mourra seul.
 Il faut donc faire comme si on était seul. Et alors bâtirait-on des maisons superbes, etc. On chercherait la vérité sans hésiter. Et si on le refuse, on témoigne estimer plus l’estime des hommes que la recherche de la vérité.

 われわれが、われわれと同じ仲間といっしょにいることで安んじているのは、おかしなことである。彼らは、われわれと同じに惨めであり、われわれと同じに無力なのである。彼らはわれわれを助けてはくれないだろう。人はひとりで死ぬのである。
 したがって、人はひとりであるかのようにしてやっていかなければならないのである。それだったら、りっぱな家を建てたりなどするだろうか。ためらわずに真理を求めることだろう。そして、もしそれを拒むとしたら、真理の探究よりも、人々の評判のほうを重んじていることを示している。

前田陽一・由木康訳『パンセ』中公文庫、1973年

 この断章の注解は別の機会に譲ろう。
 今日はただ、「ひとは唯ひとり死ぬるであらう」と1938年にパスカルを引用した三木が、七年後の1945年3月、治安維持法の容疑者を仮釈放中にかくまい、保護逃亡させた嫌疑で警視庁に検挙され、敗戦後も一月以上に渡って官憲によって非人間的な環境の牢獄に不当にも閉じ込められたまま、病苦の果てに、誰一人看取るものもなく、監獄の粗末なベッドから転げ落ちて息絶えたことを思い起こし、そのあまりにも孤独な非業の死に一輪の花を手向けたいと思う。