内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「あひ見むことはいのちなりけり」― 『ツバキ文具店』最終回に出てくる古今和歌集の歌

2019-04-15 13:00:22 | 詩歌逍遥

 二年前の春、NHK「ドラマ10」の枠で『ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語』というドラマ(多部未華子主演)が四月の半ばから連続八回で放映された。ふとネットで見かけたテレビドラマ評でとても褒めてあり、どうしても観たくなった。ネットで探したら、ありがたいことにかなり高画質なコピーがある動画サイトにアップされていた。しかも、毎回テレビでの放映が終わると数時間後にはアップされていた。もちろん日本のサイトではなく、某隣国の「有志」による違法サイトであるが、海外に暮らす人間にとっては、これがとても貴重なのである。毎回放映直後に観たばかりでなく、その後も繰り返し観た。そして、昨年とうとうDVDを買った。だから今ではいつでも合法的に家で観られる。DVDだけでもう五、六回は観ている。授業でもときどきその一部を使う。
 その最終回に、「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛の辞世の句とされる句が「バーバラ夫人」と呼ばれている登場人物(江波杏子)の一人によって呟かれる。それは満開の桜の樹の下での近所の親しい者同士の宴の席でのことだった。その宴のはじまりの挨拶を「男爵」(奥田瑛二)がする。その際に彼が引いたのが古今和歌集の次の一首。

春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり(巻第二・春歌下 よみ人知らず)

 「春が来るごとに花の盛りは必ずあるだろうが、その盛りにめぐりあって見ることは、命があってのことだ」(高田祐彦訳注『新版 古今和歌集』角川ソフィア文庫、二〇〇九年)の意。「毎年盛りを迎えてくり返される花の命に比べて、いつ終わりを迎えるかわからない人間の命のはかなさをいう」と注する。北村季吟の『八代集抄』にも「人間不定をおもひてよめり」とある。
 しかし、まさに人の命ははかなく、人間不定であるからこそ、今年もまた花の盛りに巡り会えた命の幸い・ありがたさが表現されているとも言える。