昨晩から今日未明にかけてのパリのノートルダム大聖堂の火災は、報道専門のチャンネルでずっと生中継されていた。午後八時前後から二時間ほど見ていた。夕空に吹き上げる猛火と噴煙の中で尖塔が崩れ落ちていく光景は繰り返し放映された。言葉を失った。
パリに住んでいた八年間、いったい何回ファサードを間近にあるいはバスの中から眺めたことだろう。アパルトマンからふらりと散歩に出かけ、少し足を伸ばしたときなど、カテドラルの周りをよく歩いた。ファサードを正面広場から見るよりも、サン・ルイ島やセーヌ河岸や Pont de Sully の方からの後方の姿を眺めるのが好きだった。
修復には何十年とかかるであろうから、あの美しい姿を再び見ることはもう私にはない。それは悲しい。が、かつて日常の風景の中に何度も見ることができたことの幸いを「いのちなりけり」と感謝する。
消火活動にあたった消防士が一人重傷を負った以外には、犠牲者はいなかったのは幸いであった。多くのメディアが推測しているように、修復工事現場が出火元であろう。しかし、今の段階では憶測を慎み、調査結果を待つべきだろう。
百年単位で歴史を振り返れば、世界中どこでも、火の不始末・放火・戦火・自然災害等による損壊の被害をまったく受けなかった歴史的建造物は稀である。パリのノートルダム大聖堂も例外ではない。
できるだけ元の姿を保存する、あるいは元の姿に復元しようとする意志は、単にその建造物の歴史的・文化遺産的価値によって動機づけられたものではなく、恒久平和への願いと分かちがたく結ばれたものであることを今改めて切に願う。