内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

死生観探求の道行きを地獄の表象から始める

2024-06-27 13:45:09 | 思想史

 今年度前期に担当した「日本の文明と文化」という日本語のみで行う三年生の授業で、数回にわたって「日本人の死生観」というテーマを取り上げたことは2023年11月14日の記事で話題にした。その後、数回、その授業の内容に触れる記事も書いた。
 このテーマに拒否反応を示す学生が多かったらどうしようと事前には少し不安だったのだが、初回から彼女ら・彼らがテーマに対して高い関心を示してくれたことによってその不安は解消された。授業の仕上げとしてのグループ発表もなかなかの出来のものが多かった。
 死生観は、時代・文化・文明・宗教・社会等のさまざまなファクターによって変化する。それとして言表されずに人々によって生きられている死生観は、死とはなにか・生とはなにかという問いに直接的に答える仕方で表現されるとはかぎらない。
 そもそも、あなたの死生観はと問われて即座に答えられる人がどれだけいるだろうか。私にはこの問いに答える用意がない。そのことは、しかし、私が死の表象を何も持っていないということを直ちに意味しない。むしろ無意識の裡にある特定の死の表象に囚われているかも知れない。その囚われが自分の精神を萎縮させ不自由にしているとすれば、それはそれだけで不幸なことではなかろうか。
 しかし、その囚われから直接的に自分を解放する手立てを私は持っていない。そこで間接的な手立てとして、歴史と文学のなかに死生観を探り、それらとの関係において自分につきまとう死の表象を対象化・相対化するという迂遠な途をいま辿ろうとしている。
 それにしても、死生観を端的にそれとして表現している史料や作品に探求の対象を限定してしまうと、その背景に広がる豊穣で深淵な表現の次元を取り逃がしてしまうことにもなりかねない。その次元にこそ、多くの人たちによって暗黙のうちに共有された死生観が間接的・媒介的あるいは喩的に表現されているかもしれないのに。
 地獄の表象は死生観と不可分である。それは洋の東西を問わない。このブログでダンテの『神曲』を話題にしたのも、その背景には死生観への関心があった。源信の『往生要集』に言及したのも同じ理由からである。
 死生観探求の道行きを地獄の表象から始めよう。その端緒としてどこに自分の志向がまず向かうかといえば、日本にいたときのもともとの専攻であった日本上代文学である。行き着く先もわからず覚束なきことこのうえない漂泊、彷徨あるいは流離にも似たその道行きの記録をこのブログに残しておきたい。幸いなことに、頼りになる「案内人」がいる。先月15日の記事で話題にした西郷信綱の『古代人と死』(平凡社ライブラリー、2003年。原本、平凡社選書、1999年)である。