なかば趣味みたいなものだが、表向きは「日本文明」の授業の準備の一環として、上代・中古における「愛(す)」「好き/好く」「恋ふ/恋」の用例をエクセルで一覧表にするという作業を月曜からずっと続けていた。
上代には、「好き/好く」の用例はあまりなく、あってもあまり興味深い例は見つからなかった。中古から中世にかけての「すき(数奇)」については三年生対象の「日本思想史」で前期に取り上げたことでもあるし、一年生向けの「日本文明」の授業では、「好き/好く」は軽く触れる程度にして、上代における「愛」と「恋」に話題を限定することにした。
『万葉集』で「愛」という漢字が「アイ」という訓みとともに使われている箇所は数えるほどしかなく、中国起源の意味を多かれ少なかれ反映する形で漢語の中で使われている。
それに対して、「愛」が形容詞、あるいは他の漢字とともに一語を形成している場合、注釈者たちによって和訓がさまざまに与えられており、その和訓は注釈者間で一致していないことも少なからずあるが、それらの和訓が、古代日本における「愛」とは何か、「愛する」とはどういうことか、という問いに対する答えの緒を与えてくれる。
形容詞としては「うつくし」「うるはし」「かなし」「めぐし」等に「愛」という漢字があてられている。ただしこれは注釈者の解釈によるところが大きく、平仮名をあてている注釈書もあり、当時これらの形容詞を使って歌を詠んだ歌人たちが「愛」という漢字を念頭においていたとは限らない。むしろ、そのような場合は少なかったと思われる。
上掲の形容詞中、用例数からすると「かなし」が最も多く、四十例近くある。ついで、「うつくし」が十数例、「うるはし」が数例、「めぐし」が二三例である。この最後の「めぐし」は、「めぐしうつくし」あるいは「かなしくめぐし」と、意味の近い他の形容詞と組み合わせて用いられている。
「愛す」という動詞の用例は、『万葉集』の歌中にはなく、山上憶良の「子等を思ひし歌」(802)の前文(詞書)に三回用いられているに過ぎない。
この動詞「愛す」の上代における用法について、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版)は次のように解説している。
「アイスは平安中期までの仮名文学作品にも見えない。しかし、漢文訓読文では[中略]早くから用いられて」いる。「漢文訓読文においては、価値あるものとして認め大切にするという意味が強かった。それに対し、漢文訓読文以外では、人間の場合、親が子を、男が女をというように上位者が下位者を我が物としてかわいがるという意味を表し、動物や物に対しては気に入って我が物とするという意味を表した。共に執着につながる気持ちによる行為を表すことが多い。この、執着する意が加わるのは仏教において「愛」は十二因縁の一つで、喉が渇いているときに水を飲まずにはいられないような人間の最も根源的な欲望、苦を避け常に楽しみたいという欲望、執着心を表すという。」
愛する相手に対する気持ちを歌として表現する際に古代人たちが好んで使った上掲の形容詞の意味を探ることによって、古代における「愛の形」が見えてくる。
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