内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日記の美学 ― 草稿と生成の美学、あるいは完成を目的としない持続の美学

2024-11-05 18:46:18 | 読游摘録

 昨日までの三日間引用したマルク=アントワーヌ・ジュリアンの日記論に関する一節は私にとってはとても興味深かったが、Philippe Lejeune & Catherine Bogaert, Le journal intime. Histoire et anthologie には他にも編者によるさまざまに刺激的な考察が鏤められていて、なかなかの好著だと思う。
 折に触れての思索を手帳に記すという習慣をもっていたモラリストである Joseph Joubert (1754-1824) に関心をもつようになったのも本書のなかのほんの僅かな彼への二回の言及おかげである。その一つを引用する前に、集英社世界文学大事典(電子版)のジョセフ・ジュベールの項をまるごと引用する。

フランスのモラリスト。ドルドーニュ県モンチニャックに生まれ,トゥルーズに学び,のちパリに出て,ダランベール,レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ,ディドロらと知り合い,フォンターヌと親交を結ぶ。恐怖政治期はパリを離れるが,総裁政府成立後戻って,シャトーブリヤンを知り,やがて彼の『キリスト教精髄』などの著作に助言を与えることになる。結婚により経済的保証を得た彼は,一時フォンターヌの後援で視学官の地位に就く(1809)が,生涯,静穏な生活を送った。しかし彼は出入りしたボーモン夫人 Pauline de Beaumont のサロンで,会話の才により評判となるものの,社会的名声を得たわけではなく,その完璧主義の故にまとまった著作を残したわけでもなかった。随想集『パンセ』Pensées(1838)は,彼が書き残した断編を,その死後シャトーブリヤンがまとめ,刊行したものである。考察の対象は,政治,文学,哲学と多岐にわたり,その理知は静謐な雰囲気を漂わせて,時代の党派的熱狂とは無縁である。「共和制は君主制の病の唯一の治療法であり,君主制は共和制の病の唯一の治療法だ」(1791)。またその表現は比喩を多用しユーモアと詩情に富む。「私の精神と性格は寒がりだ。穏やかな寛容という温度が必要なのだ」(1802)。シャトーブリヤンは彼を「ラ・フォンテーヌの心をしたプラトン」と評した。ラ・ロシュフコーの圭角とは対照的であろう。彼の『書簡集』Correspondance(49)も思考と文体の明晰において卓越するが,その文業の全容が明らかになったのは死後100年を経た,『手帖』Les Carnets de Joseph Joubert(1938)の刊行による。

 上掲書のなかのジュベールへの二つの言及箇所のうち特に私の注意を引いたのは以下の一節である。

La forme du journal déplace l’attention vers le processus de création, rend la pensée plus libre, plus ouverte à ses réflexion autant que son résultat. Dès le début du XIXe siècle, Pierre-Hyacinthe Azaïs avait été sensible à cette nouvelle dynamique et l’avait théorisée. Cette esthétique du brouillon et de la genèse explique en partie la progressive intégration du journal, depuis le XIXe siècle, dans le canon des genres littéraires, et le goût du public pour les carnets d’écrivains, ou pour les penseurs qui, de Joseph Joubert à Émile Cioran, ont fondu journal et maxime et daté leurs pensées. D’une manière plus générale, on peut dire que, dans beaucoup d’activités humaines, le journal est une méthode de travail. (op. cit., p. 31)

 日記という形式は思考の創造過程へと注意を向かわせ、思考をより自由にし、その結果におとらず内省活動そのものにも開かれたものとする。そこに一つの美学、草稿と生成の美学の誕生を見ることもできる。あるいは、完成を目的としない持続の美学とも言うことができるかもしれない。このような認知が日記を文学の一つのジャンルへと昇格させる。かくして、日記は日付をもった省察録というそれ固有の地位を獲得する。日記は、一つの思考の形であり、思考の方法であるとも言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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