内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「闘う」学生たちのための兵站と援護射撃 ― 老兵戦場日誌

2021-02-04 22:34:49 | 講義の余白から

 後期は学部三コマと修士一コマを担当している。それに加えて修士一年と二年それぞれ二名の論文指導がある。それだけでもかなりの仕事量だ。全部遠隔で、対面授業よりも時間数を減らさざるを得ない授業もある。その欠を補うために、個別の課題とそれに応じた個別指導の時間を増やした。ただ、増やしすぎてはいけない。他の科目との兼ね合いがあるからだ。同学年担当の教師たちで連絡を取り合い、学生たちへの要求が過剰にならないように気をつけなくてはならない。
 今朝、修士論文の指導を担当する学生の一人から論文の進捗状況の報告があった。彼は諸般の事情で来年度の日本への留学を諦めた。それに伴い、論文のテーマを変更せざるを得なくなった。その時点では、ほとんどやる気をなくしかけていた。すぐにZOOMで一時間ばかり面談し、フランスにいながらでも可能な研究テーマへの変更を提案した。
 当初の計画では、江戸時代の寺子屋について池田藩における事例研究を主とした論文を書く予定であったが、そのためには現地での資料閲覧・収集が必須だ。しかし、留学ができないとなると、それは無理だ。そこで私が提案したのは、フランスのアンシャン・レジーム期の民間教育と近世日本のそれとの比較研究だ。日本だけを対象とした「純」日本学的研究に比べれば、フランスにいながらでも比較的取り組みやすいテーマだからだ。
 今日のメールは、フランス側の研究の主柱になる文献をいくつか見つけたとの報告だった。文面から察するに、やる気を取り戻したようだ。嬉しく思う。頑張っていこう。
 昼頃、学部三年生(学部最終学年)の学生の一人から、最終学期の小論文のテーマについての問い合わせがあった。この小論文、規模的にいえば、学部卒論と特定の科目で課されるレポートとの中間に位置づけられる。言い換えると、修士に進学したい学生にとってはその予備的作業になる。この学生が考えているテーマがすごい ―『葉隠』とニーチェにおけるニヒリズムの超近代性。
 この学生は、日本学科にあっては稀有な例なのだが、哲学にとても興味をもっている。前期、授業で無常観の話をしたとき、授業後質問に来て、もっと無常観について知りたい、なぜならキリスト教的な死生観からもっと自由になりたいから、と言っていた。彼女の問いは、知識欲からではなく、実存的な煩悶から発されていた。
 上記のテーマを説明する長いメール(「長くて済みません」と末尾にあった)の中に、「もうどうしていいかわからないと悩んでいたとき、ニーチェに読み耽り、危機を抜け出すことができた」とあった。「わかった。だったら、ニーチェの著作から自分で一冊選びなさい。それと三島の『葉隠入門』とを読み込むことから始めよう」と提案した。
 他の学生たちからも、課題レポートのテーマについての問い合わせや選択したテーマの承認を求めるメールが今日だけで二十件ばかり届いた。それらを読み、それぞれに直ちに返事しながら思った。皆、それぞれの前線で戦っているのだと。老兵、およばずながら、兵站と援護射撃を引き受けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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